1947年生まれの写真家、石内都のエッセイ集である。石内都は、40年にわたって、街(横須賀)、傷跡(身体に刻まれた傷の痕跡)、遺品(ひろしま、母、フリーダ・カーロ)、花(薔薇)などを撮ってきた。それらのいずれにも被写体という呼び方はなじまない。なぜなら、それらは「写されるもの」ではなく、まず自立してそこに存在しているものであり、写真家は撮影という行為を通してそれらの存在と関係をつくっていくからだ。
そして写真に写っているものは、眠っていた自らの存在の本質を白日の元に明らかにする。そのように事物が自らを語り出すのは、まさに関係が生まれることによって、写真家、事物それぞれの生命が躍動するからである。
石内都はこの関係が生まれる瞬間を大切にしている。たとえば広島平和記念資料館に寄贈される遺品を前にして、石内は次のように事物を感受する。
(...)衣服や日用品の数々が、気が遠くなるほどに長い時間をかけて私の目の前に現れる。「こんにちは」とあいさつをして、自然光の中でいずまいを整え、静謐な空気をひと息吸うと、かすかに語り始める一瞬を私は感知する。
あの日の時間を刻んだ品物は硬くくすんでいるけれど、つかの間の自由を私と共に過ごすうちに、やわらかで色彩豊かな本来の姿にもどっていく。(p.51.)
こうして写真家と品物との交感が始まる。そして品物は持ち主の存在について語り始める。写真の持つ機能の一つは、そこに写っているものが、自らの存在を通して、不在のものを存在せしめることではないだろうか。特に石内都の写真を見ていると強くそんな気持ちにさせられる。
小さくたたまれていたブラウスの折りじわをていねいに伸ばし、ガラス窓から差し込む太陽の光の中におく。一瞬、水玉模様や花柄が反射して、着ていた彼女が浮かびあがる。いずまいを整えてシャッターを切る。(p.50.)
その写真を見る私たちもそこには写っていない持ち主である女性を想像する。自然光で撮られた品物は、その品物が使われていた日常を強く喚起する。その遺品は資料として保存されているにも関わらず、写真に撮られることによって、生活の一部として提示され、その品物を使っていた生活者を喚起するのだ。
それによって「ひろしま」の人々は、被爆者というレッテルから少しずつ自由になってゆく。被爆者である限り、それは私たちとの間に体験/非体験を大きな断絶を作る。しかし被爆者も、その生全体においてまずは私たちと同じ生活者だったのである。
この時に、原爆の圧倒的な力によって原型をほとんどとどめない形に歪められた弁当箱も、激しく汚れてしまったドレスも、美しさを回復する。なぜならば、私たちは、「悲惨さ」というあらかじめ決められた意味機能から、それらの品物が解放される瞬間に立ち会うからだ。
だがそれはひろしまの歴史的現実を忘れ、芸術の優美さに酔いしれているような態度ではまったくない。そうではなく、私たちはひろしまについて知っている。しかし、知っているとみなすことが、それ以上に理解したり、それ以上に主体的にひろしまに関わってゆく機会を実は奪っているのであり、写真は美しさを見せながらも、私たちにいかに私たちが「知っていないか」、深く反省させる契機になっているということである。
それを石内都は歴史と私の関係において次のように述べる。
広島での一九四五年八月六日午前八時十五分以後の惨状は、確かに写真を見れば記録されているが、見たような気になってもすぐに忘れてしまう。それは広島に対する現実感がまったくないからだ。想像力をかき立てるイメージがそれらの写真からは立ち上がってこなかった。自分の身に降るかかったことではないので痛みが感じられない。(pp.55-56.)
ここで大切なのは「見たような気になって」いるという私たちの態度だ。私たちは知らないのではない。むしろ知っている。しかしそれは単に「〜のような気になっている」次元なのだ。私たちは分かった気になって、結局は素通りしているだけだ。だから実は現実を本当には見ていない。
もちろん過去の現実を、今現在の私たちが見ることなどできはしない。では何が必要なのか。想像力である。想像力によって、災厄を少しでも私たちに降りかかることとして意識し、痛みを少しでも分有するのである。
そのために石内都は、品物のディテールにこだわる。たとえば、衣服にできた鉤先を縫い合わせた布と糸のステッチ。そのディテールから、この衣服が大切に着られていたこと、大切に着ていた人がいたこと、それが私たちと同じ生活者であったこと、そうした想像へと私たちを誘って行くのである。だから石内都は、「死者の遺物」とは決して言わず、「いまだに行方不明の少女」(p.57.)が喜んできていた衣服だと言うのだ。
これが可能になるのは、まずは何よりも石内都という写真家が、品物を前にして対話をていねいに行なっているからである。「誰でも簡単に写真を写せる」が「誰でもちゃんと写るわけではない」(p.15.)。石内都の写真にはまさに「空気や匂いや記憶がジワリと写し込まれている」(p.19.)。
このように写された品物はもはや、その所有者のものだけではない。「私物が公的なものに変化する」(p.49.)瞬間に私たちは居合わせる。母親の遺品も同様に「いつの間にか私の母のものから誰のものでもない、誰かのものへと変化し自立していくのを実感する」のだ。優れた芸術作品はみなパーソナルな事象から出発して、私たちが今現在いる社会性や歴史性を、そしてその社会性や歴史性において、過去とどのように関係を構築すべきかを意識させる力を持つ。
写真はもちろんこの世の中に存在しているものを写し出す。その意味では現実を写している。しかし私たちは本当に現実が見えているだろうか。私たちは現実が見えている気になっているだけではないか。写真はまさに見ている気になっている現実は現実ではなく、認識の新たな相貌のもとに現実を発見することを促す装置である。
「写真は実生活の中でフッと一瞬立ち止まり、足を止めて外側を見つめ考える行為」(p.6.)。しかし私たちは普段の擬制の生活のなかで、どれだけ足を止めて、ひとつのものをじっくりと見つめているだろうか。ものを見ることで、そのものの本質を見えなくしている思い込みをどれだけ払いのけ、意識し考えることで、この世界の更新をはかっているだろうか。このような激しい反省をせまってくるのが石内都の作品である。
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