chronicles.jpg あやうくポップスに陥りそうなほど、円熟味をみせているサードアルバムである。デュエットが、互いに切り結ぶような緊張感を感じさせず、むしろ愛の姿としてよりそうような歌唱を聞かせている。しかしその甘さがとても心地よい。それは音楽の懐の深さによるのだろうか。

 Flyは聞きようによってはとても大仰だし、When two people are in loveは、ムード歌謡として片付けられなくもない。でもたとえばRings around the worldは、アメリカのルーツミュージックを思わせる、しみじみした曲だし、サビのプリシラの歌いっぷりがすがすがしい。二人の音楽を探す旅がここでも健在だと実感させてくれる名曲だ。おなじく5曲目のMendocinoはやっぱり甘いんだけれど、でもふたりのかけ合いが、至上の親密さを感じさせ、こちらをふくよかな空気でつつんでくれる。実にいい曲だ。特に後半のパートを受け継ぐBooker T.のヴォーカルがいい。Is you, only you/It's been a long waitのあくまで控えめな歌い方が実にいい。

 このアルバムには、それでも様々な音楽の咀嚼がある。Cherokee Riverは素直なルーツ・ミュージックであるし、Timeは、リタによる良質なアメリカン・ポップミュージックである。そして最後のWounded Kneeの重みのあるソウルミュージック。きわめて多彩な曲がおさめられたアルバムは、二人のプライベートなアルバムでありながら、時代そのものがもっていた音楽の追求を、しっかりとみせてくれる。

parkerilla.jpg Graham Parkerはアルバムを買いあさった時期があった。コステロとは違って後追いで、おそらく90年に入ってから聴き出したのかもしれない。またこれも90年ごろだったか、もう記憶さだかではないが、渋谷のクアトロのライブを見に行った覚えがある。サングラスをかけたその顔はほとんど横山やすしだが、そのしゃがれ声からしぼりだされるヴォーカルは本当に魅力的だった。そのときは弾き語りのソロかギターリストが一人いたかも知れない。

 ライブが理由ではないが、スタジオ録音もよいけれど、The Rumourとのライブ盤は本当に熱くなれる一枚だ。78年の発売。コステロやイアン・デューリーもそうだが、当時はパンクもパブ・ロックもニュー・ウェーブもはっきりしたジャンルの意識はなく聴いていた。Parkerも時代としてはパンクの土壌だったのかもしれないが、このライブを聴くと、70年初頭以来のイギリスのパブ・ロックの流れを汲んでいることは明らかだ。だがそれほど朴訥としてはいないのは、パンクのエネルギーがあるかも知れないし、Parkerというロック・ミュージシャンのもつ鋭利な資質のせいだろう。とにかく切れ込み方が鮮やかなのだ。それは「今日を生きられない」のような性急さを感じさせもするが、だがたくみな演奏に下支えされた曲は、暴発では決してなく、イギリスのロックを代表するといってもよいクオリティの高さを持っている。

 今、本当に20年ぶりくらいに聞き返したのだが、Fools GoldやHey Lord, Don't Ask me Questionsなどの曲のよさに心を締めつけられる。Gypsy Bloodの泣きのはいったサビもよい。切迫感のある場面もあるが、ブラスがはいって、まさにビール飲みながらくつろげるご機嫌な曲も入っている。たとえばHeat Treatmentなどその代表だろう。そしてWatch The Moon Come Downは、スタジオテイクより若干ゆったり目だけれど、しみじみとした盛り上がりで、いよいよライブも佳境に入る。New York ShuffleからSoul Shoesにかけて一気にたたみかけてくるエネルギーはやはりParkerならではのものだ。これほど緊迫した音楽は、やはりパンク〜ニュー・ウェーブまではなかったのではないだろうか。ロックは単なる約束事のアートではないこと、単に演奏のうまさを披露するものでもない。とはいえ、ロックが単なる感情の爆発であれば、それは自己満足の遊戯としてやっていればすむことになる。Parkerのすごさは、ロックの命が技術の水準ではなくて、表現の切迫さによって保たれうるものであることをみせてくれたことにある。しかしその音楽が時代に巻き込まれて消えてしまわなかったのは、Rumourという名うてのミュージシャンの確かな演奏力に支えられたからだろう。どんな革新も伝統に支えられて、その力を発揮する。イギリスの懐の深さを感じさせるミュージシャンである。

