MORTS POUR RIEN

 戦争で命を落とした兵士たちの死を、犠牲という名のもとに、栄光に満ちた尊いものとして祭り上げる。国家が巧妙に行なう、この死者の神格化の隠しえない目的は、現実のあり様を忘却に付すことである。死者を冒涜すべきではない、その死は無駄ではなかったという、一見あらがい難い論調は結局は国家による思弁であり、それに飲まれて私たちは現実を見る目を失っていく。戦場での死の現実とは、死体に刻まれた激しい暴力の痕である。

 この章でTrevisanが取り上げるのは、こうした国家が張り巡らす死者への意味付けを、さまざまな方法で無化させようとする作家達の表現である。例えば、DorgelèsのCrois de boisでは「価値の転倒」が行なわれる。「祖国のために死す」と題された章で、実際に展開されるのは、命令に背いただけでむごたらしく殺される兵士の姿であり、「勝利」と題された章で描かれるのは、勝利の代償である「死者」である。

 戦争の犠牲とは本来ならば不戦へと至るべきものであるが、そうした思いは、次の大戦の到来によって意味を失う。先の大戦の死者は、次の大戦の開始によって、自らの死が無駄死にだったのだと認めざるをえない。Guéhennoの自伝形式の物語Journal d'un homme de quarante ansは、1890年に生まれてから現在までの自己の体験が語られているが、それが語りの現在、すなわち第二次世界大戦の到来を予感させる1934年に書かれていることが重要である。すなわち語りの現在とは、語られた出来事が現実に繰り返されようとしている現在である。

Je vois ces foules qui, cet après-midi, ont défilé à Berlin devant [...]Adolphe. [...] J'entends le bruit des lourdes bottes frappant l'asphalte. [...] Les deux cadavres passent, les héros de la fête, et voilà que montre en moi, comme en cette foule aux mains levées, je ne sais quel goût de ténèbres. Peut-être n'en somme-nous que là encore ? Peut-être est-il aussi vrai qu'inconcevable que les hommes ont le goût du sang et de la mort.
 
午後、アドルフの前を行進してゆく人々の群れが見える。アスファルトを打つ思い軍靴の音が聞こえる。2つの死骸、今日の祭儀の英雄達が目の前を過ぎていく。すると自分の中にも、そして敬礼をする群衆たちの中にも、言いようもない暗闇への嗜好が生まれてくる。もしかすると我々はまだそんな場所にいるのだろうか?人間が血と死への嗜好を持っているということは、おそらくは考えられないことであると同時に十分な真実なのかもしれない。
 
La terre a bu du sang, les os deviennent cendre, le grand cimetière des nations est tout envahi par les herbes. Tout sera prêt bientôt pour une nouvelle moisson.
 
大地は血を吸い、骨は灰となる。民族の大きな墓地は草で覆われる。そしてまた新たな収穫をもうじきむかえようとしているのだ。

 Guéhennoのこの叙述に見られるように、第一次世界大戦の死者の教訓は結局どこにも生きていない。むしろ死者を栄養として、また新たな死者が生まれようとしているのだ。

 Trevisanは、この「反復効果」を語りの構造の特徴とする作品をいくつか挙げている。Claude SimonのL'Acaciaでは第一次世界大戦で戦死した父と、第二次世界大戦に動員される息子、Jean PerretのRaisons de familleでは、第一次世界大戦で戦死した叔父と、アルジェリア戦争に出兵する甥が、重ねられる。

 これらの構造からわかることは、時を経ることによって、戦死者に与えられていた当初の象徴的な意味ー犠牲と名誉ーが失われていくことだ。

 第一次世界大戦で父を失ったCamusのLe Premier hommeでは、複数の視点(Trevisanは、夫をなくした妻、父をなくし、現在は大人になった語り手、そしてCroix de boisの一節を聞かされる語り手の子ども時代の3つを指摘する)が用意される。妻は、第一次世界大戦という歴史を理解することはなく、その理解しえない戦争の中で夫を失う。語り手は、父親もふくめたズワーヴ兵(アルジェリアのアラブ人、フランス人で編制された歩兵隊)たちが、次々と殺されていく場面を描写する。そして、語り手の子ども時代、彼は、戦争を人間の肉体の破損として思い浮かべる。いずれも戦争、そして父の死は、戦場の名誉とは遠く隔たった現実として描かれているのだ。
 
