田村尚子『ソローニュの森』(2012)

ラ・ボルド診療所と『すべての些細な事柄』
 フランスの映画監督ニコラ・フィリベールが撮った『すべての些細な事柄』(原題La moindre des choses)というドキュメンタリー作品がある。パリから南に車で約2時間、ロワール地方にある精神医療施設、ラ・ボルド診療所が舞台で、この診療所の日々を、敷地内で毎夏行われる演劇上演の準備と当日の舞台を中心にして描いた記録である。ナレーションはない。カメラは何かをねらって映すというよりも、その画面の中に、あるときは風に揺らめいて木々が映り込み、あるときは散歩をしている人がカメラの前を横切って入り込んだりと、あたかもそこに偶然映ってしまったかのような趣をもつ。
 カメラに話しかける人、料理を準備している人、衣装を選ぶ人...私たちはこの場所にいる人々の生活を観ているうちに、そこがどのような場所なのか、そしてその人々が誰であるのかを次第に忘れていく。特に演劇の舞台に参加する人々をみていると、彼らが、もともと施設のスタッフだったのか、患者だったのかすっかりわからなくなっていく。映し出されるのは、舞台を演じる人々、舞台道具を準備する人々であって、彼らの舞台への関わりを通して、最終的に、私たちの注意は一人一人の個別の存在へと注がれていくのだ。
 もちろんここには監督の明確な意図がある。それは私たちが前提として多かれ少なかれ抱いている、精神病院や精神を病んだ人についてのイメージや表象の徹底的な排除である。フィリベールのドキュメンタリーが優れているのは、その作品が、私たちに何かを教え込むための、教化するための、すなわちある何がしかのメッセージを吹き込むためにあるのではなく、私たちのなかに巣食っている既成概念を揺るがし、物事に付着している一般的な思い込みをそぎ落とすためにあることだ。「患者たちを『精神障がい者』として記号化すること」(注:ドキュメンタリーマガジン『neoneo ネオネオ』no9、萩野亮の『すべての些細な事柄』の作品ガイドによる。p.73)を徹底的に拒んでいるのである。

ジャン・ウリとコレクティフ
 このラ・ボルド診療所は、1953年に精神科医ジャン・ウリによって創設された。ウリの精神医療の方法は「制度を使う精神療法」と呼ばれる。病院という制度的な枠組み、およびその制度で規定される患者とスタッフの区別さえも見直すというラディカルな方法である。この診療所の人々の集まりは「コレクティフ」(collectif)という語で表される。この語は一般には「集団・グループ」という意味であるが、ウリのセミネールの記録『コレクティフ』の翻訳者多賀茂は、ウリがこの語に込めている意味を次のように的確に説明する。
 

ウリにおいてcollectifとは、何らかの集団において、その構成員である個々人が、自分の独自性を保ちながらしかも全体にかかわっていて、全体の動きに関わっていて、全体の動きに無理に従わされているということがないという状態を意味しています。(p.8.)

 集団の中にありながら、自分の独自性を保つということは、先ほど述べた「イメージ」や、「一般的な思い込み」の排除と深く通じている。なぜならば、「イメージ」や「一般」性で人を見ることは、個人を個人としてみるのではなく、ある類型の一例に還元してしまうことだからだ。「医者」ならば「医者」、「患者」なら「患者」という枠組みでしかその個人を捉えないということである。そのとき、医者と呼ばれる人々の、患者と呼ばれる人々の間の実際の差異は看過され、個人はその独自性を失っていく。
 集団の中にありながらも、独自性を保ち続ける実践として、例えば、ラ・ボルド診療所では、みながー患者・医師・看護師・事務の人など-集まって、ディスカッションをして、あらゆることを決めることになっている。毎水曜日の朝に開かれる会議には、だれもが参加することができる。会議では「日常的な些細な出来事」(田村p.108)が話し合われる。それぞれがコレクティフの構成員として参加をしているのだ。
 しかしだからといって、「医者」や「患者」の肩書きを外して活動をすれば、独自性が確保されるという安易な問題ではない。そうではなく、一人格がある属性によってのみ全的に支配されること、あるいはその属性によってしかその個人を理解しないことが問題なのだ。属性によってではなく、どこまで、そしていかにしてその人を人格において理解できるか。このコレクティフな営みにおいて投げかけられるのはこの問いである。ウリ自身、次のように主体の概念について述べている。
 
混じりあって、くっつきあっていてはいけない。言い換えれば、各人が主体として認められていなければならない。(...)均一化と呼ばれることを避ける試みが必要である。(ウリ、『コレクティフ』p.338.)

