2002年の夏、地下鉄メニルモンタン駅を出て、ゆるやかな坂道を登っていた。浅野素女さんのアパルトマンを訪問するためである。翌年の4月からNHKテレビで『フランス語会話』を担当することが決まっていた。そのプログラムに、日常のフランス人の生活をそのままカメラにおさめ、生活風景の一こまをスキットにそのまま使うことを考えていた。その日常を探すにあたって、最もフランス人の暮らしを知っている人として、浅野さんの名前がすぐに浮かんだ。何のつてもなかったが、NHKのディレクターに連絡を取ってもらったところ、すぐに快い返事をいただき、お会いできることになった。当時は自分もフットワークが軽かったと思う。
浅野さんの新著は、この20区のメニルモンタンの暮らしを綴っている。この本を読み始めて、浅野さんのアパルトマンを訪問した日のことが思い出されてきた。庭先にあったプティット・サンチュールの廃線となった線路。浅野さんのお宅をお邪魔して初めて、かつて外周鉄道があったことを知った。テレビ台に置かれた鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』。決して華やかではないが、緑に囲まれた瀟洒なアパルトマンで、この落ちついた場所で浅野さんが丁寧に文章を綴っておられる姿がすぐに想像できた。
そして同時に、もう今はあの場所に暮らしていらっしゃらないことを知って、少し意外な気がした。僕にとって浅野さんは、もっともフランスの日常をよく知っている方であり、暮らしに根ざした文をお書きになる方だ。だから観光地から離れた、暮らしの活力が十分に感じられる、庶民的な界隈メニルモンタンはまさに浅野さんが暮らすにふさわしい場所だと感じていたからだ。だが、その疑問は、本を読み進むにつれて溶けていった。にぎわいは喧噪であり、庶民の街はまたゴミなどがあふれた街でもあった。いや自分が歳をとるにつれて、今まで気づかなかったことに気づくようになる。ほうっておいた傷が、どうしても見過ごせない致命的な欠点に見えてくる。
そしてもうひとつ、この本を読んで驚いたことがある。ほぼ仕事上のおつきあいであった(といっても、いつも僕からのお願いばかりで、「一緒に」は不正確。まさにお世話になりっぱなし...)浅野さんは、こちらの話を丁寧に聞いて、誠実に対応し、具体的なアドバイスをくださり、そして控えめな言い方ながらも、ご自分の考えを明晰に述べる方だった。仕事はめっぽうよくできるが、それをまったく鼻にかけない知性的な女性だった。ただ、浅野さんのフランスでの暮らしは決して平坦なものではなく、多くの苦労があったことは聞いていた。それにしても、ここまで浅野さんの感情、いや激情や心の澱みが赤裸裸に書かれているとは。あの沈着冷静な雰囲気の浅野さんの心のうちに、これほどの動揺、逡巡、抑えようのない情動が渦巻いていたことに正直驚いた。
この本はメニルモンタンの風景描写、人間描写であるとともに、その風景が映し出す心象や、浅野さんとの人間模様が描かれてる。浅野さんの筆致には、人々に対する愛情と同時に、怒りや不満もある。そしてその意外なほどに歪んだ感情に自分自身も戸惑う浅野さん自身の姿も書かれている。
この素直さはとても浅野さんらしい。だがその戸惑いの心から漂ってくる人間的な弱さに、僕は驚くのだ。浅野さんが40歳を目前に洗礼を受けたのも、この自分に巣食う汚れとさえ映る自分自身の弱さに気づいたゆえではないだろうかと思ってしまう。
そして、父親のいないアパルトマンで育てた長男からなかなか「子離れ」できない浅野さんの姿も意外だった。確かに、家庭のある男性との間に子をもうけ、その親権を争い、命の危険さえ感じるような戦いをしてきた浅野さんにとって、長男トマはかけがえのない心のよりどころだったのだろう。しかしそれにしても、不在の子供を想い、電話をかけ、執拗にバカンスの生活を問い糾す浅野さんの姿は、さながらアルベルチーヌを追い求めるマルセルよろしく、滑稽ですらある。だがその振る舞いこそ人間らしさではないだろうか。私たちは真剣に生きようとすればするほど、外からは滑稽に映ったりするものだ。他人がそんな振る舞いをしていれば鼻で笑うくせに、実は自分も似たり寄ったりの振る舞いをしていることに気づかない。
浅野さんの人間描写は、すべからくこのように人間の多様性、人間の割り切れなさを微細に描いている。そこにこの本の文学的「匂い」もあるのだ。
子供が大人になるにつれて、浅野さんの考えも成熟してゆく。メニルモンタンを離れることを決意し、猛烈に反対するトマにかけたことばには、最高の愛がある。後悔をかかえながらも、生活は流れていく。その流れに弱い棹を差しながら、不器用に、それでも家族は足取りを止めず進んでいく。一緒になり、別々になり、人生が分かれ道に差し掛かる。変化はやむことがない。さまざなな変容を見せながら、それでも母親は子に惜しみない愛情を降り注ぐ。
「泡沫のドラマ」。でもその人生にしっかり寄り添い、そこから生きるよすがを導いてくる。それは外国人ゆえの外の眼差しではない。人は誰でも平凡であることの奥深さをたたえている。浅野さんが優しいまなざしをそそぐのは人間だれしもがもつ弱さと強さである。