Florence Aubenas, Le quai de Ouistreham (2010)

 2010年にフランスで話題になったルポルタージュである。Libération, Nouvel ObservateurのジャーナリストであったFlorence Aubenasが、自らの身分をいつわり、Caenで職探しをして、パートタイマーの清掃人として働きながら、やがて半年後に定職を見つけるまでの記録である。「大不況」と言われたフランスの状況の現実を知るために、彼女は、「diplômeはbaccalauréatだけ、20数年専業主婦をあとに離婚したため、職歴もない」女性として、人材登録をする。

 Métierとは何か。それは社会によって認められるだけの技術と信頼を持って人間が営んでいる職のことではないだろうか。必要とされるという意味において、その人の存在にかけがえのない価値が与えられる。Métierはその人の存在の証であり、その人の人格を表すと言ってもよい。

 しかしAubenasが自ら就いた清掃人の仕事は、社会の最下層において、誰とでも「取り替えのきく」仕事として繰り返し描かれる。それゆえに彼らは無名性におかれ、極端にいえば道具として扱われる。「単なる掃除機の延長」のように、あるいは「透明な」存在とみなされるのだ。

 この本を読んでいて唖然とするのは、雇い主側の、あるいは掃除をさせている側の、徹底的に人を見下した態度である。社会の底辺にいる人間から、搾り取れるだけ搾りとろうとするあさましい実態である。そうした社会のシステムに欠けているのは人に対するrespect「敬意」とdignité「尊厳」である。

 Aubenasの視線は、もちろん同僚たちへと注がれ、彼らの具体的な日常がこと細やかに書き込まれてゆく。しかしそれがあまりにもこなれているためか、ずいぶん類型的な印象を受けてしまう。あるいは本当の人間とはこのように類型の中で生きているものなのだろうか。

 あるいは事実はあまりにも矛盾に満ちているためだろうか。いわゆるハローワークでアポイントをとるためにはまずは電話で予約することが必要である。しかし電話をとめられたある男が直接オフィスへと乗り込んでくる。職員が言う。「電話でないとアポイントはとれません。あちらに電話がありますから、そこから電話してアポイントをとってください」...虫歯の痛みに耐えている同僚がいる。しかし彼女は歯医者にはいかない。一本の治療ならばお金がかかるが、全部の歯がやられてしまえば、手術で歯を抜いて総入れ歯にできる。そしたら保険が効くからだ。

 こうしたエピソードをちりばめるAubenasの手腕が見事すぎるゆえに、フィクションを読んでいる気になるのだ。もしこれが本当に事実であるとするならば、そこには荒廃しきったフランスの風景と、労働に疲れきった小市民の姿だけが浮かんでくる。暴動も、デモも、組合も、政府も自分たちとは関係がない。格安の冷凍品を買い、知り合いから果物をわけてもらい、市場の後に道路に落ちた野菜の切れ端をひろい集めて食いつないでいる日常、こうした日常を送る人々がいかに多いことか。だがそこにもかけがえのない生活がある。