ある社会、または組織において、ある個人がその存在の特異性を失い、他の個人と区別がつかなくなってしまうような状況、その固定化されたイメージによって、人々が画一化されてしまうことに抵抗すること、これがウリの哲学であり、それが実践されているのがラ・ボルド診療所である。

田村尚子『ソローニュの森』:他者との関係の構築、コード化を拒む

 田村尚子『ソローニュの森』は、このラ・ボルド診療所と、そこに生活する患者たちをフィルムに収めた写真集である。田村は、日本でジャン・ウリに会い、その後ラ・ボルドを訪問する機会を得た。この写真集にはあわせて滞在をした折の文章が添えられている。ちなみにソローニュの森とはラ・ボルド診療所が囲まれている森の名前である。
 田村はここで患者たちと実際に接し、彼らとことばを交わし、そのやりとりの様子を綴っている。「患者」と言っても、例えばフランシスコという男性の第一印象を「本人から話しを聞くまでは、彼が患者さんだとは少しも思いもしなかった」(p.37.)と書いているように、ここで暮らす人々の相貌に「患者のイメージ」は認められない。
 ここで会うのはあくまで一人の個人なのだ。その印象の素直な表明として、田村はみなを固有名詞で呼ぶ。イブ、レミ、クレールといった名前を持つ具体的な人物たちである。そして、家族の話、日本の話など、彼らとのやりとりは、彼らが精神的な病いをわずらった人だとはほとんど感じさせない。時に支離滅裂になったり、変わった行動をとったりすることもあるが、私たちが日常交わしている会話の内容とあまり大差はない。
 単に外から眺めるのではなく、実際にこの「コレクティフ」の中に入ろうとする田村の姿勢には、「利便性を優先する『コード化』を拒み続ける」(p.108.)というウリ自身の言葉の実践が伺える。他者に対しての「利便性を優先する『コード化』」とは、一般的な概念のレッテルを他者に貼り付けて、それで他者を分かった気になっている状態であろう。運転手なら運転手、障がい者ならば障がい者という、普通名詞の一般概念を他者に貼り付け、それ以外の存在のあり方の可能性を見ないような態度である。確かに他者とある属性をコードで結びつけるカテゴリー化の作業は、機能的で、手っ取り早い理解の仕方ではあるだろう。だがそれは一方的なイメージの他者への投影であって、他者の理解とは呼べない。ラ・ボルドの患者クレールがニュース・レターに書いた、治癒にとって必要な「相手をあるがままに受け入れる」(p.62.)という契機は皆無である。
 とはいえ「患者のイメージ」を取り払うことができたとしても、それでその人のことを十全に理解したことには直結しないだろう。またその上で他者をあるがままに受け入れるという態度とは、具体的にはどのような関係をつくることなのだろうか。そもそも他者へのイメージ付与を避けるとしたら、私たちは何を糸口に他者を理解できるのだろうか。さらには他者を本当に受け入れるとき、それは多かれ少なかれ自分を他者に合わせて、自己を曲げた上での他者の受容にならないか。利便性・効率性の社会から離れたところで自己と他者の関係を考え始めるとき、そのような答えのない問いが繰り返されることになる。だがその関係の可能性と困難さを正面から受け止めようとする分、人との関係のあり方を反省する問いはますます深くなっていくのだ。
 ラ・ボルドで、ひとりの人間同士として患者たちとの関係を構築しようとすればするほど、写真家である田村にはこのような問いが浮かび、ときにはこれらの問いに苛まれることすらあったのではないだろうか。なぜならば、写真は、自己と他者との関係を考えるとき、他のいかなる芸術にもまして、他者との関係が相互的ではありえず、一方的にならざるをえない表現行為だからだ。撮るー撮られるの関係は、能動ー受動関係の典型である。写真は、写真家の眼差しによって、相手を対象化する行為である。写真はある視点から、ある瞬間を切り取る。さらに写真家の能動性が強ければ強いほど、自分の狙い通りに被写体を切り取ってしまうことも可能になる。それは自分が前提とする範囲内に他者の存在を収めることにもなりかねない。自分がいかようにも加工できる他者は、すでに他者ではない。
