田村尚子『ソローニュの森』(2012)

ラ・ボルド診療所と『すべての些細な事柄』
 フランスの映画監督ニコラ・フィリベールが撮った『すべての些細な事柄』(原題La moindre des choses)というドキュメンタリー作品がある。パリから南に車で約2時間、ロワール地方にある精神医療施設、ラ・ボルド診療所が舞台で、この診療所の日々を、敷地内で毎夏行われる演劇上演の準備と当日の舞台を中心にして描いた記録である。ナレーションはない。カメラは何かをねらって映すというよりも、その画面の中に、あるときは風に揺らめいて木々が映り込み、あるときは散歩をしている人がカメラの前を横切って入り込んだりと、あたかもそこに偶然映ってしまったかのような趣をもつ。
 カメラに話しかける人、料理を準備している人、衣装を選ぶ人...私たちはこの場所にいる人々の生活を観ているうちに、そこがどのような場所なのか、そしてその人々が誰であるのかを次第に忘れていく。特に演劇の舞台に参加する人々をみていると、彼らが、もともと施設のスタッフだったのか、患者だったのかすっかりわからなくなっていく。映し出されるのは、舞台を演じる人々、舞台道具を準備する人々であって、彼らの舞台への関わりを通して、最終的に、私たちの注意は一人一人の個別の存在へと注がれていくのだ。
 もちろんここには監督の明確な意図がある。それは私たちが前提として多かれ少なかれ抱いている、精神病院や精神を病んだ人についてのイメージや表象の徹底的な排除である。フィリベールのドキュメンタリーが優れているのは、その作品が、私たちに何かを教え込むための、教化するための、すなわちある何がしかのメッセージを吹き込むためにあるのではなく、私たちのなかに巣食っている既成概念を揺るがし、物事に付着している一般的な思い込みをそぎ落とすためにあることだ。「患者たちを『精神障がい者』として記号化すること」(注:ドキュメンタリーマガジン『neoneo ネオネオ』no9、萩野亮の『すべての些細な事柄』の作品ガイドによる。p.73)を徹底的に拒んでいるのである。

ジャン・ウリとコレクティフ
 このラ・ボルド診療所は、1953年に精神科医ジャン・ウリによって創設された。ウリの精神医療の方法は「制度を使う精神療法」と呼ばれる。病院という制度的な枠組み、およびその制度で規定される患者とスタッフの区別さえも見直すというラディカルな方法である。この診療所の人々の集まりは「コレクティフ」(collectif)という語で表される。この語は一般には「集団・グループ」という意味であるが、ウリのセミネールの記録『コレクティフ』の翻訳者多賀茂は、ウリがこの語に込めている意味を次のように的確に説明する。
 

ウリにおいてcollectifとは、何らかの集団において、その構成員である個々人が、自分の独自性を保ちながらしかも全体にかかわっていて、全体の動きに関わっていて、全体の動きに無理に従わされているということがないという状態を意味しています。(p.8.)

 集団の中にありながら、自分の独自性を保つということは、先ほど述べた「イメージ」や、「一般的な思い込み」の排除と深く通じている。なぜならば、「イメージ」や「一般」性で人を見ることは、個人を個人としてみるのではなく、ある類型の一例に還元してしまうことだからだ。「医者」ならば「医者」、「患者」なら「患者」という枠組みでしかその個人を捉えないということである。そのとき、医者と呼ばれる人々の、患者と呼ばれる人々の間の実際の差異は看過され、個人はその独自性を失っていく。
 集団の中にありながらも、独自性を保ち続ける実践として、例えば、ラ・ボルド診療所では、みながー患者・医師・看護師・事務の人など-集まって、ディスカッションをして、あらゆることを決めることになっている。毎水曜日の朝に開かれる会議には、だれもが参加することができる。会議では「日常的な些細な出来事」(田村p.108)が話し合われる。それぞれがコレクティフの構成員として参加をしているのだ。
 しかしだからといって、「医者」や「患者」の肩書きを外して活動をすれば、独自性が確保されるという安易な問題ではない。そうではなく、一人格がある属性によってのみ全的に支配されること、あるいはその属性によってしかその個人を理解しないことが問題なのだ。属性によってではなく、どこまで、そしていかにしてその人を人格において理解できるか。このコレクティフな営みにおいて投げかけられるのはこの問いである。ウリ自身、次のように主体の概念について述べている。
 
混じりあって、くっつきあっていてはいけない。言い換えれば、各人が主体として認められていなければならない。(...)均一化と呼ばれることを避ける試みが必要である。(ウリ、『コレクティフ』p.338.)

