Adams, Ryan

Ryan Adams, III/IV (2010)

ryan_adams_iii_iv.jpg Ryan Adamsのニュー・アルバムが昨年末に出た。タイトルは『III/IV』。CD2枚組。カーディナルスとの共作として3枚目と4枚目にあたるという意味だろうが、それぞれのアルバムでコンセプトが違うわけでもない。曲の順番など雑然としていてとても考えて並べたとは思えない。単に出来上がった曲を適当におさめたら、CDの容量を越えてしまったので、じゃあ2枚組にしてみるか、という風采だ。しかも紙のジャケットの両面に裸のCDと歌詞カードが突っ込んであるだけで、何だかがさつだ...

 というわけでラフでヨレヨレの曲が脈絡なしに並んでいるのだが、それでもやはりRyan Adams。練りきれていないように聞こえて、どの曲も人を引き込む魅力で満ちあふれている。時間にして3分に満たない曲がほとんど。基本はギターぎんぎんのストレートなロック。

 毎度のことだが、今までのロックがさんざん聞かせてきたおなじみの「約束事」のようなメロディのオンパレードだ。中には『III』の4曲目Ultraviolet Lightのように『Easy Tiger』を彷彿とさせる曲もある。ただ全般的には80年代のニューウェーブ調の懐かしさを感じさせる曲が多い。同じく5曲目、Stop Playing with my heartはわずか2分半の曲。青春歌謡のような瑞々しくもいささか単純な曲。最後の10曲目は一瞬ヴァン・ヘイレンのデビット・リー・ロス?と思ってしまう。『IV』のトップNoでの、エッジの効いたギターの単純なリフなどは、Birthday partyを彷思いださせる。

 しかしそれでも陳腐にならないのが、Ryan Adamsが一流である証拠だろうか。今回のアルバムはそうしたなじみのメロディを、なじみのバンドで一発で演奏した印象である。サビで同じフレーズを連呼するような曲が結構多い。とにかくスピード感があって一気に聞かせてしまう。このあたりがRyan Adamsの力量か。

 むらっ気のある求道者、老成した若者、一筋縄ではいかないパーソナリティは健在と思わせるアルバムだ。

Ryan Adams, Cardinology (2008)

cardinology.jpg 今年のRyan Adamsの新譜が出た。Easy Tigerと同じゆとりのある雰囲気を漂わせながら、正統的なアメリカン・ロックを堪能させてくれる曲が並ぶ。

 青春の最高傑作Heart Breakerのようなナイーブなところは影を潜め、Rock'in Rollのようなニュー・ウェーブのひ弱さのようなものもすっかり払拭されている。

 もちろん憂いに満ちた曲もある。しかしAdamsのヴォーカルは酔いどれのつぶやきではなく、あくまでも骨太で、シャウト寸前の歌いっぷりだ。曲の沈んでゆく感覚と歌の激しさのアンバランスが素晴らしい。

 Easy Tigerよりもとにかく曲がヴァラエティに富んでいる。Magickのようなバンドの緊迫感を感じさせる曲は、前回のEasy Tigerとは違うところだ。いたって短い曲だが、密度は濃い。次のCobwebはU2っぽいニュー・ウェーブの残り物のような曲で、途中のギターのリフがダサイ。ヴォーカルのエコーもダサイ。でもキャッチーで、深みもあってと、なんだか中途半端な曲だけど引き込まれる。かと思えばEvergreenのような可憐な小曲もあり、Like YesterdayのようなCold Rosesを思い起こさせる泣きのギターに心を揺さぶられる曲もあり、これでノック・アウトだ。最後はピアノの弾き語りでRyanの優しい声でしめくくられる。

 アルバムのトータル感はEasy Tigerのほうがあり、今回は多少散漫なところもなきにしもあらずだ。朝聞いたほうがよいのか(Goldの前半のように)、深夜に聞いたほうがよいのか(Goldの後半のように)・・・しかしどんな曲も聞いた瞬間にRyan Adamsでしかありえない。駄作、傑作という評価の定規にひっかからないところがこのミュージシャンの偉大なところなのだろう。

Ryan Adams, Rock N Roll (2003)

rock_n_roll.jpg お決まりのリフ、無駄なシャウト、どこかで聞いたことのあるおなじみのメロディ展開、そこらへんに落ちている、「ロックンロール」の常套句をちりばめたこのアルバムは、普通のミュージシャンであれば、オリジナリティのかけらもない失敗作として、片付けられてしまうだろう。

