1936年11月15日、雑誌『ヨーロッパ』特別号「1914-1934」に掲載されたジャン・ジオノのエッセイである。第二次世界大戦開戦の予感のなか、20年前に第一次世界大戦に徴兵された「生き残り」として、ジオノはこの文章を書いた。
この文章にはジオノの3つの明確な意図が直接的な筆致で書かれている。ひとつ目は、20年たった今でも生々しくよみがえってくる戦争の記憶である。ふたつ目は、その体験に記憶によって貫かれた反戦主義の主張である。そして最後が、20年たってますます強化される戦争と資本主義の密接な結びつきに対する痛罵である。
ジオノにとって戦争の記憶は、タイトルが示す通り未だに「忘れられない」生々しさの体験である。その体験の深刻さは、記憶が本人の意識とは無関係に想起されてしまう点にある。
Je passe des fois deux jours ou trois sans y [= la guerre] penser et brusquement, je la revois, je la sens, je l'entends, je la subis encore.
私は戦争のことを考えず、2、3日過ごすことも時々はある。しかし突然、戦争は目の前に再び現れる。私は戦争を感じる、戦争が聞こえる。こうしてまだ戦争を被っているのだ。
戦争は過去の出来事ではなく、未だに身体感覚としてよみがえる体験なのだ。しかもそれは自分でコントロールをきかせることのできない、異物としてのトラウマ体験である。ジオノが属した中隊でも、おびただしい兵士が亡くなった。その中で生き残ったのは自分ともう一人だけであったとジオノは記している。
自分の傍らで次々の仲間が殺されていく。それはきわめて体感的なイメージとして再現される。「死者の臭い、はち切れた腹、鳥につつかれた目玉、腐っていく死体」のイメージは固定したままで、そのまま再現されてしまうのだ。
ジオノは、この文章の最後で、殺された仲間の兵士たちの名前を、Devedeux, Marroi, Jolivet, Veerkampと挙げ、彼らの姿を今でも思い浮かべ、また、彼らの声が聞こえるという。ジオノは20年たった今も、その死者に取り巻かれて生きているのである。
ここで大切なのは、ジオノがこれら仲間の死を「無駄死」だったと捉えている点である。戦争が愚かなのは、それが全く無用なものであるからだ。私たちは正当な理由があるときには、ときに私たちは自らを犠牲にすることを厭わない。病に冒された人を助けようと、自らの体の状態に構わず懸命に看病する人がいる。だが戦争における犠牲としての死は、何の役にも立たないのだ。
[...] vous vous sacrifiez à la patrie (...) mais enfin, à votre prochain, à vos enfants, aux générations futures. Et ainsi de suite, de génération en génération. Qui donc mange les fruits de ce sacrifice à la fin ?
祖国のために犠牲となる、(...)そうだとしてもやはり、近親者のため、子供のため、そして未来の世代のために犠牲となる。そうして、さらには次の世代のために。では結局この犠牲の果実を味わうのは誰なのか?
この問いに対してジオノはそれは資本主義であると言う。資本主義とは、人間の生命を「資本生産のための本当の第一原料(matière véritablement première de la production du capital)」として扱う体制である。ジオノにとって、戦争の本当の意味は「大惨事」ではなく、「統治の方法」であり、資本の生産のために戦争は優れた道具なのである。
第一次世界大戦を体験し、数多くの殺戮と死者を見たジオノにとって、書くことの意味は明確である。生を死へと奉仕させないこと、生を資本収奪の道具とさせないこと、戦争に反対する理由は何ものにも利用されない生を描くことにつきている。
とても短い文章であるが、ジオノの戦争体験、そしてこの時代ならではのマルクス主義的左翼思想、そして小説作品の根幹である生命の謳歌、これらのジオノの特徴が凝縮したテキストである。