 ジャン・グレーシュは、1942年ルクセンブルク生まれの宗教哲学を専門とする研究者である。この書物は、パリカトリック学院で修士課程の講義をもとにしたハイデガーの『存在と時間』の注釈書である。2007年のこの邦訳はとても丁寧に訳されており、綿密な翻訳作業がなされたのではないだろうかと推察される。

 講義ということで、ハイデガーの基本概念の説明に配慮が行き届いている。第一章の最初は「気遣い」について。気遣いとは、「可能なものへと自らを企投する」ことであり、それゆえに、現存在は「開示性」を含んでいる。ここから生の未完成、「不断の未完結性」という存在論的条件が生まれるのである(p.305.)。

 ここから生まれる問いが「終わり」と「全体性」の性格づけであり、「死の現象」が登場する。
 まずグレーシュは死の現象を扱うにあたって、マルセルとハイデガーを対比する。マルセルにおいては他人の死によって私たちは、死が「現実的に何を意味するのか」を感じとる。ハイデガーにとって、他人の死によって死を考えるとは、他人の死を「代替主題」(Ersatzhema)として選択することになってしまう。グレーシュはレヴィナスに言及し、「他人との第一次的な関係を犠牲にして各私性に特別な地位を与えている」とハイデガーを批判する立場を紹介しつつも、慎重に検討を重ねてゆく。

 グレーシュは他人の死がもつ重要性を簡潔にまとめる(p.309.)。他人の死は、有史以来、喪の儀式を受け、その関係のなかにおいては生者にとって、死者は「死人」ではなく、「故人」であった。私たち生存者が学ぶのは、親しい者を失うことの意味である。だが、ハイデガーにとっては、それは同時に、「死んでゆく者自身が《被る》喪失そのものへの通路は開かれない。れれわれは真の意味では他人たちの死ぬことを経験しないのであって、せいぜいつねにそこに《居合わせる》だけである」という論述になる。(注:だが、死んでゆく者自身は、喪失について考えているだろうか。死に逝く者は己の喪失と同時に、自らよりも生き延びる者の生について、未来について考えるのではないだろうか。喪失そのものへの通路について考えることは果たして本質的なことだろうか。)そしてグレーシュは、他人の死の経験は、心理学的、人類学的な意味では重要ではあるが、ハイデガーが行なおうとしているのは、存在論的分析であると言う。

 さらに、ハイデガーは、「他人の代理として死ぬこと」=犠牲になることはできるが、「他人からその死を取り去ることはできない」と言う。この身代わりは、グレーシュのよれば、レヴィナスが倫理的な注意を向けていた概念であり、またハイデガーがそうした倫理的要請を考えていなかった点である。しかしグレーシュは、ハイデガーは倫理的分析と存在論的分析は裁断すべきであると考えていたと説明する。

「死ぬことは、それぞれの現存在がそのつど自らわが身に引き受けるべきものである。死は、それが《存在する》限り、本質的にそのつど私のものである。しかも死は、ある特有の存在可能性を意味しており、そこではそのつど自らの現存在の存在が端的に問題になるのである。死ぬことにおいて、死が存在論的には各私性と実存によって構成されていることが示されるのである。」

 このテーゼが「死の実存論的現象の探究」の根本に据えられている。
 もうひとつ厳密に峻別すべきなのが、医学的・生物学的な考察である。この考察で死を定義するならば、それは「終焉」であり、「死亡」である。そこに死を還元しないことが実存論的分析なのである。
 
 次に出てくる語は「未済(Ausstand)」である。この名称は、「現存在の特徴は死によってしか終わらない不断の未完結状態」をさすために用いられる。この未完結とは、終わり=完結とは見なされないことを含意する。グレーシュはここで、人の死が、必ずしも平穏な完結とはならないことを、アルツハイマーという具体性をもって強調する。総じて、「死の実存論的現象とは、終わりへの存在」なのである。

 続いてグレーシュは、ハイデガーが死の実存論的分析と実存的解釈のために準備作業を入念に施していることを指摘する。それが境界画定である。1)生物学および医学との境界画定、2)心理学、歴史学、人間学一般との境界画定、3)キリスト教神学との境界画定(これは死の此岸性と彼岸性の問題である)、4)形而上学との境界画定、これらの境界によって囲まれた空間が実存論的分析の活動領域である。