 このように写真が人間の能動ー受動の関係をもたらすことから、田村は写真は「凶器」(p.63.)にもなると言う。カメラを向けることは「その人の心を攻撃してしまうのではないか」(p.63.)と恐れる。写真において、他者は「被」写体となり、撮るという一つの暴力にさらされうる。
 だからこそ、写真家は、他者を手段としないよう、他者との関係によりいっそう敏感になってしまう。そして「他人の存在にもっとも敏感」(p.64.)になるとき、自己と他者との関係構築の新たなあり方の場に直面していることを強く感じる。他者がどのような人であれ、他者の言葉をそのまま正面から受けとめることは楽なものではない。併せて、その他者を受けとめる重さにおいて、自分の存在へも問いの眼差しを投げかけざるをえなくなる。「他者の存在を敏感に感じている私は、実際に何を感じているのか」と。
 そして、田村は他者が「自分のなかにも存在する」(p.64.)ことを感じる。他者との関係に対する敏感な感性は、同時に自分自身にも向かう。自分自身は安定した自己の根拠ではなく、自分の知らない自己、およそコントロールできない自己の存在に気づく。そのような自己の揺らぎが身体的にも精神的にも疲弊を招いてしまい、ある一日ラ・ボルドを離れる。ロワール川を車で1日走りながら、友人たちと話し、自由に写真をとる。そのような時間を過ごしながら、自分の心が閉じた状態であったことを振り返り、再び翌日ラ・ボルドに戻る。この短い旅は、田村にとってのセルフケアだったのではないか。
 私たちが普段の社会生活を送るなかでは、他者へのこだわりがあまりに強いと、それはほとんど拘泥という意味しか持たず、スムーズな、要は表面的なやりとりの障害となってしまう。だがラ・ボルドでの実践においては、他者を考えるとは、記号として固定された前提をどこまでも見直すことを意味した。その実践は、私たちが他者との関係が生まれるその始まりに立ち合うことでもある。他者をあるがままに受けとめ、受けとめている自分を通して、これまで知らなかった自分の中の他者を発見する。こうした未知の存在との出会いは、ときに緊張と不安を強いることであり、心をつい閉ざししまうことにもなるだろう。だが、反対に、他者との関係を生みながら、新たな自分自身をひらく可能性もそこには広がっている。
 ラ・ボルドでの実践は、「対象を固定化して物象化してしまわないための<詩的なロジック>」(p.40.)を作ることだとウリは田村に語る。物象化とは対象を物自体と捉えること、本質的に不変である存在として認めることである。物自体としての存在は、私たちの認識いかんにかからわずそこにある。物象化されたモノ、人間と、私たちの間には、どのような接触も干渉もなく、関係は不在である。
 それに対して、私たちが、自分を取り巻いている世界を物象化しないように努めて生きるとすれば、それはたえず他者と関係の構築のあり方を問うことになる。詩的なロジックとは、お互いの間で意味を力動的に生成することを意味する。詩は新たな意味の創造だからだ。この詩的創造とは技法的なレトリックの創造という意味ではない。そうではなく、既知の範囲内に他者を置く=不動の物質化をすることなく、目の前の他者にたえず新たな存在の様相を見出し、生の動きを認め、それに自分の生をも呼応させることなのだ。他者を一面的に見ることなく、その他者との関係において自己存在の揺らぎをも受けとめるとき、他者の多面性と自己の変容はその姿を現す。その交渉のなかで自己と他者の関係が生成される。この生の呼応関係による新たな生の意味こそ、<詩的なロジック>と呼べるものである。
 対話において、人間の多面性を見出していくこと。それはラ・ボルドで行われている「星座の会議」の意義でもある。ここでの星座とは次の実践を意味する。
 

ひとつの点と点を結んでいくと初めてその形が見えてくる星座のように、その人のことを知る。(p.109.)

