Mona Ozoufは、1931年生まれ、今年78歳になるフランス革命、および近代フランス学校教育制度を専門とする歴史家である。しかし本人のインタビューによれば、彼女は自らを«demi-historienne»「半歴史家」と呼んでいる。その理由は彼女が歴史学の専門教育を受けたことがないということ、もともとの専門は哲学であったことに由来している。だがこの肩書きは新著Composition Françaiseの著者としてのMona Ozoufにこそふさわしい。この作品でのOzoufのエクリチュールは、歴史と自伝のあわいを縫って、ブルターニュの過去をよみがえらせる。半歴史、半自伝の書である。
'universelとle particulier。普遍と特殊。前半のブルターニュでの生い立ちも、後半のフランス革命以降における、共和主義とその批判も、この普遍と特殊を軸として描かれている。
前半は、家庭(ブルターニュ)、学校(フランス)そして教会(信仰)の相反する関係を描く。そしてその3者を行き来する主人公が他でもない「私」である、「私」を形成してくれた大人たちである。その意味では自伝に近いのだが、この少女の「私」はもう一人の「私」、すなわち、現在の歴史家としての、78歳となった老齢の「私」によって、洞察を加えられ、その周囲の歴史的状況に置き直されて語られてゆく。
そのため、私たちの前に描かれるブルターニュの日々は、一人物の想起だけで織られている私的な物語ではなく、また乾いた出来事の羅列でもない。人々の生は、決してその時代、社会、共同体に還元されてしまうものではない。ブルターニュのアイデンティティといっても、そのアイデンティティを何に、さらにはどのような行動に求めるかは、ひとりひとり異なる。その個人の選択、とまどい、思い込み、錯誤を、祖母、父、母、そして私という家族の肖像を通して叙述したのがこの作品の前半である。そしてこの個と普遍を巡る問いは、作品の後半、Ozoufはこれまでの研究を振り返りながら、フランスの共和主義批判においても一貫している。
個はたしかに、言語、宗教、土地といった所属なしに生きることはできない。そうした属性を剥いでしまうのは幻想であり、それは幻想としての共和主義である。しかし同時にこれらの所属は、個を支配する属性ではない。個人がそこに従属してしまうならば、共同体主義は一つの信仰、ヒエラルキーとなってしまう。この共和主義でもなく、共同体主義でもない位置にMona Ozoufは立つ。しかしそれは折衷主義ではない。Ozoufの立場は、革命以前の過去を含みこんだ共和主義を立案したとOzouf自らが分析するFerryに近いように思える。フランスの過去や、地域と特性は、フランスの要素として構成しなおされる。この第3共和制における教育の体制化と歴史観に立ち、しかしその歴史に束縛されるのではなく、むしろそこから離れる自由をもった個人によって構成される共和制こそ、Ozoufの描く共和主義である(ただし第3共和制においても言語の問題だけは特殊なものとして取り残されてしまう)。
私たちは歴史、社会の中で生きている。そのため必然的に自分が自分の生を決定しているようにみえて、実はイデオロギー、風習、伝統に絡めとられて生きていると言わざるをえない。しかしそのような制限を受けながらも、私たちは自分の生においてそのつど小さな決定をしてゆく。この生の具体性を歴史の客観性のなかに埋没させないこと、それが文学をもっとも愛しているOzoufが試みたことである。
Ozoufはあるインタビューに答えて、「雑誌のなかにはこの本はOzoufの遺言だという評があるが、かならずしも気分のよいものではない」とユーモアをたたえて答えているが、しかし父の死から、はじまり、パリでの教育をうけ、共産党員としての活動、そしてやがて歴史家へといたる道筋は、たしかに晩年に想い描く自分の存在史に近い。だがOzoufはあくまでこの書を「私」の物語としては描いていない。ここにあるのはやはりひとりの歴史家の、透徹した時代観察による記録であり、フランス革命の歴史家としての思索の歩みなのである。