Beck, Morning Phase (2014)

morning_phase.jpg 音がゆっくりと光の粉末のように舞っている。その光は確かに朝の光なのだが、その粒子にはまだ夜の余韻や、嵐の跡が残っている。あるいは深い海に落ち損ねた光がまだ波のまにまに漂いながらも、ときおりきらきらと姿を見せる。

 朝霧が聞いている者をゆっくりと包んでゆく。だが朝のイメージが波のイメージと重なって、空気に包まれているようでいて、いつしか漂いながらも、海の底へと落ちてゆく。

And If I surrender
And I don't fight this wave
I won't go under
I'll only get carried away

Wave


Wave





Isolation



Isolation


Isolation

Isolation


 
<Wave>

 ただ波に運ばれているようでいて、それでもいつしか波にのまれて、孤独の淵に落ちてゆく。

 アコースティックの弦の響きと、深いエコー処理。円弧を描くかのように全体をゆったりと包むストリングス。ひとつひとつの音が粒となって、ときに跳ねて、漂い、やがて消えてゆく。音を聞いているようでいて、実は音の消失の時間に立ち会っているかのようだ。最後の曲はまさに喪失の曲だ。長い夜が終わり朝が来る。でも光と同時に消えてゆくものがある。夢も記憶も、新しい朝が来て、過去へと置き去りにされる。

When the memory leaves you
Somewhere you can't make it home
When the morning comes to meet you
Lay me down in waking light

<Waking Light>

 朝の光の中で記憶を失ってもはや漂うしかない。光は目覚める。しかし私は身を横たえ、記憶を失ってゆく。

 このアルバムは、もう戻っては来れないほど遠いところまで行ってしまった人間が、何とかこの世に戻ってきて、常人のふりをして作ったアルバムという印象を受ける。質の高い創造性は、音を作り込むという常軌を逸した執着と、音を空間にきちんと構成するという冷静さの両者が共にあって発揮される。

 インストゥルメンタルの短い曲から始まり、Waveでストリングスが強く奏でられA面が終わる。次のDon't Let It Goの控えめなアコースティックギターがB面の開始を告げる。そして最後のWaking Lightでは、このアルバムで初めてノイズの音が渦巻き、アルバムが終わる。これほど見事が構成をもったアルバムはなかなかない。

 もう若くはないが、それでも今を生きる音楽人として、いや、これまでの創作活動があったからこそ、その歩みによってここまでの完成度に達したのではないかという気がする。人生の深みと音楽の深みが呼応する傑作だ。

 近代(モデルネ)とは歴史上の区切りというよりも、むしろ歴史において、過去の枠組みを抜け出し、新たな段階へと進みだしている、それによって自分が自己変容を遂げているという意識そのものを指す。そのためこの意識は、歴史のさまざまな時点に現れる。キリスト教の支配する現代と異教によって支配されたローマという過去、その他、カール大帝の時代、12世紀、啓蒙主義の時代にも、人々は自らのモデルネと意識した(p.8)。

 したがって芸術作品においても、モデルネの作品の特徴はその新奇さに求められる。とはいえ、真にモデルネな作品は、時代を越えて生き残り古典と呼ばれるようになる(p.9)。おそらくそれは常に新しさをその作品から汲み取ることができるということだろう。

 こうした美的モデルヌの精神は、ボードレール、E・A・ポーから、シュルレアリスムの運動に明確に現れる(p.10)。この思潮は、アヴァンギャルド(前衛ー過去を否定し、新しさに価値を求める運動と言えるだろう)ということばで指すことができるだろう。アヴァンギャルドは、連続性によって存続する伝統を、そして伝統が成り立たしめる規範性を否定する。また歴史も時間的連続性によって成り立つ以上、アヴァンギャルドは反歴史的とも言える。

