スーザン・ソンタグ『他者の苦痛のまなざし』(2003)

 スーザン・ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』は戦争写真論として書かれた。綿密に論理を積み重ねた論証というよりも、さまざまな写真、そして写真と隣接する絵画、映画などの具体的な作品によりそって、ポートレイト風に写真の表現世界と私たちの生きる現実世界の関係を考察した論考である。9章に分かれてはいるものの、むしろアフォリスムを集めたものに近いと言ったほうが正確である。

1.
 戦争写真に写された破壊と殺戮の光景を見れば、普通は戦争への嫌悪、平和への希求が私たちの中に生まれるはずである。しかし実際には写真家の政治的立場がどうであれ、意味が一元的に決定されるとは限らない。なぜならば戦争写真は、虐げられている人々を守るためによりいっそうの戦意をかき立てることもあるからだ(p.7.)。

 だから戦争の破壊性を示しても戦争の抑止に向かうとは限らず、また暴力は、その暴力を受ける人間を殉教者や英雄に祭り上げることもある(p.12)。ソンタグは対立する反応が生まれる理由を、戦争に反対する場合は「誰がいつ、どこで、という情報に依存」しないのに対し、新たな戦意をかき立てる場合は「誰によって誰が殺されるか」という特殊性に求めている。

2.
 写真は、間近から現実を撮る。その意味で写真は、絵画よりも過去を保存することに優れ、またどんなことばにも及ばない「直接性と権威」を獲得した。しかしそれでも写真は、現実の証人ではあるが、その現実がある一部を切り取ったその瞬間でしかない以上、切り取りをした個人の証言である。そしてそれが一部である以上、解釈の余地が生まれる(p.25.)。

 写真がある現実の証拠であるということを強調する立場から見れば、制作者の主観性を排さなくてはならず(この立場では、写真を撮るさいの偶然性が評価される)、また芸術が意匠であり仕掛けである以上は、芸術性も極力排除しなくてはならない。

 また私たちが被写体から物理的、時間的に距離の離れた写真に向かう場合、その写真の説明は幾様にも加えられる。赤ん坊を抱いて空を見上げている女性の写真がある。その眼差しは空襲への不安をたたえていると解釈されている。しかしその写真を見ると太陽がまぶしく目を細めているようにも見える。このような解釈に実は写真はたえずさらされるのだ。

 写真への意味付与。それはその写真そのものの生命にも関わる。チャコ戦争はボリビアとパラグアイの間で起きた戦争で、ドイツ人写真家によって記録されたが、その戦争も、写真も忘れられている。一方、スペイン内戦、イスラエル・パレスチナ紛争については「深刻な闘争という意味が付与」されているがために、注目され続けている。

3.
 写真がいくら現実を忠実に再現すると言われているとはいえ、主観性を排除することはできない。それは「常に誰かが選びとった映像」(p.44)である。そもそも被写体を加工することはいくらでもできる。クリミア戦争を撮った、「世界初の戦争写真家と称されているロジャー・フェントン」はまずは兵士たちにポーズをとってもらい、静止した状態で撮影をしていた。

 ソンタグは写真がこのように主観性や演出を免れることはできないのに、私たちが報道写真に対して、それらが「演出されたものであるように見えることではなく、そうであると知ってわれわれが驚き、常に失望する」ことの奇妙さを指摘している。ソンタグによれば、写真が演出によらずに私たちに届くようになるのはヴェトナム戦争以降のことである。

4.
 次にソンタグは被写体とそれを見る私たちの関係を考える。

遠い異国的な土地であればあるほど、われわれは死者や死の間際にある人々をあますところなく真正面から捉える傾向がある。(p.69.)

