パリ第七大学准教授(本書刊行時)Carine Trevisanが同大学に提出した博士学位論文が本書のもとになっている。第一次世界大戦を扱った文学作品における死者と喪の表象が考察の対象である。第一次世界大戦とは大量破壊兵器が用いられた最初の戦争であった。大量破壊兵器は、多くの兵士を殺すだけではない。その兵器によって死者の死体(corps)は時にもはや生きていたときの形をとどめることなく破壊されつくされる。同時に第一次世界大戦は、その死骸(cadavre)としての個別の現実が捨象され、死者が、一つの象徴として、抽象的な記号としての機能を社会の中で負わせられた初めての戦争でもある。
第一章«Le culte défait : La puissance de larmes(解体された信仰、涙の力)»では、死者の社会的機能とその機能に抵抗する喪の象徴としての涙が分析の対象である。
Louis GuillouxのLe sang noir(1935)、Roland DorgelèsのBleu horizon(1949)では、兵士の死体は原型をとどめないほどの損傷を被った死骸として描写された事実がある一方で、第一次世界大戦においては、死者はひとつの像として、「尊い犠牲」という意味を付与され、具体的な死体から離れ、抽象化される。さらには、傷ついているのは、むしろフランスという国自体とみなされ、個々の肉体を持った兵士の死は隠蔽されていく。
このような死者の国家への回収が行なわれるに至ったのは、第一世界大戦参戦のフランスの大義のひとつが、「ドイツ文化(軍国主義的文化)に対して文明を守り、戦争をなくす」であったことに関係している。大義が目的として掲げられると、死はその手段に過ぎなくなる。すなわち、国のための、フランスのための、自由のための死と意味付けされていったのだ(p.4.)。
それに対して涙とは悲しみの、そして永続する悲嘆の象徴である。戦死が国のために命を捧げることならば、それはむしろ喜ばしく、讃えられるべき出来事だ。反対に悲嘆の涙は死者の神格化を阻んでしまう。喪に浸り続けることは、国の意味づけを拒否することにもなる。だからこそ、例えばTrevisanが引用するPierre Drieu la Rochelleは、戦死した友人の妹に宛てて、お悔やみではなく、死者を称揚する手紙を書いたのだ。第一世界大戦とは、死者に国家の名において栄光が与えられる初めての戦争であったのだ。
喪とは、死を受け止めらられず、理解できずに悲しみにひたる状態である。だがこの状態は、死者が国の管轄に回収されることによって、うやむやにされてしまう。代わりに全面に出てくるのが、世界の自由、あるいは民主主義を守るためという大義であり、それらが生よりも上位の価値としておかれることになる。
さらには兵士の死は神格化を被る。Georges Duhamelが自らの証言をVie des Martyrs(殉教者の生)と名づけたように(p.6.)、兵士たちは信仰のため命を捧げる、国のための殉教者に例えられる。Teillard de Chardinが書いたように、戦場自体も聖化され、名誉の戦場と化する。
こうして死者は象徴化されるのだが、それは同時に具体的な肉体を失い、死者が抽象化されることも意味する。1921年1月28日凱旋門下で行なわれた無名兵士の墓の儀式では、誰のものかもわからない死体が戦場から運ばれて、ここに埋められた。その死体は、肉体性を削がれた「フランス兵士」という固有名詞ではなく、普通名詞の象徴以外の何ものでもない。匿名の中に解消されることによって、国家の哀悼のなかで、死者はフランスの勇敢さの象徴として永久の命を否応なく与えられるのである。
喪の悲しみはできる限り節制されなくてはならない。その例証としてTrevisanはプルーストの一節を引く。サン=ルーの手紙である。
Les pauvres parents ont eu la permission de venir à l'enterrement à condition de ne pas être en deuil.