 次の語は「切迫(Bevorstand)」である。終わりへの存在であるわれわれが、死がまだ起こってはいないし、どんな形をとるのかも分からないが、それでもわれわれは死に「あらゆる瞬間において関わってしまっている」ことを意味する(p.316.)。この「切迫」は、さらに「もっとも固有な、もっとも没交渉的な、追い越し不可能な可能性」と説明されている。そして、「気遣いという構造的契機は、死への存在においてもっとも根源的に具体化される」として、気遣いという性格がここで関連づけられる。またここでうまれるのが「不安」である。その意味で死とは、「知りうる」対象ではないとされる。

 では日常における死とはなにか。それは、「われわれの周りで『人は死ぬ』」という出来事である。グレーシュはこの<ひと>について、ハイデガーが、「死ぬことは、本質的にそして代理不可能な形で私のものであるのに、<ひと>に起こることとして、公開的に目前へと現れる出来事へと転倒されてしまう」と説明する。(注:しかしここで考えてみなくてはならないのは、やはり死を私へと還元するのではなく、<ひと>という匿名性におかれている他者とはいったいだれであるのかを問うてみることが重要なのではないか。ここには<ひと>への圧倒的な無関心を指摘せざるをえない。ここにつづいて「<ひと>は死に直面する不安の勇気を台頭させないようにする」と引用されるが、グレーシュが例としてひくように、死に逝く人を前にしてその死を否定する近親者の回避の態度は、他者への無関心に他ならない。死に逝く人間が、いま生き残りとなる人間を前にして、どのような気遣いをみせるのか、そこにこそ、他者との本質的な関係性が描かれているのではないか。)

 さらに、死の日常的な確実性についてさらに問わなくてはならない。その意味は「死はあらゆる瞬間に可能である」という確実性である(p.320.)。では、そのような死に対する本来的な態度とはどのようなものであろうか。
 グレーシュは、「死への存在を可能性への存在」として規定することの意味を次のようにまとめる。まず第一は、企投の実現を目指すこと。これは自殺という形でのみ可能である。第二は、死のことをたえず念頭に置くこと。だが、ハイデガーは、このようにたえず死を考えることは、かえって、死への存在という可能性が可能性であることが逆に弱まってしまうと考える。第三は予期の態度である。そして予期は「可能性の内への先駆」という別の構造にとって代わられるとされる。
 「可能性の先駆」とは次の5つの特徴にまとめられる。1)現存在のもっとも固有な可能性、2)没交渉性ー関係の不在による絶対的分離とグレーシュは解釈する、3)追い越し不可能性ー有限な自由とグレーシュは解釈する、4)確実性ー「我死ニツツ在リ」という実存論的確実性、5)無規定性ー死への本質的不安。
 
 そして本来的な死への可能的存在の規定として、次の一節が引用される。

 「先駆は現存在に対して、ひとー自己への喪失を露にし、現存在を、配慮的な顧慮に第一次的には頼らずに自己自身であるという可能性へと直面させる。しかもこの自己は、情熱的な、ひとの諸々の幻想から解き放たれた、事実的な、その可能性自身を確信して不安になっている死への自由において自己自身であるという可能性である」

 この章を終えるにあたってグレーシュは次の二点を指摘する。

1)「情熱的」とはいかなる意味であるのか解釈を考える必要がある。
2)この規定はまだ本来的な死への存在の単なる可能性でしかない。

 したがって、「証言」、「証し」、「要求」という三つの概念が以後の分析の核となるとして締めくくっている。

booker_t_priscilla.jpg 二人の親密な愛をアルバムにしてしまう。二人の永遠の愛の刻印としてこのアルバムが生まれた。1曲目からしてThe wedding songである。ジャケットを見れば一目瞭然、誰も間に入ることもできない。For Priscillaはきわめて甘いラブソングだ。もはや詩などというものではない。「死ぬまで一緒だよ。流れる川のようにずっと一緒に愛して、笑って、涙しよう」と、普通ならば、「もう二人の勝手」となるところだ。

 だが、このアルバムはよく言われることだが、ソウルやゴスペルとスワンプロックの調和をはかったきわめて野心的なアルバムでもある。ジョーンズのやや甘くせつない色恋にそまったヴォーカルに比べて、プリシラのヴォーカルは野太く、黒人の文化であったゴスペル、ソウルに激しくせまろうとする。ここにはひとつの音楽的な冒険があると思う。ルーツへと回帰しながらも、そこに魂と体を投げ込むことによって、決して過去をなぞるのではなく、今を確認しようとする、音楽的な創造性があるのだ。

