Robert Boberは1931年生まれ。去年出版された本書は、90歳近くになって書かれた。Boberはテレビ番組用の文芸ドキュメンタリーを多く撮影した映像監督として知られるが、そのシナリオを担当したのがPierre Dumayetであった。二人は長らく仕事のパートナーであり、同時に強い友情関係で結ばれていた。本書は、2011年に亡くなったその友人にtuで呼びかけながら書いた長い手紙である。
Dumayetは手紙の宛先であって、亡くなったDumayetがどんな人物かが書かれているわけではない。Boberは、あくまで親しい友への私信として、二人が手がけてきた映像作品を中心に、思い出を語っていく。手元に残された、仕事の資料、写真、Dumayet自身の文章などから、思い出すがままに語られていくので、作品には、はっきりとした構成も、章立てもない。Boberは「この無秩序に手をつけることはしない。この無秩序は、思い出の秩序に結びついているからだ」(p. 275.)と言う。あるエピソードが、間を置いて、再び語り直されもする。あたかも長年の友人と思い出話をしている様子がそのまま書き写されたかのようである。
親しい友人と話すとき、何を話すかあらかじめ決めているわけではない。興に任せて話題は移っていく。話しているうちに別の昔の出来事を、まるで昨日のことのように思い出したりもする。再び前の話題に戻ったり、「脱線」をしながら私たちは会話の時間を楽しむ。この作品はそうした、うちとけた会話の自在さがそのまま語りとして文字に移されている。
同時に書いている現在も作品の中に現れる。Boberは書いたものを読み直したこと、それによって思い出だされた出来事を新たに書いていくこと、その過程自体も書いている。その言葉自体も、Dumayetを宛先としており、あたかも確認作業を二人でしているかのような印象を受ける。
はっきりとした構成はないが、それでもこの作品には、ひとつの主題が流れている。それはイディッシュ、ハシディズム、ユダヤ性である。Boberの一家はもともとはポーランドの出身のユダヤ系である。だがポグロムが頻発するなかで、祖父はアメリカへの移住を決める。そしてアメリカ大陸まであと一歩まで近づくものの、エリス島で、トラコーマと診断されて、ヨーロッパへ戻されてしまう。そしてBoberの両親は、ナチスが台頭するドイツからフランスへと移住する。Boberは一歳半だった。両親はButte-aux-Caillesで商売を始めるが、ドイツ軍の占領下、Boberは「隠された子どもenfant caché」としてかくまわれ、命を救われる。そのBoberの戦争体験から語られるユダヤの歴史と現在が本書のひとつの特徴である。
例えば二人が手がけた番組としてジュネーヴのラビであるアレクサンドル・サフラン、『Le Dernier des Justes最後の正しき人』のアンドレ・シュヴァルツ=バルト、マルティン・ブーバーの『汝と我』に言及される。
また、はっきりとした構成がない代わりに、想起や連想によって出来事から出来事へと文章は進んでいく。たとえば、Dumayetが自分の著作で、鳥類学者のJacques Delamainの著作Pourquoi les oiseaux chantentを番組で紹介できず後悔しているくだりでは、戦場の最中に、鳥の声を観察しているDelamainの日記に言及されている。Boberは、その鳥のモチーフから、Pierre Reverdyの詩の一節、« Un oiseau s'enfonce dans l'herbe pour mourir.»へと連想を広げ、Delamainの著作は「戦争の恐怖を克服するための鳥への関心」があったのでは、とDumayerに語る。
そしてさらに「鳥と詩」のモチーフから、Paul Celanの詩の一節、« Nous creusons dans le ciel une tombe où l'on n'est pas serré. » が引用される。そしてすでに引かれたブーバーの『ハシディズム』から、動物の鳴き声の逸話が引用される。さらにローザ・ルクセンブルクが墓碑にはただ「zvi-zvi」とだけ掘って欲しいという逸話も。シジュウカラの啼き声をあまりにうまく真似するようになったので、鳥たちが寄ってくるようになったと、手紙に書かれた逸話である(p. 52.)。
