Bob Dylan, The Freewheelin' Bob Dylan (1963)

freewheelin.jpg 中村とうようがライナーで書いているように、このアルバムは、シンガーとしては2枚目だが、ソング・ライター、創作者としてのファーストアルバムである。2曲を除いて全曲オリジナル。

 今あらためて聞くと、プロテスト・ソングやフォーク・ソングという言い方から想像すると肩すかしをくらうようなパフォーマンスが収められている。

 まずは何よりもブルース。例えば、Down The Highwayのギターの鳴らし方、声の延ばし方は、完全なブルースだ。

 全編を貫くディランの声は、20歳そこそこの若者とは思えないほどつぶれている。1920年代の黒人ブルースシンガーが歌っているかのようだ。そういう錯覚をさせる恐ろしさがディランにはある。歌なのか、語りなのか、つぶやきなのか、あるいは唸りなのか区別のつかない声。そして声そのもののざらつき感によって、音楽を楽しみとして受け取ることが拒絶される。

 とはいえ、音楽は政治的なメッセージのためにあるのではない。当時人々がディランをどう受け止めていようとも、そうした限定的な目的に奉仕するためにディランの曲はあるのではない。もしそうならば、とっくにディランの曲に耳を傾けられることはなくなっていただろう。しかしこのあるアルバムが出て50年経った今でも、記録ではなく、パフォーマンスとして聞かれ続けている。

 ディランが時代に影響を与えたというより、本当は時代の思潮を斜めに眺めながら、自分の創作の材料にしたのではないか。自分の溢れ続ける創作意欲を満たすため、反戦の風潮を、あるいはそこにうずまく、怒りや絶望の予兆をうまく自分の曲に取り込んだのではないか。そんな気がしてくる。それが今でも初期のディランが聞き続けられる最大の理由だ。私たちはそこに反戦歌を聞くのではなく、若いディランの激しい表現を聞く。

 他にもフォークソングとはおよそ呼べない理由がある。初期のビートルズやストーンズのロック・アルバムは30分そこそこである。だがディランのこのアルバムは収録時間が50分を超えている。フォーク・ソングが想起させる、シンプルで短い楽曲とは正反対である。そもそもここには6分を超える曲が2曲収められている。その中で「激しい雨が降る」はアルバム屈指の名曲だ。

「激しい雨が降る」は、当時のキューバ危機がもたらした絶望感を歌にしているということだが、歌詞はすでに抽象度が高く、難解を極めている。そして同じ文句が果てしなく続く。第一連はI saw、第二連はI Heard、 第三連はI met、そして第四連はWhere。それは終わりのない連祷のようだ。イメージが奔放に連鎖して流れていく歌詞世界をもつこの曲はディランを代表する一曲だろう。

 プロテストという言葉があまりそぐわないのは例えばDon't think twice, it's all right。「くよくよするなよ」は、とてもよい邦題タイトルだが、これは誰かに向けて声をかけているのではない。自分に「しょうがない、どうしようもない」と言い聞かせている独り言だ。愛する彼女とは別れてしまった。そんな男が思わず自分につぶやかざるをえない、誰にも聞き取られることのないことばが詩となっている。

 ディランのこのアルバムは、単純なレッテルを貼ることをずっと拒否し続けている。時代の空気に飲み込まれることなく、それに対峙しうるほどの強い表現意欲に貫かれている。そんなアルバムをすでにセカンドとして出してしまったディランはやはり恐ろしい。