ある社会、または組織において、ある個人がその存在の特異性を失い、他の個人と区別がつかなくなってしまうような状況、その固定化されたイメージによって、人々が画一化されてしまうことに抵抗すること、これがウリの哲学であり、それが実践されているのがラ・ボルド診療所である。

田村尚子『ソローニュの森』:他者との関係の構築、コード化を拒む

 田村尚子『ソローニュの森』は、このラ・ボルド診療所と、そこに生活する患者たちをフィルムに収めた写真集である。田村は、日本でジャン・ウリに会い、その後ラ・ボルドを訪問する機会を得た。この写真集にはあわせて滞在をした折の文章が添えられている。ちなみにソローニュの森とはラ・ボルド診療所が囲まれている森の名前である。
 田村はここで患者たちと実際に接し、彼らとことばを交わし、そのやりとりの様子を綴っている。「患者」と言っても、例えばフランシスコという男性の第一印象を「本人から話しを聞くまでは、彼が患者さんだとは少しも思いもしなかった」(p.37.)と書いているように、ここで暮らす人々の相貌に「患者のイメージ」は認められない。
 ここで会うのはあくまで一人の個人なのだ。その印象の素直な表明として、田村はみなを固有名詞で呼ぶ。イブ、レミ、クレールといった名前を持つ具体的な人物たちである。そして、家族の話、日本の話など、彼らとのやりとりは、彼らが精神的な病いをわずらった人だとはほとんど感じさせない。時に支離滅裂になったり、変わった行動をとったりすることもあるが、私たちが日常交わしている会話の内容とあまり大差はない。
 単に外から眺めるのではなく、実際にこの「コレクティフ」の中に入ろうとする田村の姿勢には、「利便性を優先する『コード化』を拒み続ける」(p.108.)というウリ自身の言葉の実践が伺える。他者に対しての「利便性を優先する『コード化』」とは、一般的な概念のレッテルを他者に貼り付けて、それで他者を分かった気になっている状態であろう。運転手なら運転手、障がい者ならば障がい者という、普通名詞の一般概念を他者に貼り付け、それ以外の存在のあり方の可能性を見ないような態度である。確かに他者とある属性をコードで結びつけるカテゴリー化の作業は、機能的で、手っ取り早い理解の仕方ではあるだろう。だがそれは一方的なイメージの他者への投影であって、他者の理解とは呼べない。ラ・ボルドの患者クレールがニュース・レターに書いた、治癒にとって必要な「相手をあるがままに受け入れる」(p.62.)という契機は皆無である。
 とはいえ「患者のイメージ」を取り払うことができたとしても、それでその人のことを十全に理解したことには直結しないだろう。またその上で他者をあるがままに受け入れるという態度とは、具体的にはどのような関係をつくることなのだろうか。そもそも他者へのイメージ付与を避けるとしたら、私たちは何を糸口に他者を理解できるのだろうか。さらには他者を本当に受け入れるとき、それは多かれ少なかれ自分を他者に合わせて、自己を曲げた上での他者の受容にならないか。利便性・効率性の社会から離れたところで自己と他者の関係を考え始めるとき、そのような答えのない問いが繰り返されることになる。だがその関係の可能性と困難さを正面から受け止めようとする分、人との関係のあり方を反省する問いはますます深くなっていくのだ。
 ラ・ボルドで、ひとりの人間同士として患者たちとの関係を構築しようとすればするほど、写真家である田村にはこのような問いが浮かび、ときにはこれらの問いに苛まれることすらあったのではないだろうか。なぜならば、写真は、自己と他者との関係を考えるとき、他のいかなる芸術にもまして、他者との関係が相互的ではありえず、一方的にならざるをえない表現行為だからだ。撮るー撮られるの関係は、能動ー受動関係の典型である。写真は、写真家の眼差しによって、相手を対象化する行為である。写真はある視点から、ある瞬間を切り取る。さらに写真家の能動性が強ければ強いほど、自分の狙い通りに被写体を切り取ってしまうことも可能になる。それは自分が前提とする範囲内に他者の存在を収めることにもなりかねない。自分がいかようにも加工できる他者は、すでに他者ではない。
 このように写真が人間の能動ー受動の関係をもたらすことから、田村は写真は「凶器」(p.63.)にもなると言う。カメラを向けることは「その人の心を攻撃してしまうのではないか」(p.63.)と恐れる。写真において、他者は「被」写体となり、撮るという一つの暴力にさらされうる。