 ただし、それは歴史そのものの否定ではない。ハーバーマスは、ヴァルター・ベンヤミンの「彼自身の時代が特定の過去の一時代と織りなす」星座的連関ということばに言及し、現在と、ある過去がある関係を取り結ぶことによって、過去は「今」によって充電されるとする。すなわち、今現在の新しさから眺めることによって、ある過去に初めて光りがあたり、現在から新たな意味を与えられるということだろう。それまで眠っていた過去が現在によって目覚めるのである。例えばシュルレアリスト、アンドレ・ブルトンによる幻視者ネルヴァルの評価といったことがあてはまるだろう。

 ハーバーマスは、この美的モデルネの心性が、80年代を迎える頃には衰えてきていると指摘する。その理由は、アメリカ新保守主義の論客ダニエル・ベルに言わせれば、モデルネの文化と社会の乖離にある。ベルから見れば、アヴァンギャルド芸術とは「際限なき自己実現という原理、純正な自己経験への熱望、過敏なる感性という主観主義」(p.15)に他ならない。すなわち、芸術は完結した自己表現というわけである。そしてこのモダニズムは、「経済と行政によって合理化された日常生活における約束事や道徳的価値への敵対心を煽るものだ」と主張する。その帰結は、経済や社会に問題があれば、それはこのモデルネの文化に責任があるとするのである。

 だがハーバーマスに言わせれば、このような見方はあまりに単純である。もし社会に問題があるならば、それは、「社会の近代化に対する反発に由来している」(p.19.)とハーバーマスは説く。それをハーバーマスは「社会の近代化が、経済成長や国家による組織的活動[行政や福祉]のもつ強制力に促されて、自然に生い育った生活形式の生態系に闖入してくる」、「経済的および行政的合理性にのっとった一面的な近代化が、文化的伝統の継承や社会的統合、さらには教育等の課題を芯に持つ生活領域に闖入してきている」、「対話的合理性の諸基準に依拠した生活領域に侵入してきている」(p.20)と表現する。

 続いてハーバーマスは、ここまで芸術に限定してきたモデルネの概念を拡大する。マクス・ヴェーバーによれば、文化的モデルネは、宗教的および形而上学的世界像によって表現されてきた実体的理性が、真理、規範上の正当性、そして純粋性もしくは美に分化してしまったとされる(p.22.)。これらは「科学(学問)、道徳、芸術という三つの価値領域」に相当する。この分化によって、それぞれに専門家が現れ、その文化と講習の人々との距離が広がり、「日常的実践の共有物となるとはかぎらなくなってしまった」。結果、「日常の生活実践における解釈の積み重ねで自主的に継承されていく伝統から切り離されてしまったのである」(p.25.)。

 つまり私たちのモデルネ的心性とは、不断の刷新である。過去との対話による自己革新、意味の生成であろう。しかしながら、これらの分化した諸領域は、それぞれが自律し、こうした運動が行われる日常から切り離されてしまったのである。

 次に再び芸術の問題に戻り、美の自律志向をカントから辿る。美的なものの自律とは「日常の空間・時間構造からの離脱であり、知覚上や合目的的な行動が準拠する週間的約束事からの離反」を意味する。それによって、芸術制作と芸術鑑賞が制度化される。また、芸術家と批評家にとって重要なことが「自己理解」と「解釈」になってくる。

 このように自律性が高まれば、芸術は私たちの生から遠ざかることになる。このことの一番大きな間違いをハーバーマスは次のよに

コミュニケーション的な日常実践の中では、認識次元での解釈、道徳上の期待、主観的な表現や価値評価は、相互に深く絡みあったものでなければならない。生活世界における相互理解のプロセスは、これら全領域にわたる文化的伝統を必要としている(p.32.)。