LA FIN DS HÉROS : VICTIMES ET BOURREAUX

 戦死兵士の信仰を揺るがすのは、荒廃とグロテスクの表象である。たとえばGenevoixの兵士は、けだもののようであり、また自動人形の状態のように描かれる。そして兵士たちは何よりも被害を受けるvictimesとして捉えられる。例えばCéline, Voyage au bout de la nuitの主人公バルダミュは、ドイツ兵の標的であり、弾が飛び交うなかで決定的に無力な存在である。

 このvictimesを最も印象深く象徴するのは若者の死である。「早すぎる死」は、例えばPéguyによって美化された対象として描かれるが、これに対してGuéhennoは猛烈に反発をする。Guéhennoは、こうしたヴィジョンがうたわれるのは、「若くして死ぬ者は、神に愛される」という古くからの決まり文句があるが、実は暴力に威光をもたらすことに他ならないと言う。

 そもそも若者たちは、大人たちの責任を取らされて、その犠牲者になるのだ。Raynalの戯曲Le Tombeau sous l'Arc de triompheでは、父と子の役割が逆転したことが述べられる。すなわち、子に命を与えたのは父であるが、今やその父の命を守っているのは子に他ならないのである。

 特に第一次世界大戦は、強い者が勝者として生き残るというこれまでの戦争観を逆転させた。なぜならば、未来を作っていく若者こそが犠牲になっているからだ。Genevoixの言葉によれば、「戦争とは、若者が死を宣告される行為」であり、またDuhamelによれば、墓場は、老いと病の結果ではなく、「若くて頑強な人間たちの場所」となってしまった。

 次世代に属する語り手たちが大人になったとき、その前の世代の若者たちは、すでに彼らよりも歳下になり、彼らこそが「子ども」となる。例えばLe Premier hommeでは、父は29で亡くなり、その墓の前に立つ子どもは40歳である。Paul Ricœurは「墓碑は、私の父という子どもについて、歳を取り続けるもう一人別の子どもに語りかける」と語っている。

 子どもの死骸が多く描かれるのも上述のことと関係している。DorgelèsのCroix de bois, CélineのVoyage, GionoのGrand Troupeauなどでは、いずれも凄惨な子どもの死体が描写される。

 犠牲者としての兵士像は、戦争小説において、普遍的なテーマと言ってよいが、戦争が、日常生活における禁止ー殺人、暴行、窃盗ーの解除であるならば、このテーマから、もう一つ別のテーマが導かれる。TrevisanはFreudのConsidérations actuelles sur la guerre et sur la mortを引いて、戦争という例外状態で、これまで抑圧されてきた欲望が解放され、個人が暴力的な振る舞いへと至ることに、しかも文明社会においてもそうした状態が生まれることを指摘する。そして犠牲者としての兵士を描きながらも、そこには、荒々しく、暴力的で卑劣な兵士像も描き込まれることになる。bourreaux「虐待者」としての兵士像である。

 こうして精神病理として兵士の暴力が描かれる。例えばCélineは、「怪物」、「倒錯者」、「激高する人間」、「罪人」として兵士を特徴づける。

 犠牲と虐待の両義性を考える上で示唆的なのは、Blaise CendrarsのJ'ai tué (1918年)とJ'ai saigné(1938年)の2つの詩編である。前者で語られるのは、人間の技術、創意がはからずも動員されてしまう戦争という機械であり、自らが生きることを望むばかりに敵を殺す人間の行為である。一方後者で描写されるのは、「拷問、苦しみそして死の世界に引きづり込まれた、切断された肉体の痛ましい痙攣」である。