 だからこそ、写真家は、他者を手段としないよう、他者との関係によりいっそう敏感になってしまう。そして「他人の存在にもっとも敏感」(p.64.)になるとき、自己と他者との関係構築の新たなあり方の場に直面していることを強く感じる。他者がどのような人であれ、他者の言葉をそのまま正面から受けとめることは楽なものではない。併せて、その他者を受けとめる重さにおいて、自分の存在へも問いの眼差しを投げかけざるをえなくなる。「他者の存在を敏感に感じている私は、実際に何を感じているのか」と。
 そして、田村は他者が「自分のなかにも存在する」(p.64.)ことを感じる。他者との関係に対する敏感な感性は、同時に自分自身にも向かう。自分自身は安定した自己の根拠ではなく、自分の知らない自己、およそコントロールできない自己の存在に気づく。そのような自己の揺らぎが身体的にも精神的にも疲弊を招いてしまい、ある一日ラ・ボルドを離れる。ロワール川を車で1日走りながら、友人たちと話し、自由に写真をとる。そのような時間を過ごしながら、自分の心が閉じた状態であったことを振り返り、再び翌日ラ・ボルドに戻る。この短い旅は、田村にとってのセルフケアだったのではないか。
 私たちが普段の社会生活を送るなかでは、他者へのこだわりがあまりに強いと、それはほとんど拘泥という意味しか持たず、スムーズな、要は表面的なやりとりの障害となってしまう。だがラ・ボルドでの実践においては、他者を考えるとは、記号として固定された前提をどこまでも見直すことを意味した。その実践は、私たちが他者との関係が生まれるその始まりに立ち合うことでもある。他者をあるがままに受けとめ、受けとめている自分を通して、これまで知らなかった自分の中の他者を発見する。こうした未知の存在との出会いは、ときに緊張と不安を強いることであり、心をつい閉ざししまうことにもなるだろう。だが、反対に、他者との関係を生みながら、新たな自分自身をひらく可能性もそこには広がっている。
 ラ・ボルドでの実践は、「対象を固定化して物象化してしまわないための<詩的なロジック>」(p.40.)を作ることだとウリは田村に語る。物象化とは対象を物自体と捉えること、本質的に不変である存在として認めることである。物自体としての存在は、私たちの認識いかんにかからわずそこにある。物象化されたモノ、人間と、私たちの間には、どのような接触も干渉もなく、関係は不在である。
 それに対して、私たちが、自分を取り巻いている世界を物象化しないように努めて生きるとすれば、それはたえず他者と関係の構築のあり方を問うことになる。詩的なロジックとは、お互いの間で意味を力動的に生成することを意味する。詩は新たな意味の創造だからだ。この詩的創造とは技法的なレトリックの創造という意味ではない。そうではなく、既知の範囲内に他者を置く=不動の物質化をすることなく、目の前の他者にたえず新たな存在の様相を見出し、生の動きを認め、それに自分の生をも呼応させることなのだ。他者を一面的に見ることなく、その他者との関係において自己存在の揺らぎをも受けとめるとき、他者の多面性と自己の変容はその姿を現す。その交渉のなかで自己と他者の関係が生成される。この生の呼応関係による新たな生の意味こそ、<詩的なロジック>と呼べるものである。
 対話において、人間の多面性を見出していくこと。それはラ・ボルドで行われている「星座の会議」の意義でもある。ここでの星座とは次の実践を意味する。
 

ひとつの点と点を結んでいくと初めてその形が見えてくる星座のように、その人のことを知る。(p.109.)

この結ぶという行為によって、初めて相手が私たちの前に現れてくる。その人と出会い、その人を理解するとは、自分なりにその点を結んでいき、形を作ることである。この結び方は無限に存在するであろう。人間は生きている以上、たえず生のただなかにあり、そのただなかにある生同士が出会うからだ。とはいえ、それは毎日まったく違った形を見せるといったドラスティックなものではなく、日常に起きる些細なことから構成される。その毎日毎日の些細な事柄をひとつの小さな出来事として新鮮な目で見つめることである。そのとき人間関係は不断の変化として現れ、物象化を拒む可能性がひらけてくるのである。その瞬間こそ「交歓の生まれた瞬間」(p.67.)と名付けることができるだろう。