天童荒太

天童荒太『ムーンライト・ダイバー』(2016)

 震災・被災の出来事をどのように小説にするか。いや、そもそもなぜ現実の出来事を題材に選ばなくてはならないのか。たとえ書いたところで、小説は何の役に立つのだろうか。天童荒太を読んでいると「職業としての小説家」というイメージが浮かぶが、職業であるならば、それは少なくとも社会のなかで何らかの役割をつとめ、一定の貢献を果たすということになろう。小説家の社会的意義に対して、天童荒太の謙虚さは際立つ。小説家はあらゆる社会的制約から自由だなどと悪びれもせず豪語する人間からは最もほど遠い。また、作家は本来教祖でも、革命家でもない。人々を真理に導くとか、自己の主張によって社会が変革されるとか、幻のような誇張もすることはない。

 読者に教えを垂れる、あるいはこうしたら読者は心地よいだろう、などといった思い込みは最も厳しく自己に戒めているがこそ、この小説は、社会の絆の強さを感じさせようとか、前に進んで行こうとか、スローガンのたぐいとは無縁である。もし「希望と勇気がわいてくる」としたら、それは感動の押し売りだとして、天童荒太は厳しく退けるのではないか。

 では何のために書くのか。それはひとことで言えば「寄り添う」ためであろう。「寄り添う」のは、ときにその相手が絶望の闇の中に身を投じてしまうのをかろうじて押しとどめるため、また極端に明るくふるまうことの過剰さに対して、悲しんでいてもいいことを伝えるためであろう。ややもすれば極端へと走りがちな相手に寄り添うことで、そのあわいにおいて、なんとか正気を保つことができるのだと気づいてもらうため、そのための「寄り添い」である。

 『ムーンナイト・ダイバー』とは、月の明かりだけを頼りに、立ち入り禁止になっている原発近くの海域にもぐり、遺品を回収するダイバーを指す。そのダイバーが主人公の瀬奈舟作。この遺品回収の話をもちかけたのは、文平という初老の船乗り。そして、海から遺品を探し出す計画を思いついたのは県の職員である珠井準一である。珠井は遺品の回収を文平と舟作に依頼し、遺品とひきかえに謝礼金を渡す。当初はひとりの計画が、親しい人々に知られることで、会員を募る会の形式となった。禁止海域にもぐって遺品を取ってくるということの性質上、会の運営には様々な規則がある。ダイバー本人に会うのは珠井のみ。金目のものはどんなささいなものでも回収しない、等々。

 小説の人物像は類型的である。主人公の瀬奈舟作は、漁師だったが、震災と原発事故後、千葉に家族で移り住んだ。両親と兄を亡くした罪悪感を抱きながら寡黙に生きる人物である。文平は、多額の補償金を手に入れたのち遊興にのめり込んで挙げ句の果てに蒸発した息子を持ち、この計画でシビアにお金を稼ごうとしている。珠井は公務員という職業さながら手堅く慎重な人物である。

 そしてもうひとり、時の経過を象徴する人物として、眞部透子という人物が現れる。透子は夫を震災で失くすが、今だにその死を受け入れることができない。夫が死んだという確証もない以上、死を認定することはできないと思いつつも、別の男性からプロポーズをされ、5年目を人生の節目として、新たな生を選択するべきかどうか悩む。そして舟作に夫のつけていた指輪を探さないように依頼する。その気持ちは、はっきりと割り切れるものではない。

「(...)わたしは、あの海から何を期待するのか。願っているものは何なのか、あらためて考えねばなりません。言い換えれば、彼に生きていてほしいのか...それとも」
(...)
「それとも、彼に死んでいてほしいのか」(p.173.)

 このことばからわかるのは、彼の生死の事実ではなく、自分の「~でいてほしい」という願望である。つまり自分の心との向き合い方を苦悩しながら模索しているのである。この揺らぎ、ためらい、その振幅を小説は丁寧に写しとってゆく。

 このダイバーの仕事を請け負うまで、舟作を捉えていたのは「生きている実感のなさ」である。復興のかけ声が巷にあふれても、再び漁にでる気にはなれない。なぜ生き残ったのが兄ではなく、自分だったのか、その罪悪感を心の根底に抱きつづけている。それが重い碇となり、新たな生へと歩み出すことを阻んできた。一方、その生の乏しさと両極をなすのが、この仕事を始めてからの肉を食う、女の体をもとめるという、今度は極端なまでの生の動物的衝動である。それはひとつの暴力的な発作とも言える。相手を食いつくし、自分の圧倒的な支配下に置こうとする昏く渦巻く欲望である。この死への引力と過剰な生への引力の間に引き裂かれているのが、舟作の5年間である。

 だが舟作は、シーズンの最後に潜るとき、死の衝動に突き動かされる。それは海中に浮いている、透子の夫の薬指に違いない指の骨とそれについていた指輪を見つけたときである。制限時間を知らせるアラームの音にもかかわらず、舟作は、その指輪を追い求めようとする。そのとき、彼は左肩に誰かの手を感じる。そして声を聞く。