 そして最終的に、兵士を犠牲者であると同時に虐待者としてしまう戦争が行き着くのは、自己破壊である。この戦争のもたらす不条理さ、無意味さを思想的にひきとったのがダダイスムやシュルレアリスムといった戦後の芸術運動である。

 こうして戦争の犠牲と栄光の正当性はつよく疑義にふされる。これらの兵士たちの描写を通して、言えることは、戦争とは結局「集団的狂気の中での、もはや留まることのない残虐さと人間的愚かさの究極の象徴」なのである。

 パリ第七大学准教授(本書刊行時)Carine Trevisanが同大学に提出した博士学位論文が本書のもとになっている。第一次世界大戦を扱った文学作品における死者と喪の表象が考察の対象である。第一次世界大戦とは大量破壊兵器が用いられた最初の戦争であった。大量破壊兵器は、多くの兵士を殺すだけではない。その兵器によって死者の死体(corps)は時にもはや生きていたときの形をとどめることなく破壊されつくされる。同時に第一次世界大戦は、その死骸(cadavre)としての個別の現実が捨象され、死者が、一つの象徴として、抽象的な記号としての機能を社会の中で負わせられた初めての戦争でもある。

 第一章«Le culte défait : La puissance de larmes(解体された信仰、涙の力)»では、死者の社会的機能とその機能に抵抗する喪の象徴としての涙が分析の対象である。

 Louis GuillouxのLe sang noir(1935)、Roland DorgelèsのBleu horizon(1949)では、兵士の死体は原型をとどめないほどの損傷を被った死骸として描写された事実がある一方で、第一次世界大戦においては、死者はひとつの像として、「尊い犠牲」という意味を付与され、具体的な死体から離れ、抽象化される。さらには、傷ついているのは、むしろフランスという国自体とみなされ、個々の肉体を持った兵士の死は隠蔽されていく。

 このような死者の国家への回収が行なわれるに至ったのは、第一世界大戦参戦のフランスの大義のひとつが、「ドイツ文化(軍国主義的文化)に対して文明を守り、戦争をなくす」であったことに関係している。大義が目的として掲げられると、死はその手段に過ぎなくなる。すなわち、国のための、フランスのための、自由のための死と意味付けされていったのだ(p.4.)。

 それに対して涙とは悲しみの、そして永続する悲嘆の象徴である。戦死が国のために命を捧げることならば、それはむしろ喜ばしく、讃えられるべき出来事だ。反対に悲嘆の涙は死者の神格化を阻んでしまう。喪に浸り続けることは、国の意味づけを拒否することにもなる。だからこそ、例えばTrevisanが引用するPierre Drieu la Rochelleは、戦死した友人の妹に宛てて、お悔やみではなく、死者を称揚する手紙を書いたのだ。第一世界大戦とは、死者に国家の名において栄光が与えられる初めての戦争であったのだ。

 喪とは、死を受け止めらられず、理解できずに悲しみにひたる状態である。だがこの状態は、死者が国の管轄に回収されることによって、うやむやにされてしまう。代わりに全面に出てくるのが、世界の自由、あるいは民主主義を守るためという大義であり、それらが生よりも上位の価値としておかれることになる。

 さらには兵士の死は神格化を被る。Georges Duhamelが自らの証言をVie des Martyrs(殉教者の生)と名づけたように(p.6.)、兵士たちは信仰のため命を捧げる、国のための殉教者に例えられる。Teillard de Chardinが書いたように、戦場自体も聖化され、名誉の戦場と化する。

 こうして死者は象徴化されるのだが、それは同時に具体的な肉体を失い、死者が抽象化されることも意味する。1921年1月28日凱旋門下で行なわれた無名兵士の墓の儀式では、誰のものかもわからない死体が戦場から運ばれて、ここに埋められた。その死体は、肉体性を削がれた「フランス兵士」という固有名詞ではなく、普通名詞の象徴以外の何ものでもない。匿名の中に解消されることによって、国家の哀悼のなかで、死者はフランスの勇敢さの象徴として永久の命を否応なく与えられるのである。

 喪の悲しみはできる限り節制されなくてはならない。その例証としてTrevisanはプルーストの一節を引く。サン=ルーの手紙である。

Les pauvres parents ont eu la permission de venir à l'enterrement à condition de ne pas être en deuil.
 
