bloodthirsty butchers

youth.jpg 1曲目のタイトルは「レクイエム」。「人は死んだらここから消えて何処へ行くんだろう」のことばから始まる。ヴォーカル&ギターの吉村秀樹が亡くなって、この作品が生前最後のアルバムになってしまった。

 とはいえ、この1曲目は、歯切れのよいドラムから始まり、その勢いのまま、一気にバンドの音となってゆく。まさに「青春」にふさわしい瑞々しさにあふれた一曲だ。

 2曲目「コリないメンメン」では、リズムギターから始まり、そこにもう1本のギターが重ねられる。電気で増幅されたギターの音のうねりが素晴らしい。途中ブレークも入れられ、パンク魂を感じる一曲。

 3曲目「デストロイヤー」は、吉村秀樹のかき鳴らすギターの音が激しく耳に打ち付けられる。そして、中盤(2分40秒過ぎです)、田淵ひさ子の、彼女にしか出せないような、唸りながらどこまでも増幅するノイズギターの音が空間に充満する。

 4曲目「ディストーション」は、ライブそのままに、ドラムのカウントから始まる。そして終わりも、ひずみまくるギターの余韻が残るなか、再びドラムがカウントをとって、重厚な次曲「サイダー」のイントロへとうつる。観客がウォーと叫びながら、体を揺する姿が目に浮かぶ。

 この「サイダー」は、確かライブで吉村が「よい曲なんだ」と言ってた気がする。愚直なほどストレートで、それでいて切ない「青春」を感じる。最後のギターにあわせて、メンバー全員が楽器を打ち鳴らす数十秒は本当に圧巻だ。

 そしてアルバムの後半はインストゥルメンタルから始まる。後半はさらに澄み渡った音が流れている。8曲目は歌詞に「狂った和音に生ずるビートよ」とある通り、性急なビートに乗せて一気に走ってゆく、潔い作品。続いて3拍子のイントロから始まる「youth パラレルなユニゾン」に移り、だんだん終わりが近づいていることを予期する。そう、ライブでもうラストが近いと感じさせるような曲。ルースターズの後期にも似た高揚感、もはやこちらがその高みについてゆくことができず、あきらめさえも感じて、ただ音に体を投げ出してしまうような高揚感。

 マイナーなメロディが何かを予兆するようなギターのフレーズから始まるラスト曲のタイトルは「アンニュイ」。ライブのアンコールにふさわしい曲だ。アルバムの中で一番短い、4分に満たない曲で、ヴォーカルが入るのはわずか最後の1分半だけ。ギターのハウリングだけが最後に残って、曲が消えてゆく。まるで、「また今度歌うからね」と予告して、ステージを立ち去るかのような短い歌詞。短い歌。

 だが、もう彼がステージに戻ってくることはない。アルバムの最初から最後までを一気に、何度も何度も、彼らのライブに立ち会っているかのように感じながら、このアルバムを聞いている。

banging_the_drum.jpg 80年代に結成されたバンドはどんな音楽を志向しようと活動を始めたのか。パンクやニューウェーブといったアメリカ、イギリスのロックは、様式美から隔たった地点で、そして社会を変革することができるという意気込みからは遠ざかった地点で、自分の日常を見つめ直し、その日常自体も、そして生活の中での鬱屈とした不機嫌さえ表現の原点となると認識した時点で始まったのではないか。

 パンクというムーブメントは、たとえばジミ・ヘンドリクスやジョン・レノンなど大御所の名前を挙げれば歴然とするように、音楽による社会変革とは言い難く、自分を中心に置いたとはしても、それを表現へと高めるにはあまりにもつたなく、かつ幼いわがままでさえあった。しかし死んでしまうパンクと生き残るパンクがある。ファッションとして消費されていくパンクと、日常を不器用に問い直し続けるパンクがある。

 パンクとは日常へのささいな違和感を真正面から抱き続ける人生の態度ではないだろうか。パンクとは衝動ではなく緊張を保った持続であり、慣性に流されることなく意味を問い続ける行為ではないだろうか。

 だからこそパンクとは単純な曲調で衝動的に叫べば出来上がるものではなく、目に見えない屈折やためらいを曲の上に反映させてゆく繊細な精神が必要になるのだ。

 ブッチャーズを聴くとヴォーカルの直情的な歌い方がまずは耳に入ってくる。その歌い方は一本調子で、不器用だ。しかしそうした欠点を補ってあまりある切実感と緊張感がこのヴォーカルにはあるのだ。ぶっきらぼうなのにこよなく繊細なヴォーカルだ。

 ブッチャーズの曲は、パンクでありながら、展開に味がある。パンクだから、イントロの入り方がいかにかっこいいかがもちろん大事。Yamaha-1のギターのカッティングからドラムがはいってくるところ、爽快とまでいえるほどかっこいい。Maruzen Houseもパンクの定番。ギターのカッティングからタテノリリズムがはいってくる構成はパンクの書式にしっかりとのっかっている。だがブッチャーズが素晴らしいのはそのことよりもバンドという複数のいるメンバーでそれぞれがどう曲に関わりながら、ひとつのまとまりを作り出してくかということにきわめて意識的であるところだ。
 卓越した技術を持っていることは言うまでもない。しかしその上で、せめぎあいながらも、それぞれが個性を殺さず、緊張感を携えながら、それぞれが切り結びながら、やがては1つの曲への結実していくところがブッチャーズの真骨頂なのだ。