「気の毒な彼の両親は葬儀に立ち会うことを許されたけれど、喪服は着用しないこと(...)というのが条件だった」(鈴木道彦訳、見出された時I, 集英社文庫版 p.133)
プルーストは、別の箇所でも、外交官や軍人が、国家の栄光こそ重要であり、悲しみを隠す態度に言及している。それについてプルーストは、男らしさ、勇敢さの価値に染まる彼らの、悲しみに対する軽蔑の態度を「不快で、醜いこと」であり、「嘘っぽく空しいもの」であると批判する。プルーストは、政治的、公共的な言葉が押しとどめることのできない、悲しみに打ちひしがれる人間の狼狽する姿を描く。
Mais le pauvre père était dans un tel état que je t'assure que moi,[ qui ai fini par devenir tout à fait insensible, à force de prendre l'habitude de voir la tête du camarade qui est en train de me parler subitement labourée par une torpille ou même détachée du tronc,] je ne pouvais pas me contenir en voyant l'effondrement du pauvre Vaugoubert qui n'était plus qu'une espèce de loque. Le général avait beau lui dire que c'était pour la France, que son fils s'était conduit en héros, cela ne faisait que redoubler les sanglots du pauvre homme qui ne pouvait pas se détacher du corps de son fils. (p.2176. Quatro Gallimard)
ぼくは、自分に話しかけてくる戦友の顔がとつぜん弾丸でぐしゃぐしゃにつぶれたり、胴体から引きちぎられたりするのをあまりにたびたび見てしまったものだから、感覚がまったく鈍っていたのに、そのぼくでさえ、気の毒なヴォーグーベール氏がまるでぼろ切れか何かのように泣きくずれるのを見ると、とてもこらえていられなかったくらいだ。将軍は、これはフランスのためで、ご子息は英雄として振舞われたのです、と言ったけれども、何にもなりはしない。それは気の毒な父親をますます激しく嗚咽させるばかりで、彼は息子の遺体にとりすがってもう離れようとしないのだ。(同訳、p.133.)
Trevisanは[...] の部分を省略して引用しているが、ここでプルーストは、セリーヌを思い出させるほどの生々しい筆致を持って、戦争の死とは、ひとつひとつの肉体の破壊に他ならないことを示す。父にとって子どもは英雄でも兵士でもなく、生身の体そのものなのだ。涙はこうして兵士の神格化の抵抗となる。
Trevisanは他にも、André Pézardという人物の証言(1918)、Jean Guéhennoの作品(1934)を引いて、喪と苦しみの象徴である涙が、「禁欲とあきらめの呼びかけ」である死者称揚の言辞を揺るがすものであることを論じる。
BarbusseのFeu(砲火)においても、この国による意味づけが批判される。この作品においては死の栄光化と聖化はほとんど重みを持たない。この作品で描かれるのは、庇護と慰めの神の不在である。それは塹壕で、フランス軍兵士が「神は我々と共にあり!」と気勢を上げるのと同時に、ドイツ軍兵士も同じ言葉を叫ぶ場面を通して、描かれる。
Barbusseは宗教的な言葉遣いによる死者や戦場の表現は、実際には「嘘と不毛」以外の何ものでもないと断罪する(p.16.)。この点において、Barbusseは「戦場の死者を聖化し、祖国を神格化することを冒涜」と考えるBernanosにつながっていく。第一世界大戦とは実は、「神を追放した戦争」(Maurice Genevoix)に他ならないのだ。
多くの死者を出した第一世界大戦では、「喪の共同体」が生まれる。みなが喪に服し、また戦後はそこからの復興、喪の作業の終結が語られる。しかし、いかに社会の中に多くの死者が生まれようとも、喪は運命共同体には回収されない。Brice Parrainは、若い時に体験した3人の死者は、「大きな不幸の中に解消はされず、永遠の重みを持ち続ける」と言う。
以後、この「永遠の重み」が、多くの自伝的文学の中で、喪失というモチーフのもと、言及されるようになる。Trevisanは例としてClaude SimonのAcacia(アカシア)、L'Herbe(草)、Jean RouaudのLes Champs d'honneur(名誉の戦場)を挙げている。戦争における死は、perte sèche(何によっても埋めることのできない喪失)であり、他の意味への流用を完全に拒否するものとしてこれらの文学作品の中では表象されるのである。
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