「気の毒な彼の両親は葬儀に立ち会うことを許されたけれど、喪服は着用しないこと(...)というのが条件だった」(鈴木道彦訳、見出された時I, 集英社文庫版 p.133)

 プルーストは、別の箇所でも、外交官や軍人が、国家の栄光こそ重要であり、悲しみを隠す態度に言及している。それについてプルーストは、男らしさ、勇敢さの価値に染まる彼らの、悲しみに対する軽蔑の態度を「不快で、醜いこと」であり、「嘘っぽく空しいもの」であると批判する。プルーストは、政治的、公共的な言葉が押しとどめることのできない、悲しみに打ちひしがれる人間の狼狽する姿を描く。

Mais le pauvre père était dans un tel état que je t'assure que moi,[ qui ai fini par devenir tout à fait insensible, à force de prendre l'habitude de voir la tête du camarade qui est en train de me parler subitement labourée par une torpille ou même détachée du tronc,] je ne pouvais pas me contenir en voyant l'effondrement du pauvre Vaugoubert qui n'était plus qu'une espèce de loque. Le général avait beau lui dire que c'était pour la France, que son fils s'était conduit en héros, cela ne faisait que redoubler les sanglots du pauvre homme qui ne pouvait pas se détacher du corps de son fils. (p.2176. Quatro Gallimard)
 
ぼくは、自分に話しかけてくる戦友の顔がとつぜん弾丸でぐしゃぐしゃにつぶれたり、胴体から引きちぎられたりするのをあまりにたびたび見てしまったものだから、感覚がまったく鈍っていたのに、そのぼくでさえ、気の毒なヴォーグーベール氏がまるでぼろ切れか何かのように泣きくずれるのを見ると、とてもこらえていられなかったくらいだ。将軍は、これはフランスのためで、ご子息は英雄として振舞われたのです、と言ったけれども、何にもなりはしない。それは気の毒な父親をますます激しく嗚咽させるばかりで、彼は息子の遺体にとりすがってもう離れようとしないのだ。(同訳、p.133.)

 Trevisanは[...] の部分を省略して引用しているが、ここでプルーストは、セリーヌを思い出させるほどの生々しい筆致を持って、戦争の死とは、ひとつひとつの肉体の破壊に他ならないことを示す。父にとって子どもは英雄でも兵士でもなく、生身の体そのものなのだ。涙はこうして兵士の神格化の抵抗となる。

 Trevisanは他にも、André Pézardという人物の証言(1918)、Jean Guéhennoの作品(1934)を引いて、喪と苦しみの象徴である涙が、「禁欲とあきらめの呼びかけ」である死者称揚の言辞を揺るがすものであることを論じる。

 BarbusseのFeu(砲火)においても、この国による意味づけが批判される。この作品においては死の栄光化と聖化はほとんど重みを持たない。この作品で描かれるのは、庇護と慰めの神の不在である。それは塹壕で、フランス軍兵士が「神は我々と共にあり!」と気勢を上げるのと同時に、ドイツ軍兵士も同じ言葉を叫ぶ場面を通して、描かれる。

 Barbusseは宗教的な言葉遣いによる死者や戦場の表現は、実際には「嘘と不毛」以外の何ものでもないと断罪する(p.16.)。この点において、Barbusseは「戦場の死者を聖化し、祖国を神格化することを冒涜」と考えるBernanosにつながっていく。第一世界大戦とは実は、「神を追放した戦争」(Maurice Genevoix)に他ならないのだ。
 
 多くの死者を出した第一世界大戦では、「喪の共同体」が生まれる。みなが喪に服し、また戦後はそこからの復興、喪の作業の終結が語られる。しかし、いかに社会の中に多くの死者が生まれようとも、喪は運命共同体には回収されない。Brice Parrainは、若い時に体験した3人の死者は、「大きな不幸の中に解消はされず、永遠の重みを持ち続ける」と言う。

