Didion, Joan

 喪失について語るさまざまな作品を読んでいると、作品の終わりが必ずしも喪の終わりではないことに気づく。

 『悲しみにある者』は老年に入った作家が、同じく作家であった夫の突然の死を体験し、その亡くなった日から一年と一日後までを綴った記録である。記録という言葉を使ったのは、この作品には、執筆の時期、出来事の多くの日時が記されているからである。夫が亡くなったのは2003年12月30日。本の執筆が始まったのは2004年10月4日の午後。そして最後の日付は2004年12月31日である。

 2004年12月31日はどんな日なのか。それは、1年前の同じ日にもはやジョンがいなかった、最初の日である。そして明日からも1年前の同じ日にもはや夫はいない。その不在の日々がずっと続いていくのだ。その意味で、作品の終わりは喪の終わりではない。

 終わりのなさは、たとえば作品のほぼ最後にある次のような作者の言葉からも伝わってくる。

 私は解決を求めるが何も見出せない。(p. 237.)
 
私にはまた、もし私たちが自分自身生きてゆこうとするならば、死者に固執するのをやめ、彼らを手放し、亡くなったままにさせねばならないときが訪れるのも、わかっている。(p. 248.)

 しかしわかっているからといって、それができる、あるいはできるようになったわけではない。1年が経った今も、一緒だった頃の思い出が浮かんでくる。この作品において思い出の想起は能動的とも受動的とも言い切れない。思い出そうと意図したからなのか、あるいは勝手に向こうからやってくるのかがあいまいである。そのあいまいさゆえに、作者と思い出は離れることなく、一体化しているかのようである。思い出の中に作者は生き、作者の中に思い出は生きている。その生の相互関係が喪の時間なのだ。

 この作品は前述したように、作者が時間を記しているので、いつから書き始め、いつ書き終えたのかはわかる。そのため、作者の書き進める時間の経過によって、作品も進んでいくという印象をいだく。作品の中には夫の死とその後の日々だけではなく、娘の病気と入院、そして転院と回復のプロセスも描かれるのだが、このプロセス自体も時間の経過に沿って書かれている。

 この直線的流れが存在する一方で、過去の思い出の想起は、時間通りではない。アルバムに並べて貼ってあったたくさんの写真が、ふとした拍子にすべて剥がれて、散り散りになってしまったかのように、脈絡なく語られる。それぞれは断片として置かれているだけで、断片と断片の間には意味の直接的な連関はない。

 だがその脈絡のなさはそのまま作者の意識上への記憶の表れを表している。作者はそれを懸命に叙述しているのだ。そしてその想起には、現在からのさまざまな感情が重ね合わせられる。それは悲しみ、悔悟、怒り、自己への憐み、条件法過去の問いかけ(もし...していたら)、無限の解釈(彼があのときにあの言葉を使ったのは死の予兆を感じたからなのか...)でもある。

 書く行為は、こうした感情によって揺れ動く自分を観察することを促す。先ほどの引用でもそうだが、作者は作品中で「〜ということはわかっている」という表現をよく使う。それは、自己観察の結果の自覚である。

 だが観察をして、自分自身の状況を理解したところで、それは喪からの回復にはつながらない。喪の状態にある自己を認識できたからといって、その喪の状態から抜け出せるわけではないのだ。そこにこの作品の深い悲しみがある。作者はときにおそろしいほど無防備である。問いかけても彼は答えてくれない。もし答えがあるとしても、それは「私の編集したかたち」(p.206)でしか聞こえてこないのだ。ただかつて夫が作家にかけた言葉が何度も反復される。また「こうすれば死を避けられたのではないか」という果てのない問いが再開される。

 この作品では断片的エピソードが幾重にも組み合わされるが、それは決して堅固な建築物としての物語にはならない。説明は理解できても何も解決しない。言葉はときに言い淀み、どうどう巡りをするばかりだ。しかし断片的な言葉でなくては伝えられないものがある。それは、愛する者の死の後でも、それでも生きている自分の存在である。その存在とは、「断片をもって」支えられた「廃墟」(p.201)に過ぎないのかもしれない。それでも「悲しみにある者」の存在とはどんな形を結ぶのか、それを断片としての言葉で作者は私たちに教えてくれる。