Dominique Viart, De la littérature sociale ? (2026)

文学と社会学の関係性について考察した論文集の序論である。内容を要約する。

19世紀文学において社会を表象することが試みられた。それは「住民登録を作ろうする」野心をもったバルザック、現実を標榜したシャンフルリー、« littérature exposante » を好んだフロベール、さらにゴンクール兄弟、ゾラなどが挙げられる。20世紀に入っても、社会階級を観察したプルースト、マルクス主義に立脚したアラゴン、二ザン、庶民の生活を描いた作家たち、社会の一大描写を繰り広げたロジェ・マルタン・デュ・ガールやジュール・ロマンがいる。
 この時代の流れと並行して、19世紀に社会学が生まれる。René Worms,Gabriel Tarde とりわけÉmile Durkheimが挙げられる。続いて、方法論、理論の面ではMarcel Mauss, François Simiand et Maurice Halbwachsといった研究者が現れる。ただし文学者には社会学に興味を示す者もおり、マルクス、エンゲルスも「人間喜劇」に興味をしめしたが、一般には科学を標榜する社会学は文学と距離をとり、文学を芸術や想像の領域に属するものとみなした。
 James T. Farrell,Richard Wright, Nelson Algren、John Steinbeckの文学とも近かったシカゴ学派の質的な方法論は1930年代に量的方法の社会学にとってかわられることになる。フランスでは文学は、Malraux, de Camus, de Sartreに代表されるような意識の探究へと向かうようになる。20世紀半ばでは、フランス文学は社会観察から遠ざかっていく。その象徴がJulien GracqのLetttrinesに示される「登場人物の手がかりのなさ」である。再び社会が文学的対象になるのは、68年5月を題材にしたRobert Linhart, L'établi(1978)とLeslie Kaplan, L'Excès l'usine(1982)を待たなくてはならない。

「平行線が交わるとき」
しかし「他動詞」の文学が戻ってきたとはいえ、新たな19世紀的なレアリズム小説とみなすことはできない。全能の作者や俯瞰的視野には批判的であるし、また新たな形式を求めようとした。もちろん労働の現場(Leslie Kaplan, François Bon, Jean-Paul Goux...),や都市生活(Patrick Modiano, François Bon, Régine Robin, Jean Rolin...)、田園の世界(Pierre Bergounioux, Richard Millet...),がテーマになってはいるが、形式への配慮が常にある。それは「現実の透明さ」からは程遠いものである。同時に自らの出自、社会階級に関心をむけた「系譜の物語」も生まれてくる。La Place d'Annie Ernaux (1983) et des Vies minuscules de Pierre Michon(1984)である。
 この時期に文学と社会学が近づいていく。社会学においてはRobert Escarpit, Pierre Bourdieu(文学の場)Bernard Lahire, Anne-Marie Thiesse, Nathalie Heinichなどである。文学においてはGeorges Perec, Alain Rémondである。文学研究自体も「ソシオクリティック」という分野を形成していく。
 1980年からの20年間はさらに両者の関係が密接になっていく。違いを観察するという関係ではもはやなく、両者が一緒になって発見と提案を行なっていく時代となる。Nathalie Heinich、 Anne Barrère、Danilo Martucelliによる文学「による」社会学である。
 この20年はさらにこの関係が深化する。社会的な問題が文学の核心に置かれることになる。労働の世界やその世界における対立がテーマとなる(Thierry Beinstingel, Elisabeth Filhol, Maylis de Kerangal, Aurélie Filippetti, Jean-Charles Massera...)。系譜の文学においては、「社会階級の移動」がテーマとなる。この問題については、Annie ErnauxとRose-Marie Lagraveの間で、Didier Eribon, Édouard Louis、Geoffroy de Lagasnerieの間で対話が交わされる。
 社会学においては新しい分野が生まれる。「語りの社会学」と呼ばれる分野で、Jean-François Laé, Annick Madec、Numa Murardといった研究者たちである。彼らはGeorges Perec, Georges Hyvernaud, Albertine Sarrazin, Pierre Michon ou Annie Ernauxといった作家たちに言及している。
 より一般的には、文学は文化的な娯楽であることをやめ、現実の体験や社会的問題をフィクションの対象、物語化の対象にするようになった。そのことによって社会的不安や緊張を表現するようになった。エイズ、アルツハイマー、老い、21世紀に入ってからは性暴力、ジェンダーというった主題である。