 すなわち、近代社会で分化し、専門化してしまった社会のなかで、それぞれの自律性をやぶり、相互に深く関連しあわなくてはならない。社会と芸術が呼応し、道徳と芸術が呼応し、そのなかでさまざまな意見が形成される。その意見の不断の交換が、必要とされているのではないだろうか。 ハーバーマスは「素人でありながら芸術好きの役を選んで、自己の美的経験を自身の実人生上の問題に結びつけることもできる」と言う。作品と鑑賞者の対話の中で、自己の人生に表現を与えたり、世界に対する見方を変えたりする。その自己変容の可能性を芸術は持っている。そのとき美的経験は次のようにまとめられるだろう。

(...)美的経験は、もろもろの欲求に関する解釈をーわれわれが世界を知覚する光である欲求解釈をー革新してくれるだけではない。それと同時に、われわれの認識次元での意味理解や規範に関する期待のうちにまで浸透し、認識、規範、欲求というこれら3つの要因が相互に参照しあっているその関わり方をも変えていくのである(p.37.)。

 美的経験は私たちの世界を知覚する方法に変化をもたらしてくれる。そしてあらたな解釈=新たな意味を構築してゆく契機となる。このとき「生活世界がそれ自身の中から経済的および行政的システムの自己運動を制限しうる諸制度を生み」出す可能性も生まれるのだ(p.39.)。
 
ハーバーマス「近代 未完のプロジェクト」――終わりなき近代を生きるために | Communication and Deconstructionを参照させていただいた。

 ひとつの家族がある。しかし全員と血がつながっているのは末娘ひとりだけである。長男と長女は離婚した母親の連れ子であり、次男は、妻を病気でなくした父親の連れ子である。それでも、この六人家族は、東京郊外の瀟洒な家で、幸せな生活を営んでいる。

 だが、その幸せは「抜け目なく形作られて」いる幸せだ。誰もが心をくだき、家族であることが自然であるように振る舞ってきた結果の幸せだ。その幸せは家族が住んでいる家と似ている。

窓枠のペンキは、はげているのではなく、年月ではげたように塗られているのであり、ポーチに敷き詰められたテラコッタは雨風にさらされてくすんだのではなく、わざわざ取り寄せたアンティークなのであった。(p.36).

 目の前にある幸せは、巧妙に練られた演出であり、誰もがその演技に夢中になった。家族はそれぞれ自分たちが「満ち足りていて」、家族として完成していると思いこむ。そしてその完成の証が母親にとっては長男の澄生であった。母親は「澄ちゃんがいるからこそ、このおうちが完成される気がするの」と言ってはばからない。

 この言葉がもたらす疎外感を必死に打ち消そうと、まだ幼い次男創太は、幸せな家族に入り込むための役割を必死に探す。

「じゃ、ママ、ぼくはどういう役目なの?」
う~ん、と言って、母は額を創太のそれにぴたりとつける。
「創ちゃんはねー、わいわい族の役目」(p.39.)

 充足した家族を演じるためには、おのおのが役目を果たさなくてはならない。またそれが、幸せとされる家族の中で、一体感をもって生きてゆける条件である。

 だがこの幸せは、長男の不慮の死(落雷による死)によって、突然崩れ去る。そもそも幸福が仮構であった以上、その脆弱な土台は根こそぎはぎ取られる。そしてなんとか立ち直ろうとした矢先に、今度は母親がアルコール依存症に陥る。

 生の現実は決して充足ではないのだ。私たちの生には悲しみがあり、別れがあり、喪失がある。日々やってくる欠落を、その都度その都度かかえて生きざるをえないのが生であり、その生にそもそも完成はない。だが、母親は息子の不在を受け入れることができない。欠損を無理やりふさごうとする。

母は、兄のいなくなった空間を埋めるどころか、そこに、あらゆる思い出をしまい込み続け、もう入る余地もない状態になっても、ぎゅうぎゅうに押し込んだ。大切な記憶の中に棲む彼から、ジャンクとしか呼べないものに交じった彼まで、一緒くたにして、はしから詰めて行ったのだ。

 しかし、欠損を欠損として受け止めない以上、時間はその流れを取り戻さない。過去の記憶がそのまませき止められ、行き場を失い「壊死」するだけである。

 小説は、何とか「壊死」することなく、その後を生きてゆこうとしている弟と2人の妹、3人の不器用とも思える生き方を描く。兄を亡くした子どもの頃から、恋人ができ、恋愛の問題をかかえる大人の今現在まで、回想をからめながら、心の道程が丁寧に辿られる。

 それぞれが喪の作業と格闘している。長女の真澄は、義理の父親に言われる。

「いったいどうして、きみは、死に対してそんなにも厳格なの?」(p.193.)

