Tété

Tété, Homebrew52 (2014)

homebrew_52.jpg わずか4曲のミニ・アルバムだが、どの曲もテテにとってはとても大切な曲なのだろう。テテの音楽の魅力のひとつは「フランスらしくない」こと。もっと言えば「どこでもない」場所から生まれてくるのがテテの音楽。街路でも、カフェでも、場所など関係なく歌っていたからこそ、テテの曲にはどこにも属さない自由さがある。そしてさまざまな音楽を屈託なく取り込んでいくどん欲さがある。

 このどん欲さは、たとえば彼のカバー曲のレパートリーの広さにも伺える。ビートルズやボブ・マーリーのカバーといった、彼の音楽の源をまっすぐに感じさせる選曲から、今回のジョーン・ジェットという意表をつくレパートリーまで実に幅広い。このどん欲さは、音楽を純粋に楽しむ彼の心の素直さと言い換えることができるだろう。

 テテがどこでもない場所にいるという意味は、彼が常に旅をしているということでもある。だからフランスに根を降ろした音楽でも、アフリカにルーツを持つ音楽でもない。今回は英語で歌っているが、たとえフランス語で歌ったとしても、言葉によってテテの音楽は左右されないだろう。

 今回のアルバムはあくまでもデモ録音のものだ。でも、それだからいっそうテテのギターの強いタッチが楽しめる。おそらくずっとテテは、こんなふうに、アンプがなくても、街中に、魅力的なギターを響かせてきたのだろう。

Tété, Nu Là-bas (2013)

nu_la_bas.jpg テテのファーストアルバムL'air de rienに収められたAiséは、彼が初めてフランス語の歌詞で作った曲である。そのなかにこんな一節がある。

Comment veux-tu que l'on aime
Quand on ne sais même
Pas comment se prendre soi-même ?
Moi, je ne suis qu'un trouillard.
 
人はどんなふうに愛せるっていうのさ
自分自身が誰なのかさえ
わかっていないというのに
ぼくは、ぼくは単なる臆病者。

 臆病者だからこそ、自分を隠す。人から身を隠す。テテの出発点はここにあったと思う。歌を歌うことは、決して自分をさらけ出すことではない。このファーストでこそ、アコースティック主体で、自分を歌っている曲もあるが、セカンド以降では、アルバムごとに異なった意匠が施されることになる。セカンドは叙情性、サードは演劇性、そして4枚目は、アメリカのルーツロック、ブルース。それぞれが音楽的にかなり綿密に作りこまれ、サウンドクリエーターとしてのテテの才能がいかんなく発揮されている。

 またセカンド以降のテーマはいずれも旅である。テテにとっての旅は自分探しではない。旅をしながら人に出会うことであり、テテは出会ってきた人について歌にしてきた。と同時に自分については歌うことはなかった。歌詞は韻や言葉遊びに溢れ、語りではなく、詩であった。

 しかし、この新作は違う。もちろん様々な音が作り込まれているが、とてもシンプルなのだ。そして自分についてもきわめてシンプルに語っている。

Guitare au poing
J'appris alors des bars du coin
La corne aux doigts pas à l'égo
L'art de l'esquive et du chapeau
 
ギターを握って
ぼくは覚えた、街角のバーから
指には固いタコ でも心は固くなく
身をかわしたり、帽子にお金を入れてもらうこと

 こうしてテテは自分の過去を「歴史」の一コマとして振り返る。自らを隠すことなく、またさらけ出すのではなく、あくまで登場人物として、落ち着いた目で過去の自分を眺めながら。この大人の視点は、自分の母、父、祖父母、さらにはアメリカの黒人たちへと注がれる。

 そして曲はどこまでも明るい。その明るさは、今まで隠れていた暗い場所から、日ざしの注ぐ明るい場所へ出てきたようだ。

 特に好きな曲はヒューストンだ。ここでは遠い、今は消息もわからなくなってしまった友人が歌われる。

Houston
On t'a perdu
Ici l'Essone
C'est moi Tutu
(...)
Entends l'ami d'antan
Moi seul scellerai ton salut...
Moi seul scellerai ton salut...
 
ヒューストン
みんな君のことを見失ってしまった
ここはエソンヌ
ぼくだよ、チュチュだよ
(...)
聞いてくれ いにしえの友よ
ぼくだけが、君の救いの印となるだろう
ぼくだけが、君の救いの印となるだろう

 過去は決して流れさってはいない。もう会わなくても、会えなくても、でもあのときの友だちは、ずっと友だちで、だからどんな境遇になっていたとしても、救えるのは僕なのだ。そんなテテ本人の優しさに満ちあふれたヒューストンが好きだ。

le_premier_clair_de_laube.jpg 最初のハミングとギターの弦をかする音だけで、今回のアルバムが旅を続けるシンガー・ソングライターの遍歴を描くアルバムであることを印象づける。前作の、スタジオでしっかりと練られた、ユーモアとペーソスがうまく混じり合った演出のなされたアルバムとは異なり、このアルバムは旅のスケッチ、旅の合間に綴った日記のようなアルバムだ。広島、パリ、オレゴン州、ブリュッセル、モントリオールなど、土地の名前が曲のクレジットに挟まれている。ツアーの間の日常的なスケッチと言えばよいだろうか。流れ者テテの記録としての音楽だ。アルバムにも何枚もライブの風景写真が収められている。

