Jean Echenoz, 14 (2012)

 2012年10月に出版された120ページあまりの小品。ヴァンデ地方のある村から5人の若者が第一次世界大戦に動員されてゆく。小説の始まりは極めて静かだ。5人のうちの1人、工場の会計係をしているAnthimeは、8月のある土曜日、自転車を走らせる。風がそよぐ森の中で読書でもしようと。時刻は午後4時。Anthimeは到着した丘の上で風に運ばれてくる警鐘の音に気づく。

 その後は、もはや誰にも止められない狂った歯車のように出来事が流れてゆく。出兵、入隊、戦闘、負傷、死そして戦争の終わりへ。5人の若者のうち3人は戦死。1人はガス弾で失明して復員。そしてAnthimeは右腕を失って復員。

 心理描写は極力排され、行為と眼差しだけが描かれる。

 行為。開戦後、若者たちは戦争へと駆り出されてゆく。故郷のヴァンデ地方から、アルデッシュでの入隊を経て、ロレーヌ地方へと。途方もない移動距離である。焼き討ちにあった村に入り、戦場で塹壕を掘る。偶然で敵に撃たれ、偶然で敵を殺す。たまたま宿営地を離れてしまい、官憲に捕まり見せしめに処刑される男も。

 行為には普通その行為を行う主体が存在する。戦争においては兵士だ。しかし若い兵士たちで自分の行動の意味や意図、結果を推し量れる者は一人としていない。

 戦争は、一度ねじを巻かれたら、ばねが伸び切るか、断ち切れてしまうまで止まることのない歯車のようなもの。歯車に巻き込まれた兵士たちは、自らの行動の意味が掴めないまま死へと運ばれて行く。自分が死ぬと思える時間さえなく、体を断ち切られ、絶命する。

 その小説の進行を特徴づけるのが、作品中に何度も出てくるplus tard「後になってから」の二語だ。その時点では、ある行為へと突き動かされてはいるものの、それは自らの意志とはまったく無関係である。その意味がわかるのは「後になってから」である。

Tout cela, Anthime ne l'a reconstitué que plus tard, après qu'on le lui a expliqué, sur le moment il n'y a rien compris comme c'est l'usage.
 
こうしたことはすべて、アンティムが後になってから、人々の話を聞いてからようやく再現できたものだ。当時は何一つ理解できなかったが、それが普通なのだ。

 結局歴史において意味が明らかにされるのは、常に出来事が過去に押し込められてからなのである。

 中でもAnthimeの兄、Charlesの死は象徴的である。第一次世界大戦は、当時の最先端の技術を総動員した兵器によって大量虐殺が可能になった歴史的事件であると言われる。Charlesの趣味は写真。おそらく当時としては珍しくカメラを持っていた。そのCharlesを戦死させないように、Charlesの恋人Blancheがかかりつけとしている医師が手をまわす。

 当時飛行機は戦争に使われて始めていたものの、それはもっぱら偵察用であった。航空写真を取り、状況を分析するために飛行機は使われていた。空爆に使われるのは«plus tard»(p。54.)である。カメラを得意とするCharlesを偵察班にしてもらうことで、おそらくは地上戦よりも数段命の助かる見込みが高いと踏んでそのように手をまわしたのだ。

 しかし戦争はこうした意志とは無関係に行為が進行させる。Charlesは、後に本格化する飛行機による戦闘のごく最初にあっさりと撃ち落とされて死んでゆく。誰もそんなことは予期していなかった。予期することはまったく無駄であり、それどころかこのエピソードでは全く逆の結果を生んでしまっている。

 この不可逆的な歴史の時間、人が、歴史の意味を理解しないまま、抹消されてゆく歴史の時間を唯一止めるのが眼差しである。この小説では前述したように心理の描写がほとんどない。その中で描かれるのが、ある人がある人を見る眼差しである。この眼差しを投げる瞬間だけ、歴史の流れが停止する。

 Anthimeは出兵の際、Blancheにただ視線だけを送る。その視線の意味はあいまいなまま説かれることはない。しかし出兵という不可避の行進が続けられる中、この視線だけが、一瞬行進を停止させるかのようだ。兵営地へと向かう汽車の中、AnthimeはCharlesを探し、別の車両にその姿を見つける(p.30)。ここで視線がCharlesへと注がれ、汽車が一瞬停止する。だがやはり視線の意味は問われない。AnthimeはCharlesに声をかけることなく、すぐに車両を離れてゆく。

 眼差しだけが、歴史の流れを止め、一人の人間と一人の人間の間に密やかな関係を作ろうとする。その意味で眼差しは作品にあって人間の唯一の主体的根拠となる。だがあくまでも戦争を前にしてこの主体的眼差しは無力なままである。

 それでも復員後、Anthimeは新しい生活を始める。それは過去を断ち切ることではない。Anthimeは、何度も失った右腕があるような幻覚を覚える。戦争神経症のひとつの症状である。医師は言う。この幻覚は時間とともに消えていくものだが、時に25年はかかることがあると。本人の意志とは無関係に呼び覚まされる喪失をかかえながら、AnthimeはやがてBlancheとの間に子どもを作り、新しい生活へと向かうのである。

 私たちはどれだけ主体的な生を生きることができるのだろうか。Echenozの心理を排した小説は、その限界と可能性を私たちに示してくれる。そしてその生の極限は戦争において私たちに最も強く訴えかけてくる。