Claude Nachinは、精神分析の理論家アブラハムとトロートに影響を受けた臨床精神分析医である。本書『愛の喪』は、二人の喪の理論をもとに、愛する者を亡くした人間の「喪の病い」についての臨床実践、文学テキスト分析、そして技法分析を集めている。そして第三章ではユダヤ人大虐殺で家族を失った子どもたちの証言を集めた2冊の本を扱っている。
最初の本、Denise BaumannのUne famille comme les autresはアウシュヴィッツで殺された、本人の家族の手紙を集めたものである。Nachinはこの本に収められた本人の序文と後記をそのまま載せている。
Baumannは、家族の死の詳細を知ることを拒否することで、喪の作業を自らに禁ずる。そして自分だけが生き残ったという罪悪感を抱き、夢と覚醒のはざまで、今でも彼らが生きていて、会いに行かなくてはならないと想像する。それは、自分の状態を、息子を亡くした後も、彼が生きていると信じ込み、シベリアに家族を作って暮らしていると想像して、誕生日を祝っていたというドイツ人女性のようである。
だが、NachinはBaumannとドイツ人女性の間には差異があると言う。Baumannの場合は、困難さはあってもゆっくりとした喪の作業が行なわれているのに対し、ドイツ人女性の場合は、故者を体内化する(自分の中に、自分がコントロールできない他者を住まわせ続ける)ことの危険に対する防御の技法を示している。ここでNachinは後者の文学的な表現として、娘を失ったことを信じず、婚約者まで探そうとする両親を描いた作品、ヘンリー・ジェームスのMaud-Evelynが挙げている。
さらに、Baumannはあくまで、思考によって(par la pensée)、失った家族の苦しみを体験し直しているのに対し、病いを抱える者は、思考することなく(sans y penser)、かつての苦しみを再体験してしまう点に差異がある。それによって前者の場合は、他者の自己内への取り込みがゆっくり進んで行くのに対して(他者の自己の中に解消していく)、後者の場合には、他者への体内化が行なわれ、体内にクリプト(地下納骨堂)が作られることによって、他者は死後もそのまま生き続けてしまうのである。
2つ目の作品はClaudine Veghのje ne lui ai pas dit au revoirである。児童心理学者であるVeghが、子ども時代に家族をアウシュヴィッツに連行された経験をもつ人々にしたインタビューをまとめた本である。
Nachinは彼らの体験談の中にさまざまな喪の徴候が示されていることを指摘する。家族に降りかかる災厄をさけるために出頭に応じて連行されていった父親に対する負い目、彼らの大多数に当てはまる、過去についての沈黙、現在の愉快に過ごすことへの苦痛、現在の家族が一時的にでも家を離れることへの強い不安、節目となる日付(たとえば連行された日、親が死亡した日)における体の変調、別れる直前の諍いや優しい言葉をかけられなかったことへの後悔などである。そして生き残った子どもたちは、戦後においても「間違って生きてしまった」という感情を持ち続けた。
また、Claudine Veghが強調しているのは、戦後精神的な問題を抱える人々は、子どものときに、親が激しい恥辱を受けたことを覚えている人々であり、それによって、自分の文化の伝統、親からの伝統が十分に伝わっていない人々である点である。
Veghの本の後書きを書いているベッテルハイムは、体験者である人々と、その体験を聞く人間たちとの距離の問題を指摘する。体験者は、たとえ相手が話を聞いて事実を知ることはできても彼らの苦しみの本質は理解できないと考える。そのため、心をひらいて話せる相手は、Veghのような同じ体験者に限られる。続いてベッテルハイムが指摘するのは、「話すことができない以上、心が鎮まることはなく、その傷は世代から世代へと引き継がれていく」という点である。子どもは、中身がわからない鉄の箱を心に持って人生を歩むことになる。
またベッテルハイムは、子どもが親の死について嘆くことができず、親が戻ることを心の中で無意識にでも思っている以上は、喪の作業は拒否され、現在を生きることができないと指摘する。特に親が連行され強制収容所で亡くなった子どもたちは、親の死の実際の証拠も持てず、葬儀をすることもできず、喪のプロセスを辿ることが不可能である。また自分自身もたえず非難や死にさらされていた状況では、喪そのものを否定しさることが、生き残る条件であった。その意味でもインタビューを受け、語ることこそ、重要な喪の作業となったのであり、ようやく親の死を認め、現在を選択することを可能にしうるとベッテルハイムは結んでいる。