Pachet, Pierre, Adieu (2011)

 フランスでは、20世紀後半から、「私」を主語にしつつも、「自己の不確かさ」「他者の不確かさ」を問うテキストが現れてきた。本論では、特に、近親者の死をめぐって書かれる「喪のテキスト」の中で、このような自他の存在の問い直しが顕著になされる傾向があることに着目し、「喪の語り」の特性について考察した。具体的にはフランスの作家ピエール・パシェ(Pierre Pachet 1937 - 2006)が、亡くなった妻について、そしてその喪失体験について書き綴った作品『アデュー』(2001年)を取り上げた。

 発表では、まず第一に語りの形式特性を明らかにするため、ナラトロジー研究、記憶研究、物語論などを援用し、物語(histoire)と語り(récit)を対照し、後者に、筋立ての弱い断片的構成、発話の現在性を記述することによる、いいよどみなどの不完全の言述といった特徴があるとした。

 続いて、死者は自分について書かれた文章に目を通し、修正や批判を加えることができない以上、生者の言葉、視点によって死者を支配しないことを、パシェが書くことの倫理としていることを指摘した。

 その上で、出来事を悲愴化しないこと、解釈を決定せず、ことばの意味を考察し続けること、書く行為はたえざる「試み」であると認識していることにパシェの言述の特質があるとした。このような書き方を選択するのは、人を知るとは、ある一瞬、ある一時期、偶然聞くことのできた小さな語り、すなわちその人についての数限りない断片を通してのみ行われる行為であるとパシェが考えているからである。

 だが、この態度は不可知論や相対主義には陥らない。確かに、私たちには、他者の本質は見えず、それを具体的に名指すことは難しい。しかしそうであっても、私たちは、そのときどきの断片を通して、その本質を分有しているのだ。このような他者の本質の感受が可能なのは、パシェが、死者を書くことに高い倫理観をもち、書く形式にきわめて自覚的であることによって、「私」の言葉を通して、その言葉の向こうに、その人の存在が見え、その人の声が聞こえてくるような、語りを模索したからであると結論づけた。

第二回声の主体による文化・社会構築研究会 - 声のつながり研究会の発表「『喪失の声』と物語(histoire) / 語り(récit) - 喪失を書く現代フランス作家のいくつかの事例から (1) ピエール・パシェ『アデュー』を通して」の報告書より転載。