 基本的にはシンプルな小品が集められている。どの曲も3分前後で終わる。ドラマティックな展開もない。むしろブルースやフォークの原風景ーアメリカの大地の中で、ギターをもった人間が最初につまびいたに違いない音、そんな簡素な音楽である。

 そのせいか、たとえばMaudit bluesのようなわりと素直な曲が多い。その中で最もテテらしい曲は、やはりアルバムタイトルのLe premier clair de l'aubeだろうか。2分45秒のギター一本の弾き語り。何ていうこともない。アルバムの曲と曲の間にはさまった間奏曲のようでいて、それでいて、テテの微妙な節回しが堪能できるなかなかの佳品だ。Petite chansonはまさに曲のタイトル通り、簡単なメロディラインの曲だが、それでいて、いつものテテのやさしさが感じられる素敵な小曲。Les temps égarésもいい曲だ。いかにもテテらしい乾いた空気のなか、叙情的なメロディが流れてくる。

 いつもどこかの街角でギターを持って歌っているテテの等身大の作品集が今回のアルバムだ。アンプなしでどの曲もできてしまえる肌触りのここちよい音楽がつまっている、最後のBye-Byeもご機嫌な一曲。おそらくライブではこの曲をアンコールにやって、幕が閉じるのだろうか?

付記

 Tétéのこのアルバムは日本盤でも4月11日に発売される。しかも、特別限定盤にしかついていなかったデモ5曲が、日本盤にはボーナストラックでおさめられいる。さらにはvideo-clipもつくとのこと。

 Webサイト(メタカンパニー)によれば、Tété初のアメリカ録音で、プロデューサーはロス・ロボスのメンバーらしい。確かに今まででもっともアメリカっぽい音だ。Tétéはあらためて流浪の詩人だという気がする。どの場所でも柔軟に生きていける自由さと寛容さをもったミュージシャンだ。

Tété, Le Sacre des lemmings (2006)

le_sacre_des_lemmings.jpg Tétéの3枚目にして、代表作といえるアルバム。1stのビートルズ、ボブ・マーリーに触発されたフォーク・ロックを聞いたときに、フランスにもついに野暮ったさとは無縁のロック・ミュージシャンが現れたと感動した。セネガルで生まれ、その後すぐにフランスへ。そのせいかアフリカを背景に感じさせるものはなく、かといってフランスの音楽の影響もない。そんな無国籍のなかで育まれたのがTétéのロックだ。とはいえ、とくにボブ・マーリーの影響は明らかで、たとえ彼のRedemption songが最高の1曲だといっても、それは素直なオマージュ、レスペクトにとどまっていた。

 2枚目は、叙情性のあふれる美しいアルバムである。メランコリックで繊細なTétéのよさが出ている。とはいえトータルなコンセプト性は薄く、「よい曲を並べました」という印象が強い。

 だが、この3枚目はアルバム全体を貫くコンセプトが明快であり、ついにミュージシャンがアーティストになったと確信させる傑作となった。「レミングの朝明け」で幕が開け、「レミングの夕暮れ」で幕が閉じられるまで、ひとつの色調で曲が成り立っている。その色調とは、「悲喜劇」だ。喜びのなかにある悲しみ、ペーソス感といおうか。単に叙情性に流れないドラマがどの曲にもある。そのためどの曲も3分かせいぜい4分なのに、十分聞きごたえがある。

 Fils de ChamやLa Relanceで聞けるとぼけた雰囲気のなかに哀れみを感じさせるようなメロディはTétéにしか作れないオリジナリティあふれるものだ。Madeleine Bas-de-LaineやCaroline On yeah Heyは、Tétéらしい繊細かつポップなメロディが美しい佳曲。そしてComme Feuillets au ventのように懐かしさやせつなさを感じさせる美しいメロディ。またA la vie à la mort、A Flanc de Certitudes、Mon Trésorのようなジプシーとは言わないが、昔の民衆歌謡を彷彿とさせる曲もある。

 このように書くと、きわめてバラエティに富んだ印象もうけるが、Tétéの曲にはどれにも単純にはわりきれない情感の豊かさを感じる。その情感の起伏に今回のアルバムでは特にストリングスなどのオーケストラをバックとして、奥行きが与えられている。

 アフリカ、パリ、モントリオール。Corneilleはそうした旅を余儀なくされた人物であるが、彼の音楽は素直なほど、アメリカのソウルの文脈に忠実である。それに対してTétéは同じように音楽の旅を続けながら、そしてどんよくに様々な音楽を吸収しながら、やがて彼にしか作れない、豊かな叙情の音楽へと至った。その美しく細いヴォーカル、決してわかりやすくはないが随所に感じられるユーモアセンスや寓話性に満ちた歌詞、そして最初からTétéの才能を決定づけていたメロディの美しさ、それらをすべて含みこんだうえで、出来上がったのがこのサードアルバムである。