「好きなミュージシャンは?」と訊ねられれば、やはりThe Kinksと答えるだろう。しかし「人は愛するものについては常に語り損なう」。The Kinksについてどうやって語ればいいのか、いまだ表現に迷ってしまう。
Everybody's in Show-bizは、The Kinks混迷期の一歩手前で出されたアルバムだ。しかし、この2枚組アルバムの2枚目のライブを聴けば、もうすでに、60年代ブリティッシュ・ロックの鋭さはなく、70年代、所詮ロックも商業主義の一分野に過ぎなかったことを十分に承知したうえで、ならばどこへわれわれは漂流すればよいのか、そんな手詰まり感が痛い程伝わってくる。これはコンサートではなく、ショーなのだ。
しかしこのアルバムにはThe Kinksのなかで最も好きだといってもよい曲が収められている。Sitting in My Hotelだ。ここにはレイの、ツアー最中の果てしない繰り返しの中でうまれる倦怠と孤独が自嘲気味に歌われている。自分を突き放す、シニカルな視線がもっともよく表現された曲だ。有名であることは、ロックを創造してゆくことと相反し、ビジネスが成立することになる。盲信すれば金が入ってくる。それを拒否して芸術家気取りのうぬぼれのままでは、生きていけない。いったいロックは、余興なのか、それとも世界を塗り替えうる力を持っているのだろうか。ショービズにどっぷりつかるThe Kinksは、そのどっちつかずのところで、かろうじてシニカルな視線を保つことでロックでありつづけている。
If my friends could see me now, diriving round just like a film star.
In a chauffeur driven jam jar, they would laugh.
They would all be saying that it's not really me.
(...)
Sitting in my hotel, hiding from the dramas of this great big world
(...)
Sitting in my hotel room, thinking about the country side and sunny day in June.
ここにあるのはロックの幻想から醒めてしまったロックスターの諦念だろうか。ホテルの窓から、外の世界を眺める。ロックビジネスにあることは、この外の世界とは異なる世界に生き続けることになってしまっている。ロックはムーヴメントでも、スペクタクルでもない。70年代にはいってロックは消費文化へと向かう。そのステータスの変容を不器用なまでに、微笑みを浮かべてその中に立ち尽くしていたのがレイの原像だろうか。友人というパーソナルな人々のつながりをもはやロックは赦さない。約束事が形成され、その役割を果たすことがエンターテイメントとしてのロックなのだ。レイ・デイヴィスはそれを演じることでしか、答えが出せなかった。Beatlesのように芸術として現実を撃つ力はもはやなく、Rolling Stonesのように潔くパフォーマーになるわけでもなく。
だがその屈折が素晴らしいのだ。有名でもなく、無名でもなく、コンサートをすればそれなりにお客が、おそらくは批評眼などないであろうお客が集まってくる。そのお客を楽しませるショーが今夜も始まる。でもかつての友人たちは言うだろう、「それは、お前のやることではない」と。だがその不器用さがこのうえもなくいとおしいのだ。 Aristaに移ってからの成功はまさに起死回生の感があるが、それでもNight Walkerは聞くにたえるアルバムだ。
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