 71年。ヴァン・モリソンも西海岸で音楽活動を続け、『テュペロ・ハニー』を出す。このアルバムもひとつの「ラブ・アルバム」で、当時の恋人を「きみは太陽だ」と歌い続ける。アイルランドの荒涼とした風景から、西海岸の明るさのなかで、きわめてプライベートなアルバムを制作していたのだが、でもこのアルバムも私日記ではない。モリソンはここでも新しい音、新しい表現を求めていたのだ。ずいぶん聴きやすいアルバムとはいえ、決して音楽的に妥協しているわけではない。

 モリソンとのもう一つの共通点は、宗教である。魂の奥底から歌を歌うとは、日常をはるかにこえて、自分の存在を弱小のものとし、弱小ゆえに、祈りを歌にし、神に聴かせる。それはひとつのナルシスティックな高揚感に過ぎない。だが歌そのものは人間のものだ。決して神から与えられたものではない。その歌をうたっている肉体をもった歌手がいる。私たちはその肉体から絞り出される声そのものに感動を覚える。そうでなければ、歌は宗教の道具となってしまうだろう。そこに歌い手と聞き手の深いつながりが生まれる根拠があるのだ。

 愛から祈りへ。深みをたたえながら、私的でありながら、美しい歌がしっかりと聞き手に届けられる。深い音楽への理解に下支えされた表現者の愛を感じる名盤だ。

 言語について考えることは実は文学について考えることである。この言語と文学の混同は長い歴史を持っている。まずはデュ・ベレーの『フランス語の擁護と顕彰』においては、「フランス語がギリシア語、ラテン語と比肩しうるためには、ホメーロス、デモステネス、ヴェルギリウス、キケロの作品と同じものを生み出さねばならない」、「詩人と散文家は、フランス語の殿堂を支えるふたつの柱である」といった主張が見られる。
 次に言語について語ることが、作家の名において語る、すなわち文学について語っている事象を取り上げる。ヴォージュラは正しい話し方は、「その時代の作家の最も正しい書き方にしたがって話すことである」といい、ブウールは、「優れた作家の文体には調和があり、その点においてフランス語はギリシア語、ラテン語に匹敵する」と言う。ヴォルテールの百科全書における「フランス語」の項目は、実際には作家について語ることに終始している(モンテーニュ、ロンサール、マレルブ・・・)。それは言語学者も同様である。メイエは、言語を豊かにするためには、作家の創意工夫によって、語が十全の価値を持つ事が重要であると考えていたし、バイイは、一見言語と文学の混同を厳しく断じているが、メショニックはたとえば次のような一節に、やはり混同の影を見つける。「間違った考えの源泉は、固有言語と、その固有言語が乗せて運んでいる文学作品の絶えざる混同にある」(une source intarissable d'idées fausse découle de la confusion perpétuelle entre un idiome et les oeuvres littéraires dont il est le véhicule)。このvéhiculeという語にメショニックは混同の根拠をみる。
 言語の領域から文学を除いているようでいながら、文学が顔をのぞかせる矛盾はアカデミー・フランセーズの辞書にも見られる。その第一版には、辞書の中に引用を載せていない理由は、「散文家や詩人がすでにこの辞書のために十分働いたからだ」と言う。文学言語はないが、言語そのものの定義が文学者によって作られているのだ。
 ある言語の優等性は、文学によって支えられる。特に18世紀にはその傾向が顕著で、デュボス、ヴォルテール、ディドロ、ボーゼなどフランス語の優等性は、完成された文学を持っていることによって保たれるとする。またフュルティエールやコンディヤックは、優れた作家によって言語ははっきりとした形をとるとする。だがこうした考え方は当然ながら文学を伝統の象徴とし、保守主義の動きと一体化するのだ。
 続いてメショニックはコンディヤックにおける言語の精髄と作家の果たす役割について言及する。すなわち言語とは民族の精神を表出するものであるが、その言語を進歩させて完成に近づけるのは作家の役目である。と同時に、作家はつねに新たな表現を紡ぎ出す存在でもある。
 こうして文学と言語を混同する考えは、文学に最高の規範を見出すことになり、そこに言語ヒエラルキーが形成されることになる。