山下達郎のSuger Babeのなかに「雨は手のひらにいっぱい」という曲がある。アレンジは大滝詠一らしいフィル・スペクターサウンド。ライナーで山下達郎は「このアルバムのベストテイクだ」と書いている。プロとしてやっていくかどうかの苦悩の時期に、この曲が先輩ミュージシャンにほめられて、それでずいぶんなぐさめられたとの記述もある。内省的でありながらも決して個人的な鬱屈を表に出すような曲ではない。雨を比喩として用いながら、憂いと軽みをそなえたポップミュージックとしての普遍性をもった曲だ。この曲を出発点として現在に至るまで、ほとんどそのスタイルは変わっていない。
個人的な心象を歌いながらもそれがしっかり他者へと伝わってゆく、しかも時代を経てもそうした「伝わる力」は変わらない。その一曲前に収められている「今日はなんだか」も素敵な曲だ。
今日はなんだか
君の心が少し
開いた気がする
という歌詞がいい。35年も前のアルバムなのに色あせることがない。そして今この歌を山下達郎が歌うとき、「心が開く」という歌詞が、恋人同士の関係でありながら、それに重なるようにして人と人の心のつながりが歌われているように強く感じる。
歌詞が当初作られたときとは、異なる意味内容をもつようになる。ひとつ、ひとつの独立した曲が、アルバムにおさめられたとき、それぞれの曲が影響しあって、新たな意味をもつようになる。そんなトータルな作品性をたずさえ、おそらく2011年という時点をこえて普遍性を得て聞かれ続けるであろうアルバムが今回の新作Ray Of Hopeだと思う。
「ぼくの中の少年」のパーソナルな内省とは違う形の内省がある。それは時代を個人の中に引き受けた上で、「何が歌えるのか」と真剣に問いかける、社会に開かれた内省である。本人も、自分の作った曲が、聞く人々に文字通り「生きる希望」として受け取られたことによって、作品のもつ「生命感」を実感したのではないだろうか。いや「ぼくの中の少年」のパーソナルな部分をふくみこみながら、「生きる希望」が人々へと伝わってゆくと言ったほうがいいだろうか。
「希望という名の光」はスローテンポで、派手な曲ではまったくない。それでも生への、生き続けることへと強い確信がある。
そして山下達郎本人が好きな曲「僕らの夏の夢」。この曲にも人と人がつながる希望がある。
心と心を重ねて
光のしずくで満たして
手と手を難く結んだら
小さな奇跡が生まれる
希望といっても、大々的なものではない。しずくのように落ちてはすぐに消えてしまうようなもの。奇跡のようにめったに訪れはしないものかもしれない。しかし心と心を重ねれば、たとえ小さくとも希望が生まれてくるのだろう。
この曲も決して明るい色調ではないが、一歩一歩踏み出すような確信に満ちている。その印象はアルバム全体に言える。未来は混迷し、薄暗く、どちらに足を踏み出してよいかわからない。そうした時代の状況にもかかわらず、もし「ひとときでも耳をすませば」、「かすかな希望の音」が聞こえてくる。「手と手がつながる/心が伝わる」瞬間を私たちに与えてくれるアルバムがこのRay of Hopeだ。
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