戻れ、戻りなさい。
諭すように、左肘をつかまれ、後ろに引かれる。腰のところにも手が回される。
 何をしてる、せっかく助かった命なんだぞ、おまえを待ってる人がいるだろう。
 舟作は振り返る余裕もなく、ともかく流れから外れるために、岸側にむかって懸命にフィンを振った。やがて強い海流から外れる。わけがわからぬまま、後ろを振り返った。
 こまかい粒子が舞う潮の流れの吹雪の彼方に、遠ざかる人影があった。
 両親に似た影、兄の大亮に似た影。見知らぬ人の影もある。子どもの影、年寄りの影、男の影、女の影...。人々の影は、すぐに吹雪の奥へと消えた。(p.226.)

 死者の幻影によって、舟作は一命をとりとめる。そしてあらためて、私を支えてくれる死者たちを心に住まわせる。彼らは亡くなった。舟作は「どうか、安らかにお眠りください」と願い事をする。だが、死者たちと私の関係は死なない。たとえその人が亡くなったとしても、その人との関係は不死なのだ。この不死性こそが、舟作を生へとゆっくりと回復させるのではないだろうか。

 それを自覚したとき、舟作は、もはや死への引力と過剰な生への引力のどちらにも引き寄せられることはない。その日常は、震災以前の日常とは違うし、もはや元通りになることはない。私たちは、今後「大切な何かをあきらめて」(p.236.)生きざるをえない。私たちは喪失を抱きながら生き直す。だが死者からの支えを実感したとき、私たちは静かに自らの生を確証する。

 ムーンライトとは、光と闇のあわいにあるおぼろげな明るさの象徴ではないだろうか。私たちの日常はきっとそんなおぼろげな明るさにかろうじて照らされながら生きるものなのだろう。だがそのおぼろげなあわいにこそ、私たちは正気を保つ根拠を見つけなくてはならない。

天童荒太『悼む人』(2008)

