Perec, Georges

ロベール・アンテルム『人類』を通して、収容所の体験と文学の条件について考察をした、ジョルジュ・ペレックの『文学論』である。

 収容所体験をもとにした文学作品は数多く存在している。それでもしかし、収容所文学はほぼ時代の証言あるいは資料としてしか読まれていないことをペレックは指摘する。そのような読み方は、「戦争」とは何か、「解放」とは何か、「文明の転換点」とは何かといった一般的な問いへの答えを探すための読み方となる。

 ではペレックにとって文学の条件は何に求められるのか。彼にとって、文学は生としっかりと結ばれている。そして、その生の体験の到達点として文学はある。「体験は文学に開かれ、文学は体験に開かれている」(p.174)。体験と文学の往還は、個別で断片的なものと普遍的で全体的なものとの往還である。ペレックはその文学の真理をアンテルムの作品に見出すために考察を重ねていく。

 ペレックが最初に作品に認める特質は、話すこと、書くことへの欲求である。


 話すこと、書くことは、収容された者にとって、カルシウム、砂糖、太陽、肉、睡眠、静寂を求めるのと同じくらい差し迫った、激しい欲求なのだ。(p.175.)

 そのために思い出し、語る。だがここで問題になるのが証言に対する、非体験者の無理解である。ペレックは人々は「理解をしたり、(問題を)深めたりはしない」、あるのは「安易な同情だ」と述べる(p.175.)。証言は一瞬の感情をかき立てはする。その内容を知り、驚き、怒りもわいてこよう。だが、理解をし、さらに知ることを深めようとはしない。ここでペレックが言っているのは、知ることとわかることの乖離であろう。私たちは収容所の存在を知っている。それが恐ろしい(terrible)ものであることも知っている。だが例えば収容所の「空腹の永遠性」、「空虚」といった細部については分からない。ペレックは事実をどれだけ積み重ねたところで、その事実の「意味」をわかることはないと言う。

 ではわかることに達する可能性はあるのか。ペレックが『人類』に見出すのがその可能性であり、ペレックはアンテルムが、「収容という事実、主題、状況」を「文学固有の枠組み」に入れることで、読者の感情に訴えることを排したとする。

 アンテルムが書くのは、詳細な細部にわたる収容所での「日常」である。そして収容所での日常的な体験を、収容所の全体像として示すのではなく、ただ単に喚起するにとどめている。だが、その体験と読者の間に、アンテルムは「発見、記憶、意識」が置かれていると指摘する。

 発見とは、自分自身が見た個別的なものであり、それは全体との繋がりを欠いた断片とも言える。そして記憶も意識も「私的」なものである。そこで書かれているのは「泥、そして空腹、そして寒さ、そして殴打、また空腹、シラミ」である(p.178.)。だがその細部から徐々に収容所が浮かび上がってくる。

 『人類』には説明的な叙述はない。しかし意識が、出来事にその意味を与え、それによって「収容所という世界はより広い視野の中に」位置付けられる。そのようにして出来事はひとつの例証となっていく。

 こうしてペレックは、アンテルムの作品世界の中に、「思い出と意識、体験と例証、ある出来事の筋立てとその総合的な解釈、ある事象の描写とある構造の分析の間の往還」(p.179.)を見出す。この「個別から一般へ、一般から個別へ」の運動こそがペレックにとっての文学の特質である。そして文学的創造とは、それぞれの要素を構造化である。構造化によって収容所をめぐる慣用的な意味は剥ぎ取られ、その意味は検討し直される。その結果、ようやく収容所世界は姿を見せてくるのである。

 では、その収容所世界の具体的な構造とはどのようなものであるのか。それは端的に言って「否定」である。アンテルムにおいては、それは直接的な殺戮行為などではなく、日常世界の描写によって表される。ゴミ捨て場を漁る姿、普通犯(政治犯以外の)による統治などである。アンテルムにおいて、収容所世界の否定性とは、大量虐殺やガス室ではなく、日常の描写ー寒さ、空腹の果てしない持続といった細部によって表現される。
 
 この細部において、アンテルムは体験を言語へと変化させる。そこにペレックは、『人類』の文学の現代的意義を認める。それはどういう意味だろうか。

 ペレックによれば、現代において、文学は世界の不透明さを伝え、説明できないことに価値を置くようになっている。言葉への不信から、行間を読むことが文学的な行為になってしまっている(p.188.)。世界を把握できず、文学は、むしろ世界を統べる力を失ってしまっている。それはまさにカフカ的な世界と私たちの関係とも言える(p.189.)

 しかし『人類』はそうではない。収容所はまさに言葉にすることのできない、表象が不可能世界であり、それを描く文学はまさにその無力を明かし立ててしまっている。だが『人類』は、「どのようにこんな世界が存在しえたのか」(p.189.)と世界を否認する問いを発するのではなく、細部を描き、その細部を考察する行為によって「世界は存在した」(p.189.)ことを示すのだ。その意味で収容所の世界を理解不可能なものではなく、れっきとして存在したものと認めるのだ。それはこんなひどい世界が存在したという意味とは異なる。ここで理解すべきなのは、世界から分離されてしまうのではなく、私たちに世界は繋ぎとめられているということ、その世界が存在しているということは、その存在する世界につながる私も存在しているということだ。どのような世界であれ、その世界に私が存在するということは、それがとりもなおさず生の確証となる。このことをペレックは示そうとしたのではないか。

 私たちはその世界を逃れるのではなく、その世界を否定するのでもなく、あるいはその世界を抹消するのでもなく、むしろ存在を認めることで、その世界を不可知の世界ではなく、統治可能な世界であると認識するのである。

 ペナックは、そのように収容所世界を書いたアンテルムには「あらゆる文学を生み出す言語と書く事への無限の信頼」があるとする。アンテルムの作品は、「世界はもはや言葉が意味を失うことによって描写を不可能にするカオスではない」ことを私たちに伝えてくる。

 収容所の世界に対する「ことばにすることができない」という形容は、世界を私たちによって把握不可能な対象とみなすことになる。しかしどのような世界であっても、その世界は存在し、その世界に私たちも存在している。この存在把握こそが、アンテルムの作品が明るみに出したことであり、それゆえにアンテルムの作品はその世界の告発でも、その世界における体験の絶対化でもなく、その世界と生を文学という言語行為によって結びつけたのである。文学はどのような状況であっても、世界と私たちが<共存在>することの認識の創造である。