この結ぶという行為によって、初めて相手が私たちの前に現れてくる。その人と出会い、その人を理解するとは、自分なりにその点を結んでいき、形を作ることである。この結び方は無限に存在するであろう。人間は生きている以上、たえず生のただなかにあり、そのただなかにある生同士が出会うからだ。とはいえ、それは毎日まったく違った形を見せるといったドラスティックなものではなく、日常に起きる些細なことから構成される。その毎日毎日の些細な事柄をひとつの小さな出来事として新鮮な目で見つめることである。そのとき人間関係は不断の変化として現れ、物象化を拒む可能性がひらけてくるのである。その瞬間こそ「交歓の生まれた瞬間」(p.67.)と名付けることができるだろう。

Philippe Forest, Sarinagara (2004)

 幼い娘を亡くした作家が、小林一茶、夏目漱石、山端庸介の3人の喪失体験を叙述しながら、その3人についてのテキストの合間に、自らの日本訪問(東京、京都、神戸)の叙述を加え、構成された作品である。
 フランス作家が書いた「日本論」に見えるかもしれないが、日本の独特さや異国趣味とは無縁である。反対に、フォレストは、日本について語りながら、個別の体験を越えたところにある、人間存在の普遍性に基づいて叙述する。その普遍性とは存在の有限性と虚無、そして喪失体験である。
 「さりながら」とは、喪失という事実、虚無という事実はわかっていながらも、「それでも」その事実を受け入れてしまうことを踏み切れない、抵抗の心情である。
 失われてしまったものは永遠に失われたままだ。そして時が経つにつれて、その体験は思い出と忘却の対象となる。今の現実から離れていくとき追憶のイメージは夢幻のイメージと重なっていく。
 作品の冒頭でフォレストは、大人になってからの現実は、すでに子どもの時に夢で見られたものではなかったかと書いている。こうした現実と夢の境界の消失は、「さりながら」という心情と同じく、私たちの置かれた状況の不分明さや、たえず漂い流れる私たちのよりどころのなさを示している。
 漂い流れていっても、決してどこかにたどり着くわけではない。たどり着くことで、喪失の悲しみが消えるわけではない。
 

「私は場所を変えたかった。とはいえ、それは私の苦しみから解放されるためではなく、別の場所で別な方法で、その苦しみの果てのない悲愴な深さを体験するためであった」(p.22.)

 その喪失とは子どもの死である。一茶も子どもを亡くしている。
 

「ひょっとしたら、こうした死(=子どもの死)が、時間について普段信じている考えを脱するために必要なのかもしれない。それは、時が、私たちひとりひとりを、常に更新される明日へと導いてくれ、その日々は、前日の悲しみを消し去り、朝の何にも触れられていない輝きの中で、同じ世界を新しく作り直してくれる、という考えである」(p.78.)

 この喪の永続がフォレストの一貫した文学的主題である。夏目漱石も幼い娘を亡くしている。その死後の思いをフォレストは次のようにつづる。
 

「それに続いて、いつもの普通の言葉がやってくる。生に戻り、なるべく早く、失ったものの穴埋めをするようにと誘う言葉である。ところが、別の子どもは、失われた子ども本人でない以上、何の意味もないのだ」(p.158.)

 現実と夢、忘却と想起ー私たちはそのふたつを切り分けるのではなく、そのふたつを行き来し、そしてまたそのふたつが混じり合った二重性の中を生きる。フォレストは、こうした二重性のなかでのさまよいを書く。それは、娘の喪失の後では、もはやどこにも居場所はなく、さまよい歩く自身の姿にも重なる。
 そして写真は、写された対象と写真表象の二重性の中に存在する。山端庸介は、職業カメラマンとして、長崎の原爆投下の翌日に現地に入り、その被害を写真におさめた。現場の目撃者であり、証人である。証人も、その場におり、かつ事後的にその場の体験を何らかの形で表す存在であるが、その証人という存在について、フォレストは次のようにこだわる。
 

「証人とは何か。それはつい見てしまった者、偶然にあるいはたまたま、あらゆること、特に他の場所にいたいという気持ちに反して。見てしまった以上、視線によって自分に永遠に結びつけられた、恥、悲しみ、罪悪感に耐え続けなくてはならない。」(p.230.)

 
「証人とは何か。見た者、二度見た者、自らの視線を重ね合わせ、自分が見たものを繰り返されるがままにしなくてはならないと思った者、世界を見直すことで、ついにその唯一で至高の真理に従う者。」(p.236.)

