フランスのドキュメンタリー映画作家ニコラ・フィリベールにはこれまで、耳が不自由な人々を撮った「音のない世界で」(原題:Le Pays des sourds, 1992年)、精神医療施設ラ・ボルドの人々を撮った「すべての些細な事柄」(La moindre des choses, 1997年)、そしてフランスで大ヒットになった「ぼくの好きな先生」(Être et avoir, 2002年)などがある。

 フィリベールの作品には一切ナレーションがない。映画中に解説が流れれば、その解説者の意図やねらいが多かれ少なかれ伝わってくるものだが、ここにはそれがない。私たちはただそこに映されている人、ものをあるがままに見ようと目を凝らす。

 そのためだろうか。あたかも偶然置き忘れたカメラに映ってしまったものを見ているような気分になる。また「音のない世界で」では聴覚障がい者を、「すべての些細な事柄」では精神障がい者を映していたが、私たちに見えるのは、彼らの一人ひとりの具体的で日常性に満ちた生そのものであり、それによって自分たちがあいまいに持っていた「障がい」についての固定観念がいつのまにか消えていく気がする(それは固定観念が消えていくだけで、「『障がい』などないのだ」と障がいそのものの存在を消すことではない)。

 新作「人生、ただいま修行中」(De chaque instant, 2018年)では、パリ郊外の看護学校で学ぶ生徒たちを主題にしている。そして生徒たちの姿を追うと同時に、生徒と学校の先生、患者、先輩看護師、医師など、直接画面には映らない人々もいるが、そうした人々との間に生まれる人間関係、そしてその関係を結びあわせる言葉、身体も映画の主眼になっている。

 映画は2時間に満たない。さらに学校での授業、学校・病院での実習、先生との実習の振り返りの面談の三部構成になっているので、それぞれのパートの時間は短い。その意味で、この映画は、看護教育のごくごく一部、生徒たちの24時間のごくごく一部が切り取られているにすぎない。

 それでもしかし、映されていない現実世界へと私たちが思いをはせることができるのは、この映画の中には、人物たちが話している「ことば」が絶えずあるからだ。

 第一部の授業の風景の「ことば」。先生たちは教科書やパワー・ポイントを使いながら授業を進めていく。実習に近い授業でも的確な説明で技術を伝えていく。どの先生のことばにもよどみがないことに圧倒される。それはこの先生たちが、書かれているものをただ読んでいるのではなく、知識を単に伝えているのではなく、専門家として、そのことばを確信して用いているからだろう。そして人の命にかかわる仕事である以上、技術だけではなく倫理の面においても、決して曖昧さは許されないからだろう。私たちは先生たちのことばを通して、先生たちの職業意識の高さ、そしてそれを吸収しようとする生徒たちの志に触れるのだ。

 第二部の実習での「ことば」は悩みやためらいであり、そしてことばと意味のずれである。うまくいかないという思いが、力のないことばにあわられる。どんな声を患者にかければいいのかと、ためらう。そして患者のことばは、文字どおりその意味を伝えたくて使っているとは限らない。「そっとしておいて」は、本当は「寄り添ってほしい」という気持ちの反対の表れなのかもしれない。そんな日々の葛藤が生徒たちのことば、体験を通して伝わってくる。

 そして第三部での実習とその実習の振り返りをした生徒と教師との一対一の面談こそ、この映画がことばの映画であることをより一層強く示している。何人もの生徒と教師のやりとりの場面が映しだされるのだが、そのひとつひとつの場面に、やりとりのひとつひとつのことばに私たちは胸を打たれる。

 もちろんそれは内容のせいでもある。先輩看護師の仕事振りをみて自信を失ったり、患者の死に直面して心が強く乱れたり、自分にそもそも適正があるかどうか疑ったり、ひとりひとりが自らの生き方そのものに向かい合っている。こうして吐露される若者たちの心の苦しみは、彼らだけがかかえる特殊な問題ではなく、状況が異なれば、私たちひとりひとりが体験することだろう。その意味でこの映画は普遍性をたたえた作品となっている。

 ここであえて着目したいのは、その生徒と先生との間のことばの存在である。生徒の振り返りのことばに対して、教師がかけることばは単なる返事や、知識を多く持つ者がおこなう客観的な評価ではない。教師のことばは、生徒のことばを丁寧に受け止め、そのことばに新たな意味を添えて、ふたたび生徒に送り返す。生徒は自らのことばが、教師が与えることばと重なることによって、より豊かで、確かな意味づけを持って戻ってくることを実感する。このことばの相互性の中で、生徒は成長するのだ。