 だからこそ西洋において「一般的に、むごたらしく傷つけられた死体の公開写真は、アジアまたアフリカから来る」(p.70.)として、植民地の人間を展示する慣習から今だに抜け出ていないことを批判する。

5.
 写真には二重の力がある。それは「記録を作ること」と「視覚芸術の作品を生み出すこと」である。この場合の芸術とは被写体を変貌させることにある。

 写真は教訓となるだろうか。ソンタグはショックと慣れについてさまざまな事例を語る。カナダのタバコの箱に印刷した癌などの写真ーそれらはショッキングではあるかも知れないが、だんだん慣れるか、そもそもそれらを見ないことによって自己を防御することができるー。十字架像や『忠臣蔵』は、それらに慣れるということがない。むしろその普遍的表象を人々はもとめ、その度に強い感動を受ける。そしてけっして私たちを慣れへとは導かない写真。それは「廃墟のように崩れた顔」、「原子爆弾のために溶けて、かさぶたで厚く覆われた被災者たちの顔」、「ナタの一撃で割られたツチ族の生存者の顔」である。(p.82.)

 写真は証拠ではあるが、それは瞬間の証拠であって、ときに事後の瞬間でしかない。また写真は「例証」でもある。この瞬間の証拠、例証という写真の性質は、出来事を全体性、総合性において語ることができないという限界を示している。「物語はわれわれに理解させる」が、写真は「われわれにつきまとう」(p.88.)。

 写真が流布されると、その写真に写されている出来事が、ひとつの社会的問題として「記憶」の対象となるとされるが、ソンタグはその記憶は究極的にフィクションであるとし、集団的記憶を否定する。

集団的記憶は集団的罪と同様に、一連の虚偽の概念を構成している。だが集団的教訓は存在する。
あらゆる記憶は個人的なもので複製不可能であり、個人とともに死ぬ。集団的記憶と呼ばれるものは、記憶することではなく規定することである。これが大事なのだ、それはこういうふうにして起こったのだ、というふうに。(p.84.)

 ソンタグが言おうとしているのは、社会とは歴史的な存在であり、そうである以上、保存される記憶、生き残る記憶、そして忘れられる記憶が規定されるということであろう。アメリカにはホロコースト博物館はあるが、奴隷制の全貌を伝えるような博物館はない。その理由をソンタグは「思うにこれは社会の安定にとって、活性化し、創造するには危険すぎる記憶なのである」と述べる。

 虚偽のなかに私たちは生きている。規定する以上、それは誰かが規定するのだ。その規定された記憶を私たちは自らの記憶の領域に流し込んで生きている。

6.
 写真は私たちにどのような態度をとらせるか。残虐な行為の写真は必ずしも、生と死に直面させ、そこから人間の尊厳へ思いを至らせるとは限らない。私たちには恐ろしいものを見たいという欲求がある。ソンタグはプラトンの『国家』第四巻を引き、人間にはこうした「軽蔑すべき衝動」があることを指摘する。

 次にソンタグは同情という気持ちについて考える。同情は確かに苦しんでいる人間のことを考え、そしてときに怒りにかられながらその事態を見つめる。しかしソンタグは次のように同情を批判する。

同情を感じているかぎりにおいて、われわれは苦しみを引き起こしたものの共犯者ではないと感じる。(p.101.)

 被写体の人々の苦しみに対して私たちは果たして無関係なのだろうか。私たちが見るという立場にある以上、それはひとつの特権であり、この特権的な私たちの立場が、被写体の人々の苦しみに連関しているかもしれないと洞察を働かすことこそ、私たちの課題ではないかとソンタグは言う。

7.
 ソンタグの写真についての考察、ひいては芸術表現と現実世界をめぐる考察をひとことでまとめるとするならば、「新鮮な感情と適切な倫理」ではないか。芸術はこの世界から切り離されて存在するのではない。むしろこの世界を刷新する新鮮さをもつ。そしてこの世界と関係する以上、そこには私たちの他者への一定の責任が倫理という形で要請される。決して野放図に作品を鑑賞してよいわけではないのだ。

 だからこそソンタグは、世界をスペクタクルという一元的な見方しかしない、フランスのドゥボール、ボードリヤール、グリュックスマンらを批判する。こうした見方は現実の苦しみを存在しないものとして片付けてしまう。ソンタグはこうした人々は「戦争の近くに身を置いたことのない斜に構えた人々」であると切り捨てる。