 人を失うことの恐さに恋愛に躊躇する娘に義父はそう言う。

 弟創太は、「母親の味を知らない不憫な子」として、「記憶を改竄」することができない(p.95.)。「その後」を生きるために、私たちは過去の意味を新たに付与し、それによって一貫性を保って、生の方向を決める。しかし、その記憶の物語化を創太は達せないでいる。

 一番下の千絵は、澄生の記憶をほとんど持っていない。その意味で死の影は薄い。それでも、彼女は、生き方を決められてしまっている。それは「あたしは、自分が、まるで皆をつなぎ止めるために生まれたような気がしてる」と言うように、気づいたときには、子を亡くした家族らしい生き方を押し付けられてしまっているのだ。 

 私たちは愛する人の死に直面したとき、激しい喪失を体感する。自分の一部がもぎとられて、「がらんどうになった部分を抱かえて行かなく」(p.195.)てはならなくなる。そのとき、人に手当をしてもらわなくては生きていけない人もいる。「自然治癒を待ち続けなきゃならない人だっている」(p.117.)。生を再び歩みだすための「軌道修正」は、人それぞれであり、そのときに人と人の関係があらためて結び直されることになる。

 それは家族の関係もそうであるが、実は社会においての関係も同様である。依存症が持ち直し、気分が上向きなった母親は、末娘千絵と外出する。ところが、自分のさしていた傘がある若い女性にあたり、舌打ちをされる。そのとき母親は言う。

「やっぱり、ママ、他人様の邪魔になっちゃうのね。迷惑をかけないでは何もできないのね」(p.146.)

 私たちはだれでも喪失を抱え込む。だが、欠損のない社会では、そうした心の傷は考慮されないどころか、充ちていることが当たり前である以上、そのまま「迷惑」とされる。しかし、社会とは、老いや、ハンディキャップや、体の不調や、心の悲しみや、さまざまな欠落をかかえた人たちが本来よりそうべきところなのだ。それぞれが欠損を自分なりに埋め合わせて生きて行けるよう、それぞれが他人に負担をかけ、そして負担をかけられながら生きている場所なのだ。充実している社会は、そうした人々の根本的な欠落としての生き方を隠蔽する。

 残された3人の子どもたちは、家族から離れて、恋人と新たな生活を始めても、家に戻ってくる。それぞれが迷惑をかけることを、ときにはいやがりながらも、それでも引き受けて生きてゆく。最後に小説は、家族が澄生の命日を受け入れることができなかったことの代わりとして、澄生の誕生日にお祝いをすることを思いつく。お祝い、それは、もはや死者への引け目でもない。そして何事につけても、死者を引き合いに出して説明をしていた、言い訳でもない。「死んだ人も年をとる」。死者でありながら、私たちとともに年を取る。そのように死者を受け入れてはじめて家族はそれぞれの今を生きるようになる。

 この作品は、第一章が「私」長女真澄、第二章が「おれ」長男創太、第三章が「あたし」次女千絵がそれぞれ一人称で語ってゆく形式になっている。しかし第四章だけが「皆」で三人称で語られている。その謎解きは最後の最後になって明かされる。そのとき読んできた私たちは、死者と共存することがどういうことか、はたと気づくのだ。

