楽器が上手いとか、美声であるとか、何か圧倒的な力量で音楽を聴かせるのではない。小石をひとつひとつ丁寧に拾い集めて積み上げながら、やがて音の形を作り上げたようなミニマムな音楽である。アコースティックギター、ピアノ、そしてシンプルなドラムにかすかなホーンの音。それらのかすかな音の響きは、聞いている者を夢想へと誘う。
Drink My Riverはクラシカルなピアノから始まり、ホーンがそこに重なる。そしてDo you dream of me when I'm far away ?と夢が素直に語られる。
I'm not falling asleepはタイトル通り、完全に眠りに落ちてしまうのではなく、かといってはっきりとした意識を持っているのでもない、そのあわいを歌う。3拍子のピアノの旋律、そしてエリック・サティを想起させるような管楽器がアクセントとして加えられる。そのアンサンブルが永遠に続く夢うつつな雰囲気を曲全体に漂よわせる。
Covered in Dustでは「君を夢見ながら死んでゆく」と口ずさむ。緩慢な死を予感させながら、ゆっくりとしたリズムが意識の下降を描く。ゆるやかな流れの川で船をこぐ櫂のような一定のテンポで奏でられるアコースティックギターの音、合間に入る控えめなストリングス、いつまでも続くような短調なドラムで構成される。
エリオット・スミスに例えられるが、確かに高音を歌うときの繊細でかすかに声がかすれるところなどは似ているかもしれない。
また曲の手法でも細部に類似点が認められる。たとえばYou're out wastingのヴォーカルの二重録音、メロディライン、アコースティックギターだけのバックにしたヴォーカルパートなどだ。
Lick Your Woundsのイントロは、カセットの録音ボタンを押す音がする。そして奏でられるギターの弦が擦れる音が入る。こうした曲とは直接関係はないが、しかしエリオット・スミスの音の生々しさを感じる上では必須の要素が、このアルバムにも録音されている。
だがエリオット・スミスの曲にはたえず「未完成感」がつきまとう。ふと頭をついて浮かんでメロディを口ずさんでみる。そのかけらをかけらのままカセットテープに録音したような曲だ。聞いているとそのかけらがこぼれ落ちていき、やがて消滅していくような気分にかられる。
一方、Andy Shaufの曲は極めて端正だ。構成もきちんとしており、相手に伝えようというアーティストとしての意識は明瞭だ。エリオット・スミスの曲は、その生まれる現場に他人の不在を強く感じる。徹底的に孤独だ。
メロディラインが似ているJerry Was A Clerk。ピアノやドラムの入り方は十分エリオット・スミスを意識している。高いメロディを歌うヴォーカルラインも。しかし、もしエリオット・スミスだったら、2分過ぎの«Boys, our time has come»で終えてしまうだろう。だがこの曲は«to live among the privileged ones»と続けられ、その後物語はきちんと完結し、聴く者に届いてくる。こうした端正なストーリー形式はエリオット・スミスにはあまり見られない。エリオット・スミスのyouはどこにもいない。
エリオット・スミスの場合、どうしても死への意識に最終的に辿りついてしまうのだが、Andy Shaufの場合は意識の喪失だろうか。その意味でこのアルバムのテーマを一語で表すなら、歌詞によく出てくるfallingだろう。落ちてゆく感覚。その結果が幸福なのか不幸なのか、意識が混濁してもはやはっきりとはわからない。アルバムタイトルThe Bearer of Bad Newsは「悪いニュースを持ってくる人」という意味だが、それがバッドニュースなのか、グッドニュースなのか、もうどうでもよいほど眠くてたまらない。それがまだ現実なのか、もう夢の領域に入っているのか。そんな意識が消失する直前をかろうじてすくいあげて音が奏でられる。
この死と意識の薄明には大きな隔たりがある。どれだけパーソナルな音作りをしようと、Andy Shaufは死の一歩手前で必ず踏みとどまるだろう。The Man On Stageのサビの明るい瞬間はエリオット・スミスには書けなかっただろう。