Natalie Skowronek, Max, en apparence (2013)

ナタリー・スコヴロネクは、1973年生まれのベルギーの作家である。スコヴロネクには自伝三部作と言われる作品があり、Max, en apparence(2013)は、Karen et moi(2011)に続く二作目にあたる。その後2017年に完結編Un monde sur mesureが発表される。この作品は『私にぴったりの世界』の邦題で2022年に出版されている。

  Maxは、著者の母方の祖父の名前である。ユダヤ人であったMaxは第二次世界大戦中のナチスに連行され、労働収容所に入れられ、炭鉱での過酷な作業をさせられるが、生き残って戻ってくる。しかし先に連行された妻を失い、また自分と同じ時期に連行された両親と3人の兄弟を失っている。作品は、ナチスの強制・労働収容所の体験者である第一世代の祖父を第三世代である著者が一人称で語る形式になっている。第三世代による第一世代の語りという主題は、2006年のDaniel MendelsohnのThe Lostによって大きく注目された。フランスでは2012年、移民としてフランスにやってきたが、やがて連行され、命を落とした祖父母を「調査」したイヴァン・ジャヴロンカ『私にはいなかった祖父母の歴史』が出版される。

 いずれの作品においても第三世代である著者が、第一世代の身に起きたことを明らかにしていくとともに、自らが調査していくプロセス自体が書き込まれる。ただ、Mendelsohnやジャヴロンカの場合、その当事者は戦時中に亡くなっており、事実を明らかにしていくことに困難を極める。それでも歴史の中に還元されてしまうのではなく、彼らの一個人としての存在の確証を求めていくことが書く行為を支えている。その一方で、スコヴロネクの場合は、祖父は生還者であり、著者自身も小さい頃から近くで接していた身近な存在であった。

 しかしその姿は「見かけ上」(en apparence)に過ぎなかった。祖父は自らの戦争体験を語ることはなかった。戦後すぐに商売を始め、しかも冷戦下の東ドイツに物資を流して、かなりの富を築いた。闇商売に従事していたことが示唆される。しかしそれが具体的にどんな商売だったのか、はっきりしたことはわからない。また頻繁に家を空けているうちに、妻と娘を置き去りにして、滞在するベルリンで別の女性と暮らすなど、家族から遠い存在となっていた。いったい祖父は戦時中の自らの体験をどう思っていたのか、その具体的な生業は何で、なぜそのような仕事に従事したのか。そのような疑問が解かれることはなかった。

 戦後、自らの体験、さらにユダヤ性を表に出すことはなかった祖父だが、腕に彫られた囚人番号だけが、唯一消すことのできない過去の痕跡として残っていた。何より著者が、小さかったときの記憶として思い出すのもこの入れ墨である。

 著者は、この入れ墨を出発点に、「見かけ」ではない祖父の本当の姿を明かしていこうとする。実際に著者は祖父母から直接話を聞こうとはしなかった。今ではそのことを後悔している。それでも二人と一緒に時間を過ごしていたということは、「二人の歴史は自分の中にまで入り込んでおり、祖父母の残したもの、体験したことは自分の中に痕跡をとどめている」(p. 87.)と自覚する。

 ただ「彼らの心の中に入っていく」(p. 137.)ことはできず、全てを書き尽くすことなどできようもない。それはMendelsohnがガス室の手前で叙述をやめたこと、ワシーリー・グロスマンが「書き得ないことを書くために詩に身を投じた」ことと同様であると著者はいう。かつて登場人物の視点で描写するといった文学的手法で書き始めたものが途中で挫折したことを踏まえて、今回は、大叔母や母たちから話を聞き、当時の資料にあたり、当該機関に問い合わせて情報を得るなどして、事実を集積していく。その過程で、祖父がいたのはアウシュヴィッツではなく、強制労働をさせられていた鉱山の近くの小さな収容所であったことがわかる。それは過去を語るときに歴史的な規模での理解にとどまり、個別の小さな事象を見落としがちであることを気づかせる。その一方で、祖母のいとこから聞いた話と母から聞いた話が食い違うことも起きる。しかしどちらが正しい事実なのか明らかにすることは、今からでは不可能である。人々はそれぞれの過去の物語を生きているのだ。こうした過去を語ることの可能性と困難さをそのまま作品のプロセスに織り込んで、著者は書いていく。