 以後、この「永遠の重み」が、多くの自伝的文学の中で、喪失というモチーフのもと、言及されるようになる。Trevisanは例としてClaude SimonのAcacia(アカシア)、L'Herbe(草)、Jean RouaudのLes Champs d'honneur(名誉の戦場)を挙げている。戦争における死は、perte sèche(何によっても埋めることのできない喪失)であり、他の意味への流用を完全に拒否するものとしてこれらの文学作品の中では表象されるのである。

 時間の流れと意識の流れはどのように浸透しあうのだろう。そもそも時間の流れは私たちには決して意識できないものではないだろうか。なぜなら時間の流れを意識するとき、時間は止まってしまうからだ。どれほど流れているように見えても、私たちの意識は、過去や未来のように区切りを差し挟み、ようやく事態を把握する。たとえ現在を意識していても、たとえば目の前に車があり、その横には人がいて、と行動に託して認識するように、行動と行動の間には、どれだけ瞬時のものであっても時間が刻まれる。区切りや刻みは、どこかで時間の流れを切ってしまうことを意味する。

 時間という人間の世界を置き去りにする流れと、意識という人間に内在する流れ。この解き難い二つの流れをどう考えるのか、十分哲学的な主題になる解き難い問いを、この作品は日常の地平で明晰に描いてみせる。主人公砂羽は、離婚し、契約社員として働いている30なかばの女性である。私たちは彼女の意識や、他者関係の生き辛さを通して、時間の流れと意識の流れの繊細な混濁に気づく。

 砂羽の意識の流れは、作品内で「脳内会議」と形容される。それは現実に係留しているはずが、いつのまにか幻想へと沈んでいくずれとして、本人に意識される。脳内会議の間、時間は流れていくが、本人は時間を意識しない、その会議を意識したときに、時間が静止する。その描写はきわめて精緻である。

 彼女は、自らの<今、ここ>に、そこはかとない居心地の悪さ、根拠のなさを感じつつ、その<今、ここ>から離れていく。ここにいながら、気持ちが遊離していく。ここにいながら、まわりとはかすかなずれがある。そのたゆたいのなかで、他者との距離を感じる。ごくわずかなのにその距離が縮まろうとしない。同じ空気に接しているのに、その透明な空気が不思議な弾力をもち、近づくことを許してくれない。

 精神のバランスがおかしくなるのではというところまで、砂羽はその距離を見つめる。都会のような多くの人々が行き交う場所では、距離だけ考えれば、「初めて会う」人と数センチの距離に接することがある。そしてその一人一人が、自らの体験を携えて<今、ここ>に現れている。そんな人間同士なのに、お互いの間にことばはない。経験の交換はない。

 この小説の魅力は、距離自体を、多分の喪失感をいただきながらも、誠実に見つめることにある。距離が生む悲しみやすれ違い、そして理解の手前で止まってしまう人間関係。他者との出会い、他者との交流は、実は希有なものなのだ。都会に出て砂羽は思う。都会とは、知らない人に日々出会う場所。言葉を交わそうと思えば、すぐにもできる距離。しかしそれは縮まろうとはしない。

(...)いい感じはしないしゃべり方だったが、もう少し、なにか話してみたかった。さっきまで存在も知らなかった人が、どんなことを考えているのか、聞きたかった。(p.195)

 砂羽は、会ったことのある人間でさえ、数センチの距離で、接することを阻まれる。

 向こうの車両でもドアが開き、大勢が降りて、降りたのより多い人々が乗り込んだ。わたしと同じように人波に押されてドアのところへ立った特徴のないグレーのスーツを着た乗客二人の、その顔を見て、あっ、と思った。
 東京に来て最初に派遣社員で勤めた会社の、営業部の人だった。斉藤さんと、もう一人は名前が出てこない。彼らは、電車の混み具合に苦笑していた。わたしが頭をくっつけているガラスと、少しに空間と、またガラスを隔て、すぐそこにいる彼らの姿はとてもくっきり見えるのに、彼らはわたしにはまったく気づかなかった。(p.151.)

