テテのファーストアルバムL'air de rienに収められたAiséは、彼が初めてフランス語の歌詞で作った曲である。そのなかにこんな一節がある。
Comment veux-tu que l'on aime
Quand on ne sais même
Pas comment se prendre soi-même ?
Moi, je ne suis qu'un trouillard.
人はどんなふうに愛せるっていうのさ
自分自身が誰なのかさえ
わかっていないというのに
ぼくは、ぼくは単なる臆病者。
臆病者だからこそ、自分を隠す。人から身を隠す。テテの出発点はここにあったと思う。歌を歌うことは、決して自分をさらけ出すことではない。このファーストでこそ、アコースティック主体で、自分を歌っている曲もあるが、セカンド以降では、アルバムごとに異なった意匠が施されることになる。セカンドは叙情性、サードは演劇性、そして4枚目は、アメリカのルーツロック、ブルース。それぞれが音楽的にかなり綿密に作りこまれ、サウンドクリエーターとしてのテテの才能がいかんなく発揮されている。
またセカンド以降のテーマはいずれも旅である。テテにとっての旅は自分探しではない。旅をしながら人に出会うことであり、テテは出会ってきた人について歌にしてきた。と同時に自分については歌うことはなかった。歌詞は韻や言葉遊びに溢れ、語りではなく、詩であった。
しかし、この新作は違う。もちろん様々な音が作り込まれているが、とてもシンプルなのだ。そして自分についてもきわめてシンプルに語っている。
Guitare au poing
J'appris alors des bars du coin
La corne aux doigts pas à l'égo
L'art de l'esquive et du chapeau
ギターを握って
ぼくは覚えた、街角のバーから
指には固いタコ でも心は固くなく
身をかわしたり、帽子にお金を入れてもらうこと
こうしてテテは自分の過去を「歴史」の一コマとして振り返る。自らを隠すことなく、またさらけ出すのではなく、あくまで登場人物として、落ち着いた目で過去の自分を眺めながら。この大人の視点は、自分の母、父、祖父母、さらにはアメリカの黒人たちへと注がれる。
そして曲はどこまでも明るい。その明るさは、今まで隠れていた暗い場所から、日ざしの注ぐ明るい場所へ出てきたようだ。
特に好きな曲はヒューストンだ。ここでは遠い、今は消息もわからなくなってしまった友人が歌われる。
Houston
On t'a perdu
Ici l'Essone
C'est moi Tutu
(...)
Entends l'ami d'antan
Moi seul scellerai ton salut...
Moi seul scellerai ton salut...
ヒューストン
みんな君のことを見失ってしまった
ここはエソンヌ
ぼくだよ、チュチュだよ
(...)
聞いてくれ いにしえの友よ
ぼくだけが、君の救いの印となるだろう
ぼくだけが、君の救いの印となるだろう
過去は決して流れさってはいない。もう会わなくても、会えなくても、でもあのときの友だちは、ずっと友だちで、だからどんな境遇になっていたとしても、救えるのは僕なのだ。そんなテテ本人の優しさに満ちあふれたヒューストンが好きだ。