思い出は実際の過去だけではない。想像された過去もある。Boberはフランスが解放され、アメリカ軍のパリ入場時に黒人兵にだっこしてもらい戦車に登ったことを覚えている。そして翌日、その黒人兵は贈り物をもって家に訪ねてくる。父も母も涙しながらその兵士を迎え入れる...。しかし翌日の思い出は、前日にチューインガムをポケットに入れて家に戻って来たときの想像にすぎない。だが、Bober少年が、その翌日の両親と兵士の邂逅を想像したこと、その想像によって喜びを実感したことは事実なのだ。「もしそうだったら」という条件法過去は、他にも例えば、「曽祖父は私にこう言ったのではないか」という想像から、曽祖父の言葉が書かれている。私が勝手に曽祖父の言葉を作っているのではない。当時の場所、曽祖父の生きた歴史、そうしたものを復元していくからこそ、あるときその場所から言葉が生まれてくるのである。
「もしこうであったら」という、実現しなかった過去は、想像によって現実に等しい強度を持つ。それは「正確な真実」ではない。だが「私たちの現存によって変容した真実」(p. 61.)である。
この作品は、Dumayetへの呼びかけの手紙であり、Dumayetについて書かれた本ではない。だが、一人が映像を、一人がシナリオを担当して番組を、映画を作り上げてきたからこそ、「関係」という語が根本的に重要な語であることがさまざまな引用を通して強調される。「決して一人では困難をくぐり抜けることはできない」というお互いの相手への思いもそうであるし、ブーバー『汝と我』もまさに関係の書である。制作された番組が多くは作家たちへのインタビューである以上、そこには会話という場面の関係が生まれる。そして会話とは、「言葉と視線と沈黙」(p. 61.) によって作られる。例えばマルグリット・デュラスのインタビューには、多くの沈黙がある。通常ながらカットされてしまう音のない場面も、それが会話の一部だからこそしっかりと残されているのである(p. 247.)。
カメラは本質的に映すもの映されるものの関係において成立する。そこから連想はウォーカー・エヴァンスとジェームス・エイジーの『名高き人々をいざ讃えん』へと移る。Boberが映画の仕事をしているときによく言われたことは「俳優はあたかもカメラが存在していないかのように振舞わねばならない」だった。撮影者とは無関係に、俳優は自律的にその場に存在しているということだ。その点から見れば、被写体を映す写真の手前にカメラマンの影が映ってしまっているエヴァンスの写真は、不注意でも、不器用ということになる。だがBoberはそこに被写体の女性とエヴァンスの間に生まれた関係を認めるのだ。女性はカメラマンに微笑んでいる。影はカメラマンの「その場所に私もいる」という存在証明であり、イメージの中に「共にいる」ことの証明なのだ。そしてまた女性の笑顔は、カメラマンを、自分の日常へと招待する自然な態度なのだ。カメラマンは、作品を撮ること以上に、その笑顔に強く感動する一人の人間としてその場にいることを歓ぶ。ここに関係の本質がある。
同じことが、150ページほど離れた箇所でも言われる。それはロベール・ドアノーの写真についてである。BoberとDumayetはClochardesのルポルタージュを撮影する。その冒頭で使われているのがドアノーの写真であり、そこで用いられたDymayetのテキストが書き写される。「自分の趣向にあった写真を撮るためには、相手の協力が必要であるかのように、ドアノーはその相手に話しかける」、「やがて彼らは写真に撮られてうれしいと感じ始めるのだ」。
さらに思い出すままに、エピソードがつながっていく。BoberはこのClochardesのの一人が「勝手に撮ればいいよ、そしたら私が捨てた娘も、テレビで私のことを見るだろうよ」と言ったとき、彼は撮影をやめる。それはドアノーも同様で、アルプスの山の中で羊飼いと一緒にいた時に、トラックによって羊の群れが轢かれるということがあった。ドアノーはその現場の写真を撮らず、羊を失った羊飼いを慰めたというジャック・プレヴェールの話をBoberは載せている。そこには撮らないことの倫理がある。