 「憎むのでもなく、許すのでもなく」。この邦題は、5歳のときにナチスに逮捕されたが、逃亡に成功し、その後、精神科医となったボリス・シリュルニクが自らの人生から引き出した教訓である。と同時に、単なる体験談、人生の知恵というだけではなく、その自らの体験を対象化、すなわち、現在の自分が距離をもって捉え返し、精神科医としての学問的知見から、導きだされた省察でもある。私の体験と、省察が折り重ねられて綴られたのがこの作品であり、それが大きな魅力になっている。

「憎むのでもなく、許すのでもない」ならば、選択肢は何か。ナチズムや人種差別について、シリュルニクは言う。

私にとっての選択肢は、罰するか、許すかではなく、ほんの少し自由になるために理解するか、隷属に幸福を見いだすために服従するかである。(p.320)

 ボルドーに生まれ、フランス人の意識しかなかった自分が「ユダヤ人」というレッテルを貼られ、ナチスに逮捕の対象となり、また戦後も「ユダヤ人」というレッテルだけで差別される。だが「ユダヤ人」とは「現実から切り離された表象」(p.319)である。隷属とは、この表象に隷属して、思考を拒否することである。共同体とは、この表象を分かち合う人々の集団と言ってもよい。そして私たちの世の中は、「答えのない疑問がいきなり現れると、(...)単純な考えが答えになる」(p.91.)。

 それに対して理解とは、私たちの知的な努力である。事態を理解することで、その事態に対する見方を変えていく態度である。憎むとは、思考の停止に等しい。なぜなら、シリュルニクが言うように、「憎むのは、過去の囚人であり続けること」だからだ。

 過去にとらわれるとは、そこで思考が停止し、その一点に固まってしまうことを意味する。しかし、生きるためには、私たちは、この過去を練り直していく必要がある。過去から離れることはできない。しかし生きる時間の中で、過去を意味付けなおし、過去から現在へと一貫性のある物語を構築しなくてはならない。そこに生きる確証が見いだされてくる。

人生を物語にするのは、一連の出来事をすべて語るのではなく、自分に起きたことの表象の中で、自分の思い出を整理して体系化することだ。(p.93.)
 
自分の心を見つめると、イメージや言葉の表象ができあがり、心の中の映画館には、記憶されたいくつかのシナリオが浮かび上がる。自分の物語を自己に語る、そうした心の中の映画は、自身のアイデンティティを構築するのに役立つ。(p.100.)

 生とは、ひとつの流れであり、その都度その都度生まれるものではないだろうか。人生を歩む分だけ、私たちは新たに自分の物語を語り直す。こうしてたえず、生を生むことが生きることになるのではないか。だから体系化とは、不動の建物を立てることではない。思い出の破片を集めて、つなぎあわせることで、映画のように流れるストーリーを作ることと等しい。

 ここで大切なことは、物語は虚構ではないという点だ。人の記憶には誤認がつきまとう。特にシリュルニクのように子どものときの記憶を遡らなくてはならばい場合は、なおさらである。その記憶には多くの欠落がつきまとうし、自らが生きるために、物語に、実際とはことなる整合性をたずさえた意味を与えたりもする。すなわち物語全体は事実ではない。それは事実の表象である。しかしだからといって、それを虚偽として捨て去っては決してならない。

「表象」という言葉は実に的確である。思い出は、現実をよみがえらせたものではない。思い出は、われわれの心の中の劇場において、真実から表象をつくるために、真実の断片を寄せ集めたものなのだ。心の中で上映される映画は、われわれの物語や人間関係の帰結である。われわれは幸福であるとき、自分たちが感じる幸せに一貫性を与えるために、真実の断片を記憶の中から探し出し、それらを組み立てる。そして不幸なときも、自分たちの苦しみに一貫性を与える真実の断片を探し出す。(p.137.)