 私たちは見た場所、時間に決して戻ることは絶対にできない。と同時に起きたこと自体は決して否定できない。ここから体験と表象の二重性が生まれる。体験だけでは何も残すことはできない。体験だけでは、体験は消えるしかない。その体験を支えていくのが、表象なのだ。表象するとは、だから、その体験に生を与えると言ってもよい。表象と体験が完全に一致することはありえない。だが表象か体験かではなく、決して戻ることはできなくとも、そこに近づいていくために語り、表していく必要がある。なぜならば、その決して近づきえない地点には、その体験をした人の存在が確固としてあるからだ。

 宗教哲学を専門とするVincent Delecroixと『永遠の子ども』などの小説で知られるPhilippe Forestの喪をめぐる対談集である。対談という性格上、喪を巡ってさまざまな話題が縦横無尽に言及されている。

 西洋哲学の長い歴史の中で扱われてきた「死」は自己の死であった(キケロ、ニーチェ、ハイデガー...)。それに対して喪失、あるいは喪が主題となったのは、ナチスによる大量殺戮が起きた20世紀後半以降である。ただその例外がキルケゴールであり、Delecroixはその専門家である。またForestの小説家としての活動は幼い娘の死がその出発点となっている。

第1部第1章「単独性の体験」
 彼らにとっての喪とは根本的に「個人の代替不可能な体験」(p.21.)である。Forestは、そのため自分の作品は時に俗な文体になったとしても、具体性にこだわっていると言う。また、喪の体験とは、ジョルジュ・バタイユの言う「内的体験」「呪われた部分」、すなわち個人を正常で有用な領域から引き離す体験であるとされる。

 それを受けてDelecroixは、喪の体験が「絶対的な瞬間」(p.23.)であると同時に、拡張される時間の体験であると指摘する。喪の体験は、今後その体験とともに生き続けることを意味する。そしてその継続性の中で、喪の体験は言葉にされ、言語化することによって他者の参入が生まれ、さらには、宗教的・哲学的な表現を生んでいくとされる。

 喪の体験は根源的に個別の体験でありながら、共通の体験でもあるというパラドクスを含んでいるのである。それをキルケゴールは「主観的真実」と呼んだ。私たちが共有できると同時に私たちの間を遠ざける性質をもつ真実である(p.31.)。

 一方Forestは「代替不可能性」にこだわる。とりわけ現代社会において、ひとつはクローン技術による「複製の可能性」があること、もうひとつは社会そのものが「代替可能」なもので成り立っていることを指摘する。特に「私」へのこだわり、他者と異なる「私」へのこだわりは、実際には、異なるという意味においては差異のない「小さな私」がつながりを欠いて存在するだけであるとする(アドルノの物化への参照)(p.34.)。

第1部第2章「喪を行うーイデオロギー批判」
 この章ではフロイトの「喪とメランコリー」への批判が展開される。その出発点は「失われた存在は永遠に失われたままだ」(p.41.)という認識である。「リビドーが失われた愛する対象への固着を弱めることで、自己が生かされるようになり、やがて欲望は違う対象に向かうことになる」と要約されうる喪の作業は確かに永続する喪失とは対立する論であろう。しかしながら、フロイト自身の考えは多分にニュアンスを含んでいる。例えばここで引かれている1929年のビンスワンガーへの手紙では、息子を亡くしたビンスワンガーに対して「このつらい喪は癒されるものではないし、失ったものの代わりは決して見つかることはなく」、「その場所を占めるものがあったとしては、それは常に何か違うものです」と書いている。

 ただしForestは、喪のさなかにある人に対して、「ページをめくるべきだ」という命令がよく聞かれるとし、特にそれがボリス・シリュルニック一派の「レジリアンス」の考え方だと言う。Forestによれば、それは、「自らを死者たちから断ち切ることによって、不幸を遠ざけること」(p.44.)に他ならない。立ち直ることの要請は社会からの要請であり、レジリアンスの「解放的な効果」はまさにこの社会の要請と合致することになると批判する。

 ここからDelecroixは現代社会が「傷ついた者」を恐れていること、「常態化」を求めていること、つまりはアドルノのいう「健全なものを求めるという病」の状態にあることを指摘する。そしてこれが必ずしも現代だけの問題ではないのは、たとえばフレイザーの『金枝篇』で、喪に服す者は死者と関係を結んでいるという意味で共同体にとって脅威の対象であると言われていることからも理解できる(p.48.)。

