Forest Philippe

Philippe Forest, Sarinagara (2004)

 幼い娘を亡くした作家が、小林一茶、夏目漱石、山端庸介の3人の喪失体験を叙述しながら、その3人についてのテキストの合間に、自らの日本訪問(東京、京都、神戸)の叙述を加え、構成された作品である。
 フランス作家が書いた「日本論」に見えるかもしれないが、日本の独特さや異国趣味とは無縁である。反対に、フォレストは、日本について語りながら、個別の体験を越えたところにある、人間存在の普遍性に基づいて叙述する。その普遍性とは存在の有限性と虚無、そして喪失体験である。
 「さりながら」とは、喪失という事実、虚無という事実はわかっていながらも、「それでも」その事実を受け入れてしまうことを踏み切れない、抵抗の心情である。
 失われてしまったものは永遠に失われたままだ。そして時が経つにつれて、その体験は思い出と忘却の対象となる。今の現実から離れていくとき追憶のイメージは夢幻のイメージと重なっていく。
 作品の冒頭でフォレストは、大人になってからの現実は、すでに子どもの時に夢で見られたものではなかったかと書いている。こうした現実と夢の境界の消失は、「さりながら」という心情と同じく、私たちの置かれた状況の不分明さや、たえず漂い流れる私たちのよりどころのなさを示している。
 漂い流れていっても、決してどこかにたどり着くわけではない。たどり着くことで、喪失の悲しみが消えるわけではない。
 

「私は場所を変えたかった。とはいえ、それは私の苦しみから解放されるためではなく、別の場所で別な方法で、その苦しみの果てのない悲愴な深さを体験するためであった」(p.22.)

 その喪失とは子どもの死である。一茶も子どもを亡くしている。
 

「ひょっとしたら、こうした死(=子どもの死)が、時間について普段信じている考えを脱するために必要なのかもしれない。それは、時が、私たちひとりひとりを、常に更新される明日へと導いてくれ、その日々は、前日の悲しみを消し去り、朝の何にも触れられていない輝きの中で、同じ世界を新しく作り直してくれる、という考えである」(p.78.)

 この喪の永続がフォレストの一貫した文学的主題である。夏目漱石も幼い娘を亡くしている。その死後の思いをフォレストは次のようにつづる。
 

「それに続いて、いつもの普通の言葉がやってくる。生に戻り、なるべく早く、失ったものの穴埋めをするようにと誘う言葉である。ところが、別の子どもは、失われた子ども本人でない以上、何の意味もないのだ」(p.158.)

 現実と夢、忘却と想起ー私たちはそのふたつを切り分けるのではなく、そのふたつを行き来し、そしてまたそのふたつが混じり合った二重性の中を生きる。フォレストは、こうした二重性のなかでのさまよいを書く。それは、娘の喪失の後では、もはやどこにも居場所はなく、さまよい歩く自身の姿にも重なる。
 そして写真は、写された対象と写真表象の二重性の中に存在する。山端庸介は、職業カメラマンとして、長崎の原爆投下の翌日に現地に入り、その被害を写真におさめた。現場の目撃者であり、証人である。証人も、その場におり、かつ事後的にその場の体験を何らかの形で表す存在であるが、その証人という存在について、フォレストは次のようにこだわる。
 

「証人とは何か。それはつい見てしまった者、偶然にあるいはたまたま、あらゆること、特に他の場所にいたいという気持ちに反して。見てしまった以上、視線によって自分に永遠に結びつけられた、恥、悲しみ、罪悪感に耐え続けなくてはならない。」(p.230.)

 
「証人とは何か。見た者、二度見た者、自らの視線を重ね合わせ、自分が見たものを繰り返されるがままにしなくてはならないと思った者、世界を見直すことで、ついにその唯一で至高の真理に従う者。」(p.236.)

 私たちは見た場所、時間に決して戻ることは絶対にできない。と同時に起きたこと自体は決して否定できない。ここから体験と表象の二重性が生まれる。体験だけでは何も残すことはできない。体験だけでは、体験は消えるしかない。その体験を支えていくのが、表象なのだ。表象するとは、だから、その体験に生を与えると言ってもよい。表象と体験が完全に一致することはありえない。だが表象か体験かではなく、決して戻ることはできなくとも、そこに近づいていくために語り、表していく必要がある。なぜならば、その決して近づきえない地点には、その体験をした人の存在が確固としてあるからだ。