Delecroix, Vincent, Forest, Philippe

 宗教哲学を専門とするVincent Delecroixと『永遠の子ども』などの小説で知られるPhilippe Forestの喪をめぐる対談集である。対談という性格上、喪を巡ってさまざまな話題が縦横無尽に言及されている。

 西洋哲学の長い歴史の中で扱われてきた「死」は自己の死であった(キケロ、ニーチェ、ハイデガー...)。それに対して喪失、あるいは喪が主題となったのは、ナチスによる大量殺戮が起きた20世紀後半以降である。ただその例外がキルケゴールであり、Delecroixはその専門家である。またForestの小説家としての活動は幼い娘の死がその出発点となっている。

第1部第1章「単独性の体験」
 彼らにとっての喪とは根本的に「個人の代替不可能な体験」(p.21.)である。Forestは、そのため自分の作品は時に俗な文体になったとしても、具体性にこだわっていると言う。また、喪の体験とは、ジョルジュ・バタイユの言う「内的体験」「呪われた部分」、すなわち個人を正常で有用な領域から引き離す体験であるとされる。

 それを受けてDelecroixは、喪の体験が「絶対的な瞬間」(p.23.)であると同時に、拡張される時間の体験であると指摘する。喪の体験は、今後その体験とともに生き続けることを意味する。そしてその継続性の中で、喪の体験は言葉にされ、言語化することによって他者の参入が生まれ、さらには、宗教的・哲学的な表現を生んでいくとされる。

 喪の体験は根源的に個別の体験でありながら、共通の体験でもあるというパラドクスを含んでいるのである。それをキルケゴールは「主観的真実」と呼んだ。私たちが共有できると同時に私たちの間を遠ざける性質をもつ真実である(p.31.)。

 一方Forestは「代替不可能性」にこだわる。とりわけ現代社会において、ひとつはクローン技術による「複製の可能性」があること、もうひとつは社会そのものが「代替可能」なもので成り立っていることを指摘する。特に「私」へのこだわり、他者と異なる「私」へのこだわりは、実際には、異なるという意味においては差異のない「小さな私」がつながりを欠いて存在するだけであるとする(アドルノの物化への参照)(p.34.)。

第1部第2章「喪を行うーイデオロギー批判」
 この章ではフロイトの「喪とメランコリー」への批判が展開される。その出発点は「失われた存在は永遠に失われたままだ」(p.41.)という認識である。「リビドーが失われた愛する対象への固着を弱めることで、自己が生かされるようになり、やがて欲望は違う対象に向かうことになる」と要約されうる喪の作業は確かに永続する喪失とは対立する論であろう。しかしながら、フロイト自身の考えは多分にニュアンスを含んでいる。例えばここで引かれている1929年のビンスワンガーへの手紙では、息子を亡くしたビンスワンガーに対して「このつらい喪は癒されるものではないし、失ったものの代わりは決して見つかることはなく」、「その場所を占めるものがあったとしては、それは常に何か違うものです」と書いている。

 ただしForestは、喪のさなかにある人に対して、「ページをめくるべきだ」という命令がよく聞かれるとし、特にそれがボリス・シリュルニック一派の「レジリアンス」の考え方だと言う。Forestによれば、それは、「自らを死者たちから断ち切ることによって、不幸を遠ざけること」(p.44.)に他ならない。立ち直ることの要請は社会からの要請であり、レジリアンスの「解放的な効果」はまさにこの社会の要請と合致することになると批判する。

 ここからDelecroixは現代社会が「傷ついた者」を恐れていること、「常態化」を求めていること、つまりはアドルノのいう「健全なものを求めるという病」の状態にあることを指摘する。そしてこれが必ずしも現代だけの問題ではないのは、たとえばフレイザーの『金枝篇』で、喪に服す者は死者と関係を結んでいるという意味で共同体にとって脅威の対象であると言われていることからも理解できる(p.48.)。

