イーグルスというバンドはアメリカらしさを体現しているバンドである。70年代にアメリカの失墜と衰退を象徴するようなホテル・カリフォルニアは、当時のアメリカの雰囲気をよくもわるくも表現している名曲だ。
アメリカとはどのような国なのか。第二次世界大戦後、戦争に入ることのなかった日本と比べるとき、アメリカはまさに戦争をし続けている国ではないだろうか。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そして最近のアフガニスタンにいたるまで、アメリカの戦後は戦争をおびただしく繰り返してきた時代である。それほど緊迫した状況にありながら、それをロックは表象してきただろうか。
ベトナム戦争の無意味さを「私」の体験として語ったオブライエンのような作家がいる一方で、アメリカンロックはそれほどの鮮烈な虚しさをはたして表現しえたのだろうか。そう考えるとき、自分自身のロックの聴き方がそうした批判意識のない、メロディ主体の聴き方で、十分歌詞を理解しない浅薄な聴き方だったことをあらためて反省してしまう。
しかしイーグルスがたんなる叙情的なバンドではなく、ハードにタイトに自分たちの音楽を飾り立てようとしたとき、時代を穿つような指向はすでに消え失せてしまったのではなかったか。たとえばホテルカリフォルニアにベトナム戦争への言及を読み込むことができるのかもしれない。しかし当然ながらイーグルスにプロテストソングはないだろうし、とがった楽曲もほとんど存在しない。その意味ではイーグルスのカントリー指向はまさに意匠、さまざまな歴史性を捨象したところに生まれる「スタイル」なのではないか。
思想などなんにも感じない。だからこそ安心して聞ける。そんな時代の要請に舵を切って見事に成功したのがイーグルスであり、土着性さえも振り切って、タイトにせめたのがこのサードアルバムOn the Borderである。
もちろん泣けるアルバムだ。なかでも4曲目のMy Manはグラム・パーソンズをしのんだ曲ということで、バーズっぽいフレーズをはさみながらじつに胸にこみあげる名曲。そしてもうひとつの極が、次のOn the Borderのようなハードな曲だ。
こうしてイーグルスは私的な叙情性とロックを産業として成り立たしめるハードな形式性をうまくとりまぜて制作している。それがこのアルバムの後に実に見事にはまることになり、イーグルスは押しも押されぬビッグバンドとなる。
しかしイーグルスの音楽は時代をえぐるよな切実さをもはやたずさえてはいない。それはこれ以降のアメリカがまるで思想性など必要としなかったことを表しているようである。ジェームス・ディーンという曲などそのおめでたさしか感じられない曲である。
もちろんイーグルスのメロディは美しい。しかも懐かしい美しさだ。その美しさは前の時代への追憶でもある。思想性をはぎ取った美しさ。感情の暴発とは関係のないハードな音楽。しかしだからこそ万人受けするのだろう。少しばかりの後ろめたさと喪失感。でもイーグルスはそれを本当に表現しているわけではない。それは「スタンス」なのだ。
いま最後のThe Best of My Loveという全米チャート1位の曲が流れている。なんの文句もつけようのない美しい曲だ。微妙な潤いがこちらの気持ちを鎮めてくれる。ほとんどBGMといってもよい心地よさ。もしそれ以上のものがあることがアートだとするならば、イーグルスは形式性を無視して、なにを私たちに運んでくれるのだろうか。