 「喪とメランコリー」を再考するために必要なのは、Delecroixによれば、ポール・リクールの『記憶・歴史・忘却』とジャック・デリダの『マルクスの亡霊』である。両者ともに「作業」(le travail)という用語の再検討がされている。リクールについてはそれが経済論的観点から、デリダについては、「喪の作業は作業のひとつではなく、作業そのものである」ことから再検討がなされている(p.50.)。作業とは、文字どおりには「消滅させると同時に存在せしめる」(p.51.)過程である。そして喪とは「現在に存在していないが、不在でもない、存在ではないが、非ー存在でもない、失われているが失われたものとしてある」状態である(p.51.)。しかし同時に喪の作業は「亡霊を追い払う、黙らせる」作業でもある。それは父の亡霊を前にしたハムレットと同じであろう。この二重性のパラドクスの中で、喪の作業は、存在を持たないものに存在を与えることとなる。「喪とは常に存在せしめることにある」(p.51.)。このパラドクスは「他者を自己のうちにとどめるためには、喪は不可能でなくてはならない。体内化も取り込みもできないのだ」というデリダ自身の言葉に現れている。
 
第1部第3章「集団的喪と記憶の義務」
 この章の冒頭ではリクールの『記憶・歴史・忘却』について語られる。喪はこの浩瀚な作品の最後の「赦し」まで続く一貫した主題である。リクールにとって、喪は、残された者が死んだ者に「なぜ死んでしまったのか」と相手を責める気持ちを持っていることが前提となっている。そして死者と関係を結ぶ行為は、この相手の「死んでしまったこと」を赦す行為となる。そしてそれは、「記憶の過剰」でも「忘却の病理」でもない。リクールは、「過去へのおだやかな関係の条件」を集団的記憶においても(歴史的な罪の赦し)、個人の記憶においても(死んでしまった相手への赦し)探すことを思考する。

 それに対してForestは、自分が強く感じるのは「赦し」とは真逆の「罪悪感」であるという。したがって赦しがあるならば、それは「生き残ってしまった」自分に対してであるとする。

 次に扱われる問題は、「個人の喪」と「集団の喪」の関係である。これについてはForestの2つの作品SarinagaraとLe Siècle des nuagesを通して検討される。Forestにとっては、「集団的喪へと達するのは、あくまでも個人の喪を通して」である。そうでなければ、「パンテオン化」(p.60.)に見られるように、喪の行為は、単に「死者を顕彰」するだけになってしまう。Commémoration(追悼)は喪ではないのである。

 それに続いて、作家が、自らが体験したのではない出来事を語る条件について考察される。Forestは、自分が広島や長崎について語ることができたのは、特別な詩的形式を作品に導入したからであり、それによって自らは登場人物の背景へと退いているからである。また、Forestは、語り手が直接の証言者のように語ったり、登場人物や犠牲者があたかも自らを引き立てるように一人称で語る作品を批判する。作家が用いる言葉は、「自信に満ちた、傲慢な言葉」(p.65.)ではなく、自らが語る対象となる人、事柄との関係によって限定される「自信のない言葉」なのである。

第1部第4章「喪にくれる者のかたわらで」
 第4章の主題は、喪をとりまく社会の問題である。Forestにとって、メランコリーは時に人々をやさしく迎え入れる場所となる。彼にとっては、「病という状態から人を健全な場所へと社会復帰させる」ことが問題ではない。病は「恥ずかしい衰え」でも「隠すもの」でもないからだ。だが、「健全な社会」は、「病」と自らを二項対立化させながら、病者あるいは喪に苦しむ者を排除する方向へと向かう。

 そしてその行き着く先は、「病者に病気の責任を負わせよう」(p.70.)という態度である。そしてこうした態度に付随するのが「信じれば救われる」というような精神論であるとDelecroixは言葉を引き取る。それこそがまさにヴォロンタリスム(volontarisme)のイデオロギーである[これは新自由主義や自己責任論ともつながる考え方であろう]。