 ここで注意したいのは、シリュルニクが「真実の断片」と言っている点である。表象は現実とは異なる。しかし表象の源泉には、断片に過ぎなくとも「真実」があるのだ。私たちが証言を聞くとき、取らねばならない態度がこれではないだろうか。私たちが受け取る話は現実ではなく表象である。しかしだからといって、それは歴史的事実とは異なるとして否認できるだろうか。いいやできはしない。なぜならば、その表象としての物語には、体験者が心に刻んだ真実の欠片が散りばめられているからである。だから私たちはその表象の源泉まで降りていかなくてはならないのだ。

 聞く者にこの姿勢がないとき、体験者は沈黙へと陥る。シリュルニクの語りは、『一九四四年一月に私が逮捕された時点から出発して、「パポンが断罪された」』(p.321)ところで終わる。つまり20世紀も終わりに近づいてからである。社会に、今まで隠されてきたドイツ占領下のフランスの実態が明るみになったときに初めて、シリュルニクも語り始めるのである。この問題が封印されていた80年代までは、沈黙があるだけであり、体験は「心の中の礼拝堂」(p.187.)だけで語られていたのである。

 ではその間、例えば終戦直後の社会では何が語られていたのか。

共同体の物語では、ド・ゴール将軍やルクレール将軍、共産主義者のレジスタンス、さらには隠れて抵抗した一般庶民の功績が褒めたたえられた。(...)[映画『静かな父』では、臆病者や街のごろつきさえも、フランス人全員がナチス・ドイツに抵抗したことになっている。(p.172.)

 もちろん抵抗した人々も数多くいただろう。それは事実である。しかし問題なのは、この物語は、他の解釈の余地のない、すなわち書き換えることなどない、疑うことを許さない不変の真理として、提示されている点である。このとき、物語は神話となり、もはや再構成されることはない。この時物語はその動的生命を失い、プロパガンダの手段に堕する。嘘なのはこちらだ。

 物語は、過去と思い出の関係だけなく、語り手と聞き手との間でも変化するきわめて生成的なものである。

 それに対して、トラウマ的体験は、動かず固定されたイメージ、しかも自己のコントロールが効かず、不意に、そして何度も、時間的変容を一切被らず、人を支配する体験である。

記憶が健全であれば、明確な自己の表象によって、行動計画をスムーズに立てられる。しかし、大きな不幸に見舞われて心が引き裂かれると、習慣的な思考パターンではこの予期せぬ問題を解決できない。新たな解決策をみつける必要があるのだ。ところが、悲痛な想いがあまりにも強烈で、心がぼろぼろになり、打ちのめされた状態にあるとき、われわれは精神的苦しみによって感覚が麻痺し、呆然とした状態に陥ってしまう。(p.54)
 
トラウマ的体験は過去の記憶に残る要素を適合させることがもはやできないほど、未知の異物として、人を圧倒する。そして「お決まりの文脈に落とし込まれ」(p.308)、固定され動かなくなる。それがトラウマの苦しみ、生の枯竭ではないだろうか。
 
トラウマをともなう記憶は、絶えず繰り返す、固定された不変の思い出である。それは、物語の停止であり、死んだ記憶だ。(p.310)。

 では、私たちはトラウマから逃れることはできないのだろうか。そんなことはない。トラウマ的記憶が物語的記憶へと変化する、そのきっかけを作ってくれるのは、その体験者のことを覚えていてくれる他人の存在である。

 ところが、過去の試練についての思い出を分かち合うことができれば、記憶はよみがえる。そのとき、恐ろしい現実の表象に一貫性を施した修正に、われわれは驚愕することになる。思い出は進化するのだ。語る環境が整うと、物事がそれまでと違って見えるのである。(p.300.)

 だが、そのためにはときに長い時間を必要とする。シリュルニクを引き取ってくれた叔母ドラと、打ち解けて過去の話ができたのは、ドラが90歳を過ぎてからである。

 言語化する能力、それはまわりの人の愛情によって育まれるとシリュルニクは言う。résilience=へこたれない精神は、自分の努力でない、実は他者の愛情によって、人間が身につける、生きるための精神なのだ。