 生徒だけのことばではない。教師が一方的に与えることばでもない。生徒ひとりひとりが固有の体験をし、それをことばで語る。そのことばを教師は受け止め、教師なりのことばで表現をし直し、生徒のかけがえなのない体験に先生ならではの意味を与える。そして生徒は自らの体験の意味をより深く受け止め、本当の職業人へと一歩を踏み出す。

 映画を見ながらいろんなことを思い出したり、想像をしたりした。病床で亡くなった父親の姿。入院中にケアしてくれた看護師さんたち。その看護師さんたちに心から感謝をしていた父親の表情。自分もやがて年老いて、病院のベッドの上で看護師さんたちのケアを受けるときがおそらくやってくる。そのときぼくは、少なくとも感謝を込めて、初めて注射を打つ看護師さんに、細くなっているであろう腕を差し出したいと思う。

 フランスの大学で長らく哲学を教えてきたエリザベート・ド・フォントネは、80歳になろうとする自閉症の弟について書くことを決意する。だが、通常のコミュニケーションを取ることのできない弟の何を理解し、何を語ることができるのかとフォントネは自問する。

 この困難さの中で、フォントネは、長い考察を展開するのではなく、ごく短い断章を連ねる形式を選択し、子ども時代の断片的な記憶、そのときに自分が抱いたおぼろげな印象、そして今現在からの推察を重ねていく。どれも確証のあるものではない。その意味で、フォントネに取って弟は、決して埋めることのできないひとつの「空白」である。それでもフォントネは、弟という「不在の存在」をことばによってかたどろうとする。

 弟についての記憶は、同時に家族についての記憶でもある。特にユダヤ系の母親を持つフォントネにとって、第二次世界大戦時のドイツ占領下での家族の苦難は強く記憶に残っており、それによってテキストは小さな同時代的歴史の意味も帯びる。

 作品中には、こうした弟、家族についての叙述に加えて、これまで西洋の歴史において障がいをもった者たちがどのように扱われてきたのかが論じられてる。そしてときに彼らが「何かが欠落した存在」、社会のマージナルな存在とみなされてきたことを批判する。

 それに加えて、例えばドストエフスキーの『白痴』のように、文学作品に登場する「精神的障がい」をもった人物たちについても論じられている。

 ただし、こうした歴史、文学にまつわる叙述は、客観的な考察に徹しているわけではない。それは、西洋思想を「障がい」という主題から振り返り、「人間観」をあらためて検討し直すと同時に、その文脈に、弟が受けてきた治療の意味や、弟の存在自体を位置づけ直すという二重の意味がある。

 このように本書は、記憶と考察を交え、弟・家族の歴史と障がいをめぐる人文学の歴史を交えることで、文学、歴史、哲学、精神医学の諸領域を横断していく、ひとつのジャンルにおさまらない、豊かさを湛えた作品となっている。

-----------------

 本作品は、長らく大学で哲学を教え、多くの哲学書を著してきたフォントネが、初めて私的な主題を取り上げ、一人称を用いて自閉症の弟について語った著作である。

 表題『夜のガスパール』のガスパールは、実名を伏せるためにフォントネが選んだ名だが、ここには19世紀に「野生児」として発見されたガスパー・ハウザーと弟を重ねあわせる意図も含められていた。またフォントネは、弟を理解することの困難さ、弟との意思疎通の困難さを告白しているが、「夜」はその困難さの例えである。

 だが本書は、弟についての私的記憶のみに終始しているわけではない。ガスパールの例がその一端を語るように、西洋社会の中で、ろうあ者、知的障がいをかかえる人々が、どのように扱われてきたか、また文学作品でそうした登場人物たちがどのように描かれてきたかが論じられている。

 この障がいをめぐる考察は、フォントネの哲学的思索の主題のひとつであった、動物の権利の擁護に重なる。フォントネは、動物や障がい者を、人間社会における「異質な存在」とみなし、社会から排除する姿勢を厳しく批判する。

 その姿勢は、本書の中で、フォントネが弟を病名で名指すことを極力避けていることにもつながっている。アメリカの批評家スーザン・ソンタグは『隠喩としての病い』で、エイズや癌などの病名に社会が過剰なイメージ(=隠喩)を付与していることを批判し、これらの名から付属物に過ぎない意味を剥ぎ取ることを主張した。フォントネにも、障がいについて私たちが抱いているイメージから、弟をできるだけ遠ざけ、あくまで人間として描こうとする意思がはっきりと認められる。確かに理解しあえない事実は厳然と存在する。しかし弟はここに存在している。その存在自体をかけがえのないものとするために、フォントネはこのテキストを書いたのだと言えよう。