 「喪とメランコリー」を再考するために必要なのは、Delecroixによれば、ポール・リクールの『記憶・歴史・忘却』とジャック・デリダの『マルクスの亡霊』である。両者ともに「作業」(le travail)という用語の再検討がされている。リクールについてはそれが経済論的観点から、デリダについては、「喪の作業は作業のひとつではなく、作業そのものである」ことから再検討がなされている(p.50.)。作業とは、文字どおりには「消滅させると同時に存在せしめる」(p.51.)過程である。そして喪とは「現在に存在していないが、不在でもない、存在ではないが、非ー存在でもない、失われているが失われたものとしてある」状態である(p.51.)。しかし同時に喪の作業は「亡霊を追い払う、黙らせる」作業でもある。それは父の亡霊を前にしたハムレットと同じであろう。この二重性のパラドクスの中で、喪の作業は、存在を持たないものに存在を与えることとなる。「喪とは常に存在せしめることにある」(p.51.)。このパラドクスは「他者を自己のうちにとどめるためには、喪は不可能でなくてはならない。体内化も取り込みもできないのだ」というデリダ自身の言葉に現れている。
 
第1部第3章「集団的喪と記憶の義務」
 この章の冒頭ではリクールの『記憶・歴史・忘却』について語られる。喪はこの浩瀚な作品の最後の「赦し」まで続く一貫した主題である。リクールにとって、喪は、残された者が死んだ者に「なぜ死んでしまったのか」と相手を責める気持ちを持っていることが前提となっている。そして死者と関係を結ぶ行為は、この相手の「死んでしまったこと」を赦す行為となる。そしてそれは、「記憶の過剰」でも「忘却の病理」でもない。リクールは、「過去へのおだやかな関係の条件」を集団的記憶においても(歴史的な罪の赦し)、個人の記憶においても(死んでしまった相手への赦し)探すことを思考する。

 それに対してForestは、自分が強く感じるのは「赦し」とは真逆の「罪悪感」であるという。したがって赦しがあるならば、それは「生き残ってしまった」自分に対してであるとする。

 次に扱われる問題は、「個人の喪」と「集団の喪」の関係である。これについてはForestの2つの作品SarinagaraとLe Siècle des nuagesを通して検討される。Forestにとっては、「集団的喪へと達するのは、あくまでも個人の喪を通して」である。そうでなければ、「パンテオン化」(p.60.)に見られるように、喪の行為は、単に「死者を顕彰」するだけになってしまう。Commémoration(追悼)は喪ではないのである。

 それに続いて、作家が、自らが体験したのではない出来事を語る条件について考察される。Forestは、自分が広島や長崎について語ることができたのは、特別な詩的形式を作品に導入したからであり、それによって自らは登場人物の背景へと退いているからである。また、Forestは、語り手が直接の証言者のように語ったり、登場人物や犠牲者があたかも自らを引き立てるように一人称で語る作品を批判する。作家が用いる言葉は、「自信に満ちた、傲慢な言葉」(p.65.)ではなく、自らが語る対象となる人、事柄との関係によって限定される「自信のない言葉」なのである。

第1部第4章「喪にくれる者のかたわらで」
 第4章の主題は、喪をとりまく社会の問題である。Forestにとって、メランコリーは時に人々をやさしく迎え入れる場所となる。彼にとっては、「病という状態から人を健全な場所へと社会復帰させる」ことが問題ではない。病は「恥ずかしい衰え」でも「隠すもの」でもないからだ。だが、「健全な社会」は、「病」と自らを二項対立化させながら、病者あるいは喪に苦しむ者を排除する方向へと向かう。

 そしてその行き着く先は、「病者に病気の責任を負わせよう」(p.70.)という態度である。そしてこうした態度に付随するのが「信じれば救われる」というような精神論であるとDelecroixは言葉を引き取る。それこそがまさにヴォロンタリスム(volontarisme)のイデオロギーである[これは新自由主義や自己責任論ともつながる考え方であろう]。

 では喪の状態におかれた人をどう支えるのか。Delecroixは、私たちは喪の苦しみの中にある人を支えることはできず、苦しみを和らげることはできないという。しかしそれにも関わらず、私たちは(つい)そばにいたり、何か言葉をかけたりしてしまう。そして私たちがこうした行為をするのは、その行為に「効果はなく意味しかない」(p.73.)という無力さのさなかであると言う。「意味しかない」というのは、シニフィアン「意味するもの」しかなく、それが「何を意味するのか」は知りえないということだ。たとえば、「そばにいる」というのはただ「意味するもの」であって、それが何を意味しうるのかは、まったく自明ではないのだ。

