宗教の話をフランス語でしていると、なかなか話がかみあわないことがある。それはreligionという単語の意味するところが日本語の宗教とはときどき異なるからだ。教義や宗派の話をするならば問題はないのだが、人の心の精神性について話すときはspiritualitéといったほうが齟齬が少ない。
ゴスペル音楽が、キリスト教のための、あるいはアフリカンアメリカンのためだけの音楽ではなく、信仰者でなくとも、その心に響いてくるのは、もっぱらその音楽が高いスピリチュアリティをたたえているからではないか。それはたとえ神を想像しなくとも、自分の存在を遥かに越える圧倒的な力に引き寄せられる感覚を私たちの中に生むからではないだろうか。
ゴスペル音楽をひとつの職能として、アーティストとして活動している人たちが多くいたわけだが、牧師自身も歌い手として、その声を教会に集う信者に聞かせていた。このアルバムのバレット牧師もそのひとりである。バレットはシカゴの教会で聖歌隊を結成し、若者たちを教会に足を運ばせるよう活動をした。それは単に信仰に誘うというだけではなく、60年代のアメリカにおいて、何とか真っ当に生きるための生活の場という意味があった。
教会で歌われた音楽はレコードに録音され、人々の生活に染み渡っていたのだが、そうした音楽は地域に密着しているがゆえに、より大きな反響を得ることは少なく、あくまでも対象は信仰者のためのものであった。
このバレットが録音したレコードも同様であるが、2009年、マニアックなソウル音源発掘レーベルとして知られるNumeroのコンピレーションアルバム「Good, God! Born Again Funk」に、そのうちの一曲が収められ、これが大きな話題となり、ついにこのアルバムが再発へと至った。
地域も時代も越えて、火がつくようにこのレコードが求められたのはは、当然ながらその音楽の質の高さによる。まずはバレット牧師の歌が本当にうまい。ファンキーでシャウトに力がある。メロウな歌い方もできる。また数曲で聞かれる女性ヴォーカルも彼に負けずファンキー。
だがこのアルバムが広いポピュラリティを獲得するのは、その音楽が極めて洗練されているからではないか。それはフィル・アップチャーチなどプロのミュージシャンが参加しているということもあろう。ただそれ以上に言えるのは、それぞれの曲がきちんとした構成をもって作られているため、完成された楽曲として聞けるということが大きい。
タイトル曲Like A Shipのベースラインのなめらかさ、鈴を鳴らしているかのようなリズムセクション、心地良いグルーヴ感に聖歌隊のコーラスが重ねられ、その上に、牧師のソウルフルな歌声が聞こえてくる。
あるいは2曲目Wondefulや5曲目Nobody Knows冒頭のダニー・ハサウェイを彷彿とさせる軽やかなピアノの旋律。特にWonderfulは歌い方もダニーを彷彿とさせる。70年初頭のまさにニューソウルに雰囲気をたたえ、コーラスや「ハレルヤ」の掛け声がなければ、ゴスペルだということを忘れてしまうようなスイートなソウルである。
かと思うと、1,2,1,2,3のかけ声で始まる4曲目のEver Sinceは、アグレッシブなゴスペルファンクで、コーラスもアップテンポ、バレット牧師もジェームス・ブラウンのようである(かけ声で発する単語は違うが...)。
こうした当時のソウル、ファンクの最新の形式がしっかりとそれぞれの曲に生かされている。それは当時の若者の心を捉えるという意味もあっただろう。だが何よりも、そのソウル、ファンクの音楽形式がきちんと曲にはめ込まれてなければ、これらの楽曲が普遍性をたたえることはなかっただろう。
単なる情熱や宗教心ではなく、あくまでも音楽として楽しめること、そのために楽曲自体がソウルやファンクの形式に沿っていること、それがあるからこそ、牧師のスピリチュアリティが、今、現在へと伝わってくるのだろう。音楽は楽しい、そんな単純な喜びを素直に感じられる名盤である。
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