関係は過去と現在をつなぐ。Boberはアネット・ヴィヴィオルカの著作Ils étaient juifs, résistants, communistesを引用し、レジスタンスについて語る。そしてその話はシャルリ・エブドとつながる。Edwy Plenelがシャルリ・エブドを「赤いポスター」、ナチスがレジスタンスの活動家を印刷して貼ったポスター)を揶揄したことを批判し、銃殺された彼らの名前と、シャルリ・エブドでなくなった人々の名前をともに列挙してる(pp. 140-141.)。
同じモチーフが本書の中で、何度もヴァリエーションを変えて反復される。たとえば「沈黙」は、先ほど述べたデュラスのインタビューにおいて重要なモチーフだったが、たとえば「沈黙は私の中に入った死者の言葉である」とGérard Wajcmanの言葉が別の場所で引用される(p. 148.)。
他にも本書にはさまざまな交流が書かれている。マックス・オフュルス、ジャン・タルデュー、エルリ・デ・ルカ、ジョゼフ・ロート、アペンフィールド、マルク・シャガール、エドモン・ジャベス、エリック・ヴュイヤール、ゼーバルト、フィリップ・ロス、フランソワーズ・マルロー、そしてジョルジュ・ペレック。
ドキュメンタリーは時に予期せぬことを映す。予定からはみ出るという意味で断片的なエピソードではあるのだが、その断片がときに作品に大きな意味を与える。そのような場面が二つ引かれている。一つは自分の作品Réfugié provenant d'Allemagneから、Radomという父親の生まれ故郷を撮影したときのこと。まだここに暮らしていたユダヤ人の夫人を車に乗せて記念碑まで案内してもらった場面で、その夫人は道案内とかつてのユダヤの街の説明を交互にしていく。そのような場面は、決してシナリオでは準備できなかったとBoberはDumayetに語る(p. 279.)。
もうひとつはRuth ZylbermanのLes Enfants du 209, rue Saint-Maur, Parisというドキュメンタリー映画の場面である。子ども時代にこの場所で過ごし、戦後アメリカに渡った今は老人となった人物が過去の記憶を拒否しつつも、この場所に再びやってきて、両親の痕跡を今も残る建物に探る。こうした予期せぬ場面を映す可能性があるのがドキュメンタリーである。
Boberは、自らが撮影したEn remontant la rue Vilinについて次のように述べている。このドキュメンタリーは、道に並ぶ建物の番号を撮った写真を並べ、それを写しているのだが、写真という「断片」は「それぞれすでにひとつの完結したイマージュである」(p.216)。その意味で、それぞれの写真は他の写真から独立しているようにみえる。しかし映画としてそれぞれの生活空間を組み合わせると、そこに「道筋、物語(récit)が導入される」と言う。Boberの本書も、まさに回想という断片を、連想に任せてつないでいく。それぞれの思い出は独立して想起される。しかし読み進むにつれて、その断片がゆるやかに結びつき、一つの物語が生まれてくるのである。Boberはエドモン・ジャベスの「作品よりも、その中の一文や一節が生き延びるとしたら、それは作者ではなく、読者が(...)その特別な機会を与えるのだ」という言葉を引いている。本書もこうした一文、一節のさまざまな引用がちりばめなれ、それぞれが呼応しながら物語を生んでいる。
冒頭で述べたように本書は、亡き友人にあてて書かれた手紙である。本人ももう90歳となる。当然ながら死を間近に意識する。終わりの方で、Boberはジャンケレヴィッチの「存在をしたものは、存在しなかったということには、もはや今後なりうることはない」という言葉を引いている。一度存在したものは、たとえなくなっても、存在しなかったことにはならない。その真実の重みをこの本から受け取った。
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