 ここでDelecroixはポール・リクールが『死まで生き生きとVivant jusqu'à la mort』で引用している緩和ケアの専門家たちの言葉に言及する。Decroixはリクールの論を次のようにまとめる。まず死の体験とは、私たちが看取る他者の死であること、とはいえ他者の死とは決して先取りされるものでないこと、専門家たちはagonisant(死に臨む)をmoribond(瀕死の人)とは決してみなしていないこと(agonisantはvivant jusqu'à la mortー死までは生きている)と、そしてagonisantによりそう私たちの視線にあるのは、compassion(共苦)であること[だが、おそらくはそれは私たちに常に訪れる体験ではなく、おそらくは奇跡のしかし一回性であっても到来する体験となりうるだろう]。

 だが共苦があったとしても、決して「苦しみ」自体は理解しえない。私たちが結びうる関係とは、本質的に「コミュニケーションの限界を決める」(p.76.)関係なのである。

 だからこそForestは、「修復不能なもの、慰めようのないもの」を排除しようとする考えに反発をする。彼にとって、死とは何らかの技法によって肯定されるものではなく、教訓を含んだり、人生に勇気をもたらすために用いられるものではない。人ができることは、慰めることでなく、喪という逃れることのできない現実にいる人の「証人」となることであると言う。

 次に、compassion, empathie, pitiéの語をめぐって二人の考えが展開される。Forestは、前述されたpitiéについては否定的ではなく、バルトの『小説への準備』では、pitiéが小説という存在の根拠であり、プルースト、トルストイ、ルソーが引用されており、「ロマネスク」の成立に、「ほとんど非個人的ともいえるpitiéの言葉」があるとバルトが指摘していることを評価する。

 Delecroixは、empathieは、語源が「内側から苦しむ」という意味で、「他者の苦しみをその地点において苦しむ」ことになり不適切であろうと述べている。「人が他者の苦しみに苦しむのは、まさにその他者の場に自分は決して立てないからであり、他者の苦しみは決して伝わらないという事実に苦しむ」(p.80.)のだ。compassionについては、cumが「同一」ではなく、「類似」を意味することから、喪の問題を考える上では適切ではないかと述べる。

 またDelecroixはForestが用いた「証人」について、証人が証し立てることは、「他者が苦しんでいることに苦しみながら、他者の苦しみと私たちの本質的な無力について証人する」(p.80.)ことだとする。

 「証人」に関してForestはプリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』を引き、本当の証人とは「溺れたもの」なのだが、彼らが証言できない以上「救われたもの」がするしかない、しかしそれは「代わり」であり、「義務はあっても権利のない」証人なのだ。Forestの小説Sarinagaraの登場人物で、長崎の原爆を写真におさめた山端庸介もそのような証人だ。彼がファインダーを通して長崎を見たのは、ひとつの「防御反応」であったとされる。ここにはアートの存在意義もかかっている。アートは、表象するという不可避の行為によって、「見せることの無力を意識した、不安で罪の意識をかかえたままの証言形式のひとつ」(p.82,)なのである。

 最後の話題は「終わりのない喪」である。二人は再び「メランコリー」を取り上げる。Delecroixは、フロイトは「喪の作業は覆うこと、あるいは忘却で終わるとは主張していない」として、過去はそのように封印されるものではないことを強調する。Forestは「メランコリー」は、自分にとって、生と現実への関係のあり方を指す語であるとしている。この場合のメランコリーとはDelecroixが言う「失われたものへの愛着」(p.90.)である。ただし過去への回帰を望むノスタルジーではなく、メランコリーはあくまでも「現在時において、失われたものとの関係」を考える心性である。一方で欝(dépression)とは、失われたものを、失われたものそのままに保存することである(p.91.)。最後にForestは、喪の状態に「絶望」という言葉が用いられないことを指摘する。そして文学の役割を、絶望がもたらす「もはや取り返しがつかないこと」を明るみに出すことであるとしている。