 では喪の状態におかれた人をどう支えるのか。Delecroixは、私たちは喪の苦しみの中にある人を支えることはできず、苦しみを和らげることはできないという。しかしそれにも関わらず、私たちは(つい)そばにいたり、何か言葉をかけたりしてしまう。そして私たちがこうした行為をするのは、その行為に「効果はなく意味しかない」(p.73.)という無力さのさなかであると言う。「意味しかない」というのは、シニフィアン「意味するもの」しかなく、それが「何を意味するのか」は知りえないということだ。たとえば、「そばにいる」というのはただ「意味するもの」であって、それが何を意味しうるのかは、まったく自明ではないのだ。

 ここでDelecroixはポール・リクールが『死まで生き生きとVivant jusqu'à la mort』で引用している緩和ケアの専門家たちの言葉に言及する。Decroixはリクールの論を次のようにまとめる。まず死の体験とは、私たちが看取る他者の死であること、とはいえ他者の死とは決して先取りされるものでないこと、専門家たちはagonisant(死に臨む)をmoribond(瀕死の人)とは決してみなしていないこと(agonisantはvivant jusqu'à la mortー死までは生きている)と、そしてagonisantによりそう私たちの視線にあるのは、compassion(共苦)であること[だが、おそらくはそれは私たちに常に訪れる体験ではなく、おそらくは奇跡のしかし一回性であっても到来する体験となりうるだろう]。

 だが共苦があったとしても、決して「苦しみ」自体は理解しえない。私たちが結びうる関係とは、本質的に「コミュニケーションの限界を決める」(p.76.)関係なのである。

 だからこそForestは、「修復不能なもの、慰めようのないもの」を排除しようとする考えに反発をする。彼にとって、死とは何らかの技法によって肯定されるものではなく、教訓を含んだり、人生に勇気をもたらすために用いられるものではない。人ができることは、慰めることでなく、喪という逃れることのできない現実にいる人の「証人」となることであると言う。

 次に、compassion, empathie, pitiéの語をめぐって二人の考えが展開される。Forestは、前述されたpitiéについては否定的ではなく、バルトの『小説への準備』では、pitiéが小説という存在の根拠であり、プルースト、トルストイ、ルソーが引用されており、「ロマネスク」の成立に、「ほとんど非個人的ともいえるpitiéの言葉」があるとバルトが指摘していることを評価する。

 Delecroixは、empathieは、語源が「内側から苦しむ」という意味で、「他者の苦しみをその地点において苦しむ」ことになり不適切であろうと述べている。「人が他者の苦しみに苦しむのは、まさにその他者の場に自分は決して立てないからであり、他者の苦しみは決して伝わらないという事実に苦しむ」(p.80.)のだ。compassionについては、cumが「同一」ではなく、「類似」を意味することから、喪の問題を考える上では適切ではないかと述べる。

 またDelecroixはForestが用いた「証人」について、証人が証し立てることは、「他者が苦しんでいることに苦しみながら、他者の苦しみと私たちの本質的な無力について証人する」(p.80.)ことだとする。

 「証人」に関してForestはプリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』を引き、本当の証人とは「溺れたもの」なのだが、彼らが証言できない以上「救われたもの」がするしかない、しかしそれは「代わり」であり、「義務はあっても権利のない」証人なのだ。Forestの小説Sarinagaraの登場人物で、長崎の原爆を写真におさめた山端庸介もそのような証人だ。彼がファインダーを通して長崎を見たのは、ひとつの「防御反応」であったとされる。ここにはアートの存在意義もかかっている。アートは、表象するという不可避の行為によって、「見せることの無力を意識した、不安で罪の意識をかかえたままの証言形式のひとつ」(p.82,)なのである。

 最後の話題は「終わりのない喪」である。二人は再び「メランコリー」を取り上げる。Delecroixは、フロイトは「喪の作業は覆うこと、あるいは忘却で終わるとは主張していない」として、過去はそのように封印されるものではないことを強調する。Forestは「メランコリー」は、自分にとって、生と現実への関係のあり方を指す語であるとしている。この場合のメランコリーとはDelecroixが言う「失われたものへの愛着」(p.90.)である。ただし過去への回帰を望むノスタルジーではなく、メランコリーはあくまでも「現在時において、失われたものとの関係」を考える心性である。一方で欝(dépression)とは、失われたものを、失われたものそのままに保存することである(p.91.)。最後にForestは、喪の状態に「絶望」という言葉が用いられないことを指摘する。そして文学の役割を、絶望がもたらす「もはや取り返しがつかないこと」を明るみに出すことであるとしている。