神奈川県立近代美術館 葉山『戦争/美術1940-1950 モダニズムの連鎖と変容展』(2013)

 芸術作品がそこに在るとき、その作品を作り出した芸術家と呼ばれる人間がいる。芸術=アートが自然ではない以上、芸術が人間の創造によることは自明である。ただなぜ芸術家は創造へ向かうのか。あるいは何が芸術家を創造へと向かわせるのだろうか。そこには個人的な表現欲求があることは確かだとしても、果してその欲求は、どこまで純粋に個人的なものだろうか。

 世の中に歴史として捉えられるような大きな出来事が起きるとき、それを機に実に多くの作品が生み出され始める。東日本大震災の後、多くの小説や詩が書かれ、写真や絵画作品が作られている。この展覧会の主題である戦争という事象も、また実に多くの作品を生み出した。歴史的出来事をきっかけとする作品は、創作者たちが生きる同時代において地震や戦争といった惨事がなければ、おそらく生み出されえなかったであろう。その意味で、これらの作品は、その生きている時代に呼応して生み出された作品だと言えるだろう。

 もちろん、時代と作家の関係は、それほど単純ではない。特に戦争の時代は、単なる呼応だけではなく、国民総動員体制のもとで、全国民が戦争へと引きずられていった中で、芸術家たちも制作によって奉仕することになる。戦争下における、画家の主体性の問題は、一筋縄ではゆかない問題である。国家の体制に反抗する画家たちがいる。従軍してルポルタージュのように戦地から絵画を送る画家たちがいる。そして戦後、戦争の惨事を告発しつづける画家たちがいる。どのような立場をとっていようとも、そこに芸術作品が生み出されたことことは確かだ。平時ではないからこそ、戦争という時代の切迫感のもとだったからこそ、画家たちは何かに取り憑かれたかのように、実におびただしい作品を生み出していった。

 <戦争/美術1940-1950 モダニズムの連鎖と変容>展(神奈川県立近代美術館 葉山)は、1940年から1950年を中心としながら、前後それぞれ5年間をあわせ、35年から55年までの20年間に制作された絵画を紹介している。展示された絵画は実に多様である。日本画や水墨画の系譜をひく作品もあれば、西洋絵画、特にシュルレアリスムに影響を受けた作品もある。南方へ従軍し、エキゾチックなモチーフを描いた作品もあれば、戦中・戦後の日本の風景をスケッチした作品もある。

 この展覧会では、戦火を直接描いたり、兵士の姿を具象的にとらえた作品は少ない。戦地を描いたものも具体的な戦いを主題とはしていない。たとえば、山崎隆『続戦地の印象(其五)』(42年)で描かれるのは、荒涼とした土地だけである。そこには死者はいない。しかし掘り起こされたかのような黒ずんだ泥が、墨を飛び散らかしたかのような跳ねたタッチで描かれる。風景のはるか奥には、黴のようにくすんだ緑青色がそれほど荒らされることのなかった大地を覆っている。この陰鬱な土地とは対照的に、画面の上3分の1を占める白い雲が立ち上る空は眩しいほどに美しい。荒々しい筆遣いが描くのは、やはりそれとは対照的な沈黙の世界である。

 山口蓬春『南嶋薄暮』(40年)が描くのは、赤い屋根、南洋植物、木につながれたずんぐりした牛、そして頭にかごを乗せて食べ物を運ぶ薄褐色の肌をした女たちである。日本軍が出兵したはずの南方地方であるが、ここに描かれるのは、きわめて日常的な風景であり、空の青、壁の白、そして屋根の赤の透明さは、この世界の健康さを映し出しているかのようだ。

 もちろん敵国を貶める国威発揚のための絵画もある。その代表が藤田嗣治『ソロモン海域に於ける米兵の末路』(43年)である。藤田は「戦後は画家の戦争協力に対する批判の矢面に立ち、49年に日本を去」っている(図録、p.69)。ここでは何匹ものサメが姿をのぞかせる荒海に浮かぶ小舟と、その小舟で最期を迎えようとする米兵たちが描かれている。しかし、この絵をどのように観ようとも、おおよそ米兵に対する蔑みは感じられない。まず構図はジェリコの『メデューズ号の筏』のように力動感にあふれている。狂った海は崇高さをたたえている。そしてある者は疲弊しきり、ある者は瀕死の有様であるにもかかわらず、一人の兵士だけは小舟の上に立って、前方を厳しい表情でしっかりと見据えている。その肉体はたくましく、肌は薄光りしている。そのたくましさゆえ、海やサメへの恐怖はみじんも感じられない。この米兵の肉体と立ち姿から伝わるのは、ただただ宿命に対峙する強靭な意思である。

 展覧会の戦後の章を代表するのは、丸木位里・俊の『原爆の図』である。この作品群はもちろん強く原爆を告発するメッセージ性の強い作品であるが、だがメッセージに奉仕するというには、あまりにもこの絵画作品自体の存在感は圧倒的だ。この作品が原爆の悲惨さを描いていると頭で理解する前に、まず私たちを打つのは作品全体にあふれる生命感である。ただしその生命は人間のものではない。その人間を焼き尽くそうとする火の生命感である。業火の赤と白は鮮烈で美しい生き物で、ヘビのように人間に絡みつく。そして、焼かれる人間は薄黒く煤けた炭である。その人間たちは意外なほど、身体の姿をとどめている。まだそこには顔があり、腕があり、尻がある。いくら火に焼かれようとも、体が炭のようになろうとも、その人間性からどこまでも逃れられないというかのように。

 今回の展覧会のなかでとても心を揺すぶられたのは松本竣介という画家の『立てる像』という絵である。図録によれば(p.63.) 、松本竣介は1912年生まれ。子ども時代に聴覚を失い、戦争中は兵役の免除を受ける。41年に「生きていゐる画家」と題する文章を発表し、戦争協力に反対した。『立てる像』はその翌年に描かれた画家の自画像である。画面の中央に立つ青年。その顔はおだやかだ。しかし動じるところはない。静かな自分の信念が、その落ち着いた表情に宿っている。今までにこれほどまで、これ見よがしではなく、しかし自分を恃む意思をたたえた表情に出会ったことはない。空には雲がどんよりと漂っている。道にはゴミが落ちている。しかしその中央に、画家は「立っている」。立っているとは、生きている、生き続けるという強い決意である。この自画像には画家の溢れ出す生命の充実がそのまま清らかに描かれているのである。戦争という危急にありながらも、自分に忠実であり続けた画家の姿がここにはある。

戦争/美術 1940‑1950 モダニズムの連鎖と変容 - 神奈川県立近代美術館 葉山