 この象徴的な場面が示すように砂羽は常に、その機会を捉え損なう。この場面だけではない。ずっと「脳内会議」をしながらも、考えと、実際に発することばとは常にずれをはらんでしまい、砂羽が他者に近づくことを遠ざける。

 そこには不器用という性格には還元できない、根源的な人と人との距離、内面を推し量ることへの距離が横たわっている。その距離が最も顕在化するのが、ある体験を持っている人間と、その体験を持っていない人間の距離だろう。そして21世紀の「日本人」の私たちが、根本的な差異を感じざるをえない体験者と非体験者の距離は、戦争体験であろう。砂羽は、むさぼるように戦争体験のドキュメンタリーをテレビに映し、それを見続ける。その意味は本人もわからない。本人自身が言うように戦争などないほうがよい、人が死なないほうがよい、という思いで見るならば、その行為の意味は明らかだろう。そんな倫理的な要請ならば、体験者と非体験者の距離など意識しなくとも、正義の名において、戦争を見ることが正当化される。これらの悲惨な行為を二度と起こさないことを誓いながら見るのだ。

 だが、正義と倫理は簡単に物語化しやすい。私たちは、戦争の物語を「楽しめる」のは、実は死ぬだろうという期待(p.191.)、によって先を予期することによって、いびつな快楽をえることができる。だからこそ、砂羽の意識はそれを本能的に回避する。

母に祖父母のことをもっと尋ねてみてもいいのだが、なんとなくずっと聞く気がしないままでいた。祖母と祖父がどこで生まれて、どんな暮らしをして、たぶんそれなりにドラマ的なこともあるに違いなかったが、それを知ってしまうと、なんというか彼らの人生が一つのまとまりになってしまうのを、おそらくわたしは、まだ受け入れられずにいる。映画やテレビドラマのように納得してしまうことが恐かった。(p.143)

 まさに時間の流れを過去としてひとくくりにし、わたしと関係のある人を物語の主人公に仕立てて、過去の中に固定する。それは停止した時間の動かない永遠に死者を投げ込むことなのだ。

 だがこの小説の優れている点は、私たちの存在がある時間、ある土地に釘付けにされたものではなく、うつろいゆくがゆえに、時間と空間の限定を抜け出して、他者の時間と空間に重なりあう可能性を表現しているところだ。ある場所に立つことによって、その場所にはもはやいない人間の「眼」になることができる。

十年前、呉で、音戸大橋の前に立ったとき、帰ってきた、と思った。祖父が死ぬ前に見えると言っていた橋、祖父が帰りたかった場所に、代わりにわたしがいて、わたしの目がその赤い橋を見た。(...)祖父は帰れなかったが、わたしがそこに帰った。祖父が橋の名前を言ったのを、わたしだけが聞いていたから。(p.141)

 同じように、砂羽の知り合い、葛井の妹、夏は、同じく砂羽の友人の中井を通して、砂羽の言っていた、8月14日、空襲を受けて損壊した後の残る大阪、京橋の、ある場所に立つ。わたしのいない場所に、わたしの代わりに立つ人がいる。時と空間の隔たりをこえて、人と人が重なっていく。距離は埋まらない。しかし時間と空間のずれを内にかかえこみながら、ある人の代わりとして、その場にいる人に出会う。

 私たちは他者との距離を埋め合わすことは絶対にできない。私たちはひとりひとりが、どんなに薄いものであろうと仕切りによって他者から遠ざけられている。しかしそれは、他者を理解できないことを意味しない。なぜならば、私たちは、時間と場所に限定されている存在ではないからだ。時間の流れ、場所の移り変わりによって、所在なさという不安を抱え込むとともに、かつて人がいた場所、かつて人がいた時間に、自らを置くことができる。それは瞬間的な事かもしれない。しかし人間はその瞬間を時間の中におさめ、その瞬間によって、以後の生き方を変えることさえできるのだ。それが生の充実であり、変化こそ他者とともに生きる根拠となりうる。