アメリカの心理学者ジョン・H・ハーヴェイの『悲しみに言葉を』は、喪の作業において、体験の言語化が、どのようにその悲しみから人を立ち直らせるのか、幅広く検証した研究書である。その意義のひとつは、悲しみから立ち直ることは、その人を成長させるといった、体験を踏み台にし、喪失を自明のものとする考え方ではなく、「喪失を意味づけることによって、何か肯定的な事柄を他者に伝えること」に重きをおいている点である。
喪において成長は必要不可欠ではない。それよりもむしろ他者とのつながり、ある場所を共有すること、そしてさらにはそれが何らかの共感(理解ではなく)へと至ることが、喪を避けることのできない必然として生きる人間にとって重要なことなのだろう。
こうした喪の意味づけが、たとえば精神