 社会において「弱者」とみなされた存在に目を向け、その存在の尊厳の回復をはかろうとする本書は、弟の存在に対する感受性豊かな文体と、哲学者としての透徹した知性による文体が、調和し、個人性と普遍性をともに湛えた作品となっている。

 有用性や生産性の名の下で、人々が選別されてしまう社会の風潮を考えるとき、本書は、私たちがあらためて人間存在の尊厳を根本から考え、議論するための大きな示唆をあたえてくれる。

田村尚子『ソローニュの森』(2012)

ラ・ボルド診療所と『すべての些細な事柄』
 フランスの映画監督ニコラ・フィリベールが撮った『すべての些細な事柄』(原題La moindre des choses)というドキュメンタリー作品がある。パリから南に車で約2時間、ロワール地方にある精神医療施設、ラ・ボルド診療所が舞台で、この診療所の日々を、敷地内で毎夏行われる演劇上演の準備と当日の舞台を中心にして描いた記録である。ナレーションはない。カメラは何かをねらって映すというよりも、その画面の中に、あるときは風に揺らめいて木々が映り込み、あるときは散歩をしている人がカメラの前を横切って入り込んだりと、あたかもそこに偶然映ってしまったかのような趣をもつ。
 カメラに話しかける人、料理を準備している人、衣装を選ぶ人...私たちはこの場所にいる人々の生活を観ているうちに、そこがどのような場所なのか、そしてその人々が誰であるのかを次第に忘れていく。特に演劇の舞台に参加する人々をみていると、彼らが、もともと施設のスタッフだったのか、患者だったのかすっかりわからなくなっていく。映し出されるのは、舞台を演じる人々、舞台道具を準備する人々であって、彼らの舞台への関わりを通して、最終的に、私たちの注意は一人一人の個別の存在へと注がれていくのだ。
 もちろんここには監督の明確な意図がある。それは私たちが前提として多かれ少なかれ抱いている、精神病院や精神を病んだ人についてのイメージや表象の徹底的な排除である。フィリベールのドキュメンタリーが優れているのは、その作品が、私たちに何かを教え込むための、教化するための、すなわちある何がしかのメッセージを吹き込むためにあるのではなく、私たちのなかに巣食っている既成概念を揺るがし、物事に付着している一般的な思い込みをそぎ落とすためにあることだ。「患者たちを『精神障がい者』として記号化すること」(注:ドキュメンタリーマガジン『neoneo ネオネオ』no9、萩野亮の『すべての些細な事柄』の作品ガイドによる。p.73)を徹底的に拒んでいるのである。

ジャン・ウリとコレクティフ
 このラ・ボルド診療所は、1953年に精神科医ジャン・ウリによって創設された。ウリの精神医療の方法は「制度を使う精神療法」と呼ばれる。病院という制度的な枠組み、およびその制度で規定される患者とスタッフの区別さえも見直すというラディカルな方法である。この診療所の人々の集まりは「コレクティフ」(collectif)という語で表される。この語は一般には「集団・グループ」という意味であるが、ウリのセミネールの記録『コレクティフ』の翻訳者多賀茂は、ウリがこの語に込めている意味を次のように的確に説明する。
 

ウリにおいてcollectifとは、何らかの集団において、その構成員である個々人が、自分の独自性を保ちながらしかも全体にかかわっていて、全体の動きに関わっていて、全体の動きに無理に従わされているということがないという状態を意味しています。(p.8.)

 集団の中にありながら、自分の独自性を保つということは、先ほど述べた「イメージ」や、「一般的な思い込み」の排除と深く通じている。なぜならば、「イメージ」や「一般」性で人を見ることは、個人を個人としてみるのではなく、ある類型の一例に還元してしまうことだからだ。「医者」ならば「医者」、「患者」なら「患者」という枠組みでしかその個人を捉えないということである。そのとき、医者と呼ばれる人々の、患者と呼ばれる人々の間の実際の差異は看過され、個人はその独自性を失っていく。
 集団の中にありながらも、独自性を保ち続ける実践として、例えば、ラ・ボルド診療所では、みながー患者・医師・看護師・事務の人など-集まって、ディスカッションをして、あらゆることを決めることになっている。毎水曜日の朝に開かれる会議には、だれもが参加することができる。会議では「日常的な些細な出来事」(田村p.108)が話し合われる。それぞれがコレクティフの構成員として参加をしているのだ。
 しかしだからといって、「医者」や「患者」の肩書きを外して活動をすれば、独自性が確保されるという安易な問題ではない。そうではなく、一人格がある属性によってのみ全的に支配されること、あるいはその属性によってしかその個人を理解しないことが問題なのだ。属性によってではなく、どこまで、そしていかにしてその人を人格において理解できるか。このコレクティフな営みにおいて投げかけられるのはこの問いである。ウリ自身、次のように主体の概念について述べている。
 
混じりあって、くっつきあっていてはいけない。言い換えれば、各人が主体として認められていなければならない。(...)均一化と呼ばれることを避ける試みが必要である。(ウリ、『コレクティフ』p.338.)

