フランスの詩人アラゴンについて調べていて、次のような彼のことばがあった。「プロレタリア文学は、形式において民族的であり、内容において社会主義的であろう、というスターリンの言葉をもう一度思い出そう」。
文学同様、音楽も民族の精神、階級の精神に結びつけて語られやすい。たとえば音楽に託された虐げられた人々の魂の声というような言い方である。たとえ抑圧ということばを持ち出さなくても、なぜマイケル・ジャクソンが兄弟ともども幼くして芸能生活を始めているのか、そこには黒人と芸能という切っても切り話せない社会生活の一端がはっきりと示されている。
アラゴンからずいぶん飛躍だが、それでも音楽という文化はメッセージをもち、ある階級や人種の抵抗のシンボルになりうる。しかし音楽が本当に生き始めるのは、その音楽が、当初の対象であった、階級や人種の閉じられた壁を越えるときではないだろうか。Isley Brothersは、当初から曲が白人ロックグループに取り上げられ、ひとえにポピュラー・ミュージックとしての俗化に寄与してきた。
そして70年代前後。ソウルにインスパイアされた白人ミュージシャンの曲をカバーすることになる。それも洗練されたアレンジのメロディラインと、練り上げられたファンクのリズムで、音楽が何らかのジャンルに属す必要などまったくないことを実感させてくれたのである。時代の重々しさを引きずった前作も重要だが、Isleyらしい吹っ切れ感があって、こちらのアルバムのほうを何度も聞いてしまう。
たとえばSweet Seasonの解釈が好きだ。60年代のポップスの定型を抜け出して、軽やかなコーラスを聞かせて、後半はファンク調のギターをからめて、Keep On Walkin'にうつり、コーラスもドゥワップにかわるとこころがスリリング。
Work To Doも最初のピアノの音が印象的だが、ヴォーカルはその甘さを軽く拭うかのようにパンチが効いている。このシャウトしながら、高音をのばしてゆくサビの部分が最高です。
スイートであるが決してBGMではない。この静かな主張が、70年という時代を越えて現在まで届いてくる。そこには洗練という音へのこだわりが必要だったのだ。だから、このアルバムを聞きながら、歌詞ではなくサウンドへと注意が行ってしまう。そうした聞き方はアルバムが出された当時ならばできなかったかも知れないが...
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