 でも、Ryan Adamsのアルバムに感じることは、「この程度のことならば、やってしまえる」という、不敵さだ。「ロックンロール」は中途半端な、彼のアルバムにして珍しく、ボーナストラックの方が本編よりいいのではと思ってしまうほど、本心の見えないアルバムなのだが、「望みとあればくだらない作品だって作れるぜ」という歪んだ心情を堪能できるところに、Ryan Adamsの一筋縄ではいかない、持って生まれたロック気質を感じてしまう。こうしたアルバムが出てしまうと、あくせくとロックンロールのパーツを接ぎ木してアルバムを作っている凡百のミュージシャンは塵と消えてしまいそうだ。とはいえ、これは音楽の健全な聞き方ではないだろう。音楽を聞くというより、ミュージシャンの破天荒な生き方そのものに音楽を通して接しているようなものだ。

 Neil Youngのアルバムにもそうしたものを感じてしまうことがある。アルバムそのものの楽曲より、こんなアルバムを作ってしまう人間とはいったいどんな人間なのだ、という人本位の聞き方だ。

 実際一曲目から、どう考えてもミスマッチなプロデュースでしかない楽曲が並ぶ。ヴォーカルも一歩調子だし、サビも、今は死語かも知れないが「産業ロック」のエッセンスがふんだんにぶちこまれている。シングルカットされたらしい5曲目のSo Aliveなど、ギターのメロディの陳腐さに苦笑いをしないではいられないほどの、古びた80年代ブリティッシュロックを聞かせてくれる。そして10曲目のアルバムタイトル曲Rock N Rollだけがピアノの弾き語り、しかも中途半端なフェイドアウトというふざけ方である。

 結局はRyan Adamsが好きだからこそ、こんなアルバムにも価値を認めてしまうのだ。こうした生き方をしてしまうロック・ミュージシャンだからこそ、駄作にもリスナーとして愛を注いでしまうのだ。ミュージシャンにつきあって、新譜がでればどんなものでも買ってしまう、Ryan Adamsはそうしたつきあい方をせまられるミュージシャンである。

 日本盤のボーナストラック「Funeral Marching」はなかなかの名曲です。

Ryan Adams, Cold Roses (2005)

cold_roses.jpg CDで2枚組、原盤は18曲入りのアルバムである。といっても散漫な作りの曲は1曲もない。Ry CooderやJohn Hiattあたりの作品に敬意をはらいながらも、しかしそうした完成度の高さとは無縁でありたい、いつまでも未熟でありたいというロック的な激しい欲求が「オルタナ・カントリー」というような安易な呼称を斥けている。親しみのある思わず口ずさみたくなるメロディでありながら、しかしけっしてBGM的な心地よさへとリスナーを誘いはしない、正面切った叫びがこの作品をまさにロックのアルバムにしている。

 曲はどれも、ひとひねり効いていて、単純な展開を許さない。たとえばCherry Laneは、ガレージバンド風な始まり方をするが、途中でささやかれるI can never get close enoughのリフレインはほとんど後期のフリードウッド・マックといってもよいセンチメンタルな曲調だ。しかしそんな展開もまったく無理なく聴かせてしまう曲作りの才能が彼にはある。

 Goldはまさに青くて、胸がひりひりさせられるが、Cold Rosesはもう少し、自分に対する距離感が生まれているようだ。また演奏そのものも、バンドに対する信頼が、安定感を生んでいるのか、余裕が感じられる。もちろんGoldもよいアルバムなのだが、多少型にはまりすぎた曲もあるのに対して、Cold Rosesは、アルバムのトータルなイメージがきちんと作り込まれている。どの歌詞にもroseがちりばめられいて、ちょっときざなのも、かれの羞恥心の現れのような感じがしてとてもよい。

 Ryan Adamsのヴォーカルは、Stan RidgwayやChris Isaakなど、憂愁を帯びた感じなのだが、センチメンタルな叙情には流されない激しさを持っている。それが彼のどのアルバムも生々しい感情を感じさせる理由だ。

 60年代にBob Dylanの音楽が生まれ、70年代にはそれをBruce Springsteenが受け継いだ。どの時代にもその時代と対峙するボブ・ディランが必要ならば、00年代のディランはこのRyan Adamsだ。ファースト・ソロアルバムHeart Breakerの2曲目To be Youngの始まりは、完全にSubterranean Homesick Blues Farm、あるいはMaggie's Farmのそっくりコピーだが、これは単にディランへの憧憬ではない。ディラン程度のことなら、こんなに簡単にコピーしてしまえるという、Ryan Adamsの若々しい、不敵な決意の宣言だ。しかしその決意は、まさにHeart Breakerという言葉が表すように、傷を隠しきれないナイーブさと同居している。Dyranは70年代にはいってThe Bandと組む。Ryanも同じようにCardinalsというバックバンドとくんで、Cold Rosesなどのアルバムを作りあげることになる。それによって、たくましい土着のアメリカン・ロックをこの時代に謳いあげることに成功した。その骨太さがいかんなく発揮されたのがこのアルバムだと言える。