Pops_Staples.jpg ステイプル・シンガーズの娘たちの父親ポップス・ステイプルズの最後の録音が死後にアルバムとして発表された。ステイプル・シンガーズはゴスペルを下敷きとしながらも、ブルースの音色やポップスにきらびやかさをまとって、彼ら固有のアメリカの音楽を創造した。さらには公民権運動に呼応して、プロテスト・ソングを作曲する。彼らの音楽が時代が流れても聞かれ続けているのは、オリジナリティがあってもひとりよがりではなく親しみやすさがあること、プロテストと言っても体制への反抗とともに、彼らが訴えたのは自らに尊厳を持つことという普遍性があったこと、その2点が大きいと思う。

 歌を歌う娘たちこそがこのグループの華であるが、実は音楽的創造性という意味でこの娘を支え続けたのが父親ポップスであったことを、このアルバムを聞いてあらためて思った。ポップスは1914年生まれ。ということは黒人として音楽に携わるということは、黒人霊歌などあくまで伝統の世界で生きることを意味したはずだ。だがエレクトリック・ギターをかかえた姿からは、一人の音楽家としての人生が浮かび上がる。

 このアルバムの歌とギターは、1998年、死の2年前に録音されたものである。ポップスが84歳の録音である。おそらく死が遠くないことを意識して録音をしたのだろうが、まるで音楽自体が一人の音楽人生を歩んできた老人を通して生まれてきたかのようである。力むところはいささかもなく、十分に艶のある声である。

 本人に発表の意志があったのかどうか、またどのように吹き込まれた曲を完成させようとしていたのかはわからない。ただ彼は娘メイヴィスに«Don't Lose This»と言って歌とギターの演奏だけのカセットテープを渡した。それを聞いたメイヴィスは、この演奏に何かを付け足す必要があると感じる。それは、ブルースとゴルペルスピリッツを感じさせながらも、ひとつのポピュラー音楽として作品化することを考えたのではなかったか。

 そこでメイヴィスは、ウィルコのジェフ・トゥイーディにアルバム制作を依頼する。このジェフの仕事が素晴らしい。デモ録音にたいして、すき間を埋めるような音作りはしない。どの曲にも絶妙な間合いがあって、その音とすき間が、アーシーなリズムを作る。ミシシッピーの川をゆっくりとうねりながらくだっていくような粘り強さを作り上げる。

 そして随所に入る娘たちのバック・ヴォーカル。あたかも同時に録音しているかのように、それぞれの声が生命力を持って響いてくる。父親の声が、娘たちの声によって命を吹き込まれたかのように。

 死者の気持ちや意志を汲み取ることは難しい。ポップスがこれらの曲を吹き込んだときに、どんな気持ちでいたのか、どうしたかったのか、それは推し量るしかない。だが一方で、本人自身、どう作品にしたらよいのか、つかみかねていたかもしれない。本人も、どのように完成に持っていってよいのか見えていなかった音のかけらである。

 トゥイーディは、未然のままの音を音楽にすることに取り組む。おそらくポップス自身も意識できていなかった音の形、それを最小限の脚色によって明確にした。