 最近の役所は、市民へのサービスということが徹底されているのか、フロアに立っただけで、誘導係が「ご用件は」と御丁寧にそばまでやってくる。ある老婦人が書類を見せながら訊ねていた。「これが婚姻届で、これが死亡通知書で・・・」。おそらくご主人を亡くされ、種々の手続きのため、証書の写しを取りにやってきたのだろう。しかし化粧もみなりもきちんとしたその女性からは、ふと耳にはいってきたことばを聞かないかぎり、夫の亡くした方だとはわからなかった。似た場面がこの小説にもある。主人公の祖父が亡くなった海辺に、家族がたちつくす。しかしまわりの海水浴客は、「誰も目の前で二日前、自分たちが大切に想っていた人が死んだことを知らない様子だった」(p.326.)
 自分にとって見ず知らずの老婦人だから、当たり前といえば当たり前だろう。しかし自分の暮らしている周りには、実はこうして死が偏在している。私たちは外見だけを、さらにその外見にさえ関心をいだくことなく、人々と交差しながら生きている。しかし日常とは、たまたま今日、一瞬すれちがったその老婦人には死が訪れ、私には訪れなかっただけのことなのだ。だから、「家族そろって食事のできる状況を奇蹟とつぶやいた」主人公の反応は、じつはきわめて正気なものではないだろうか。そして、私たちは日常の惰性のなかで、この死を忘却している。
 その意味で、「死の忘却」とは、「自分の死の有限性」を忘れている生き方ではなく、「まわりに満ちあふれている死の事実」を忘れていることだと言った方が、より私たちの日常に接して死を考えることにならないだろうか。こうした死のあり方こそ生(なま)の事実ではないだろうか。
 死の偏在。主人公の4人の祖父母の死が綿密に描かれている。また、出会うことのなかった、2人の叔父の死も、たとえ生の時間が重なることはなかったとしても、主人公の死の認識に、父母を通して、流れ込んでいる。それは「自分の命が渡る」(p.162.)という表現にみることができるだろう。「私」よりも前に生まれ、そして「死のすべて」(p.172.)、それは近親者をこえて、死んだ者たち、会うことのなかった今では死んでしまった者たちも含めて「命の時間」、「命のつながり」が、私に流れ込んでいるのだ。
 会うことのなかった死者は、それだけで、実際におなじ時間を過ごしたことのある死者よりも、遠い存在となる。自分のなかにその人の生の体験が刻みこまれなかった人は、その分、自分にとって、無名の死者に近くなる。
 ならばその無名の死者へと陥らず、その人が生きた確証をどのように掬い出し、記憶にとどめればよいのか。「ぼくは、亡くなった人を、ほかの人とは代えられない唯一の存在として覚えておきたい」(p.114.)、「自分が生きているかぎり覚えて」おきたいという主人公は、問いかける。「(その人は)どういった方に愛されていたでしょう。どんな方を愛したでしょう。どんな人に感謝されたことがあったでしょうか」。それを知れば、たとえ日々ノートを開きその死者を想い起こす作業をしなくてはならないとはいえ、死者が個別の取りかえの聞かない存在として記憶にとどまられ、忘却の淵に沈むことが妨げられると言う。死者として不在となった存在であっても、他者との関係性のなかで、その関係性がどれほどはかないものであったとしても、ある一瞬に、他者と愛によって結ばれたことがあるならば、その人は無名性に落ちてはゆかない。存在の確証が他者の存在によって織り上げられることが、「悼む」ことの意味になっている。
 私たちはどれほどの死者を、その固有性のもとに覚えていることができるだろうか。近親者であっても、やがてその記憶は薄れてゆく。たとえ記憶に残っていても、私の後に生まれ、私の死後も生き残る者たちに、その記憶を語らなければ、やがてはその死者は本当に消えてゆく。
 その意味で、「代弁者」である母のことばは重い。「或る人物の行動をあれこれ評価するより・・・その人との出会いで、わたしは何を得たか、何が残ったのか、ということが大切だろうと思うのです」。他者への無関心とは、本当は、私の心に残されたであろう他者の痕跡に無自覚であるということなのだろう。死者をその完全性(intégrité)において覚えておくことは、不可能である。それでは、生者は死者に仕えることと同じになってしまうだろう。同情で終わってしまうだろう。同情ならばできるかもしれない。自己を死者と同一化することの方が実は簡単なのだから。そうではなく、他者が残した痕跡と対話を交わすこと、他者の痕跡によって自分のなかの血が、肉が、どんな変化をしてゆくのか、そのありようを省察することが生きることになるのだ。だから主人公の生き方はあやうく、正気すれすれのところにある。死に瀕する母の方にこそ、希望が、正気の根拠がある。
 死者の痕跡を自己にといかけることには反省の時間が必要となる。死者を忘れて今あることに生きる安易さに抗し、反省の作業を行い続け、唯一の存在であったと認識できるところまで記憶にとどめることのできる表現を見出すことは難しい。死者はやがて「どうでもいい死者として扱われてしまう」(p.296.)だろう。もしかけがえのない人間として死者を想い起こし続けようとするならば、生者は自分の全生活、全存在を主人公のように「悼む人」にしなくてはならないだろう。だから私たちは喪の作業を終えてしまう。社会的な意味での「正気」をたもって再び生きるために。日常の惰性のなかで生き直すために。
 それは死者を「質」ではなく、「(数)量」でとらえることとも関係している。「誤爆で二十人死亡、テロで百人死亡って数字だけだった死者の、名前も年齢もわかってると知ってさ。本当は当たり前のことなのにな」(p.260.)。世界の戦場を歩くジャーナリストがそう呟く。広島の原爆のこと、その約八時間前に今治で空爆があり、450人がなくなったこと、そこで身内がひとり死んでいることも重なる。原爆の死者から身内のひとりの死者へ、死に軽重がないことが語られるとき、どんな死も量ではかることができないとことがわかる。ひとりに死者から原爆の死者へと思いをはせるとき、その死者ひとりひとりに名前も年齢もあったことがわかる。
 当たり前のことを当たり前と気づかず、あるいは気づこうとせず生きてゆくこと。そこまで死に意識をはらうことなく生きてゆくこと。それが社会的な意味での「正気」だ。ただしその社会とは、死が排除された、生の背後に死者の匂いを嗅ごうとはしない無臭化された社会という意味だ。そのとき死者の遺体は、「生きている者にとっては、もうただの死体」(p.296.)となる。
 他者との接触による自己の変容。あるいは自己の内面の省察。そのために、「目撃者」や「随伴者」といった、主人公との人間関係をあらわす役割が章のタイトルとなっているのだろう。自分の知っている人間にたいして、自分に何が残されたのか真摯にといかけること。その他者との関係が、やがては自らの知らぬ他者へとつながってゆくと考えたい。火をつけられ殺された女が、社会の底辺を記事にすることを生業にしている記者を通して、まったく知らない、やくざの女へとつながり、その女が決断をするように。その関係が感謝ということばで表されるとき、「感謝の言葉は、告げた当人へ何倍ものかたちで返されるに違いない」(p.331.)。
 もうひとつの変容は、命の変容だ。祖母の死と孫の誕生という時間の重なりが、「生まれ変わる準備かしら」(p.323.)と死に逝く者に思わせる程、存在そのものの命のつながりを喚起する。
 小説の最後では、<魂の耳>にとどく、息子の声と体感と孫の泣き声が、死に逝く生者である祖母によって語られる。Paul Ricoeurのvivant jusqu'a la mortという表現がこれほど見事に表された例はないだろう。だから私たちは看取るのだ、死者ではなく、死の瞬間まで生きる生者を。

 この小説で扱われる死者たちはニュースで知りうる死者たちである。しかし、主人公がある時に出会った老人は次のように言う。「うちの女房のことも、せっかくだから悼んでもらえるかな」。平板な死も特別な人の死だ。次は日常の死をどのようなことばに表せるだろうか。そのことばに出会いたいと思う。