ある社会、または組織において、ある個人がその存在の特異性を失い、他の個人と区別がつかなくなってしまうような状況、その固定化されたイメージによって、人々が画一化されてしまうことに抵抗すること、これがウリの哲学であり、それが実践されているのがラ・ボルド診療所である。

田村尚子『ソローニュの森』:他者との関係の構築、コード化を拒む

 田村尚子『ソローニュの森』は、このラ・ボルド診療所と、そこに生活する患者たちをフィルムに収めた写真集である。田村は、日本でジャン・ウリに会い、その後ラ・ボルドを訪問する機会を得た。この写真集にはあわせて滞在をした折の文章が添えられている。ちなみにソローニュの森とはラ・ボルド診療所が囲まれている森の名前である。
 田村はここで患者たちと実際に接し、彼らとことばを交わし、そのやりとりの様子を綴っている。「患者」と言っても、例えばフランシスコという男性の第一印象を「本人から話しを聞くまでは、彼が患者さんだとは少しも思いもしなかった」(p.37.)と書いているように、ここで暮らす人々の相貌に「患者のイメージ」は認められない。
 ここで会うのはあくまで一人の個人なのだ。その印象の素直な表明として、田村はみなを固有名詞で呼ぶ。イブ、レミ、クレールといった名前を持つ具体的な人物たちである。そして、家族の話、日本の話など、彼らとのやりとりは、彼らが精神的な病いをわずらった人だとはほとんど感じさせない。時に支離滅裂になったり、変わった行動をとったりすることもあるが、私たちが日常交わしている会話の内容とあまり大差はない。
 単に外から眺めるのではなく、実際にこの「コレクティフ」の中に入ろうとする田村の姿勢には、「利便性を優先する『コード化』を拒み続ける」(p.108.)というウリ自身の言葉の実践が伺える。他者に対しての「利便性を優先する『コード化』」とは、一般的な概念のレッテルを他者に貼り付けて、それで他者を分かった気になっている状態であろう。運転手なら運転手、障がい者ならば障がい者という、普通名詞の一般概念を他者に貼り付け、それ以外の存在のあり方の可能性を見ないような態度である。確かに他者とある属性をコードで結びつけるカテゴリー化の作業は、機能的で、手っ取り早い理解の仕方ではあるだろう。だがそれは一方的なイメージの他者への投影であって、他者の理解とは呼べない。ラ・ボルドの患者クレールがニュース・レターに書いた、治癒にとって必要な「相手をあるがままに受け入れる」(p.62.)という契機は皆無である。
 とはいえ「患者のイメージ」を取り払うことができたとしても、それでその人のことを十全に理解したことには直結しないだろう。またその上で他者をあるがままに受け入れるという態度とは、具体的にはどのような関係をつくることなのだろうか。そもそも他者へのイメージ付与を避けるとしたら、私たちは何を糸口に他者を理解できるのだろうか。さらには他者を本当に受け入れるとき、それは多かれ少なかれ自分を他者に合わせて、自己を曲げた上での他者の受容にならないか。利便性・効率性の社会から離れたところで自己と他者の関係を考え始めるとき、そのような答えのない問いが繰り返されることになる。だがその関係の可能性と困難さを正面から受け止めようとする分、人との関係のあり方を反省する問いはますます深くなっていくのだ。
 ラ・ボルドで、ひとりの人間同士として患者たちとの関係を構築しようとすればするほど、写真家である田村にはこのような問いが浮かび、ときにはこれらの問いに苛まれることすらあったのではないだろうか。なぜならば、写真は、自己と他者との関係を考えるとき、他のいかなる芸術にもまして、他者との関係が相互的ではありえず、一方的にならざるをえない表現行為だからだ。撮るー撮られるの関係は、能動ー受動関係の典型である。写真は、写真家の眼差しによって、相手を対象化する行為である。写真はある視点から、ある瞬間を切り取る。さらに写真家の能動性が強ければ強いほど、自分の狙い通りに被写体を切り取ってしまうことも可能になる。それは自分が前提とする範囲内に他者の存在を収めることにもなりかねない。自分がいかようにも加工できる他者は、すでに他者ではない。
 このように写真が人間の能動ー受動の関係をもたらすことから、田村は写真は「凶器」(p.63.)にもなると言う。カメラを向けることは「その人の心を攻撃してしまうのではないか」(p.63.)と恐れる。写真において、他者は「被」写体となり、撮るという一つの暴力にさらされうる。
 だからこそ、写真家は、他者を手段としないよう、他者との関係によりいっそう敏感になってしまう。そして「他人の存在にもっとも敏感」(p.64.)になるとき、自己と他者との関係構築の新たなあり方の場に直面していることを強く感じる。他者がどのような人であれ、他者の言葉をそのまま正面から受けとめることは楽なものではない。併せて、その他者を受けとめる重さにおいて、自分の存在へも問いの眼差しを投げかけざるをえなくなる。「他者の存在を敏感に感じている私は、実際に何を感じているのか」と。
 そして、田村は他者が「自分のなかにも存在する」(p.64.)ことを感じる。他者との関係に対する敏感な感性は、同時に自分自身にも向かう。自分自身は安定した自己の根拠ではなく、自分の知らない自己、およそコントロールできない自己の存在に気づく。そのような自己の揺らぎが身体的にも精神的にも疲弊を招いてしまい、ある一日ラ・ボルドを離れる。ロワール川を車で1日走りながら、友人たちと話し、自由に写真をとる。そのような時間を過ごしながら、自分の心が閉じた状態であったことを振り返り、再び翌日ラ・ボルドに戻る。この短い旅は、田村にとってのセルフケアだったのではないか。
 私たちが普段の社会生活を送るなかでは、他者へのこだわりがあまりに強いと、それはほとんど拘泥という意味しか持たず、スムーズな、要は表面的なやりとりの障害となってしまう。だがラ・ボルドでの実践においては、他者を考えるとは、記号として固定された前提をどこまでも見直すことを意味した。その実践は、私たちが他者との関係が生まれるその始まりに立ち合うことでもある。他者をあるがままに受けとめ、受けとめている自分を通して、これまで知らなかった自分の中の他者を発見する。こうした未知の存在との出会いは、ときに緊張と不安を強いることであり、心をつい閉ざししまうことにもなるだろう。だが、反対に、他者との関係を生みながら、新たな自分自身をひらく可能性もそこには広がっている。
 ラ・ボルドでの実践は、「対象を固定化して物象化してしまわないための<詩的なロジック>」(p.40.)を作ることだとウリは田村に語る。物象化とは対象を物自体と捉えること、本質的に不変である存在として認めることである。物自体としての存在は、私たちの認識いかんにかからわずそこにある。物象化されたモノ、人間と、私たちの間には、どのような接触も干渉もなく、関係は不在である。
 それに対して、私たちが、自分を取り巻いている世界を物象化しないように努めて生きるとすれば、それはたえず他者と関係の構築のあり方を問うことになる。詩的なロジックとは、お互いの間で意味を力動的に生成することを意味する。詩は新たな意味の創造だからだ。この詩的創造とは技法的なレトリックの創造という意味ではない。そうではなく、既知の範囲内に他者を置く=不動の物質化をすることなく、目の前の他者にたえず新たな存在の様相を見出し、生の動きを認め、それに自分の生をも呼応させることなのだ。他者を一面的に見ることなく、その他者との関係において自己存在の揺らぎをも受けとめるとき、他者の多面性と自己の変容はその姿を現す。その交渉のなかで自己と他者の関係が生成される。この生の呼応関係による新たな生の意味こそ、<詩的なロジック>と呼べるものである。
 対話において、人間の多面性を見出していくこと。それはラ・ボルドで行われている「星座の会議」の意義でもある。ここでの星座とは次の実践を意味する。
 

ひとつの点と点を結んでいくと初めてその形が見えてくる星座のように、その人のことを知る。(p.109.)

この結ぶという行為によって、初めて相手が私たちの前に現れてくる。その人と出会い、その人を理解するとは、自分なりにその点を結んでいき、形を作ることである。この結び方は無限に存在するであろう。人間は生きている以上、たえず生のただなかにあり、そのただなかにある生同士が出会うからだ。とはいえ、それは毎日まったく違った形を見せるといったドラスティックなものではなく、日常に起きる些細なことから構成される。その毎日毎日の些細な事柄をひとつの小さな出来事として新鮮な目で見つめることである。そのとき人間関係は不断の変化として現れ、物象化を拒む可能性がひらけてくるのである。その瞬間こそ「交歓の生まれた瞬間」(p.67.)と名付けることができるだろう。