 だが家族の過去を掘り起こしていくことは、今を生きる人々を傷つけることにもなる。特に母は、戦争の体験を忘れられず、夫から離婚された自らの母の心の傷を思い出さざるをえず、さらに、その影響から、母の暗さを受け継がざるをえなかった自らの過去自身を思い出さざるをえない。そしてその母のもとで育った自分にも、祖母・母の暗さが影を落としていることは否定しがたい。ならば、職を退くにあたって自らの囚人番号の入れ墨を消し、アウシュヴィッツによって語られる自己を否定したルート・クリューガーのように、過去を断ち切り、さらには忘却するほうがよいのではないか、そもそも祖父がそのように生きてきたのではなかったか。と問わざるをえない(pp. 148-149.)。

 それでも書くとするならば、この物語が祖父、母、そして私にもたらしうる意味を問わなくてはならない(p.155.)。著者は、やがて囚人番号が70807であることを思い出し、それを消えない過去の痕跡の象徴とする。ときに、Maxが富や豊かな生活を追い求めのは、瀕死状態であった過去の痕跡を消すためではなかったか。しかしときにその入れ墨が見えるにまかせたのは、戦後ドイツの人々に沈黙を課すためではなかったか。戦後の闇商売は、戦争中の鉱山労働の中で生き抜くために身につけた「教訓」の実践ではなかったか(p. 218)。このように祖父にとっての過去の体験の複雑さを推し量ろうとする。

 こうした問いに答えが出されることはない。だがこの周辺をまわるだけの書くことの実践は、著者にとって、「死者と生者を切り分ける」喪の作業となった。作品にはっきりとした構造があるわけではない。物語にはっきりとした結末があるわけではない。しかしそれでも書くことの意味は明らかになる。第一世代を書く第三世代の作品は、孫としての私の揺れ動くアイデンティティをめぐる問いの実践であるのだ。

Roland Barthes, Écrivains et Écrivants(1960年)

 この論考「作家と著述家」でロラン・バルトは、言語活動には2つのカテゴリーがあると述べている。一つ目のカテゴリーは作家(écrivain)。作家の仕事は「いかに書くか」を問うことであり、そのために作家はことば(パロール)を加工し、ことばを彫琢する。それが作家の役割であり、そのことばは文学言語となり、やがて文学言語は社会の中で規範化され(たとえば国語の授業で文学が使われる)て保護されてきた。

それでも作家は世界と関わらないわけではない。ただその関わり方には距離があり、またその距離によって世界に対して「問い」を発することができる。バルトは作家は「世界を揺さぶる力」を持ちうるとするが、その条件は「参加しそこない」である。参加するとは世界と直接関わりをもつこと、参加しないとは、世の中とは無縁に自室に閉じこもって美的な作品を描いているような「大作家」の態度である。そのどちらでもなく、すなわち世界と距離をとりながら、世界を再現することが、作家のもつ可能性である。

 もうひとつのカテゴリーは「著述家」(écrivant)。日本語では「著述家」という訳語があてられているが、もともとはécrivant、書くという動詞の現在分詞であり、それを名詞としてバルトは使っている(英語でいえばwriter and writingで後者を「書く人」という意味で使っている)。こちらはいわばことば(パロール)を手段としてある目的を達成しようとして活動している人間である、その目的とは「証言、説明、教えること」(邦訳p. 201.)であり、それは「マルクス主義語、キリスト教語、実存主義語」と言い換えられているように、「政治/宗教/哲学」の言語である。

 近代にはいると芸術は資本の対象となり、それが買われたり、消費されることで、流通するものとなる。対して著作家は自己の思想を述べることが第一義なので、それが受け入れられるならば、「ただ」でもかまわないだろう。

 このようにバルトは、言語活動を文学と政治/宗教/哲学を対置させる。そして最後に作家と著述家の混合型として知識人という3つ目のカテゴリーを提示する。彼らは文学が要請してきた文学言語の規範から自由でり、そして著作家たちのように社会に思想を伝えようとする。しかし彼らの思想は、社会によって、うまく飼い慣らされてしまっている。つまり「政治/宗教/哲学」がラディカルに言語活動として実践されれば、それは社会革命へと繋がっていくはずだが、知識人の思想は、社会のなかに包摂されてしまっている。しかもマージナルなところに棲息させられている。これはおそらくサルトルのような知識人への批判なのだろうが、最後に示されているように、社会に制度化された場所(=大学)で、社会批判をしているような大学教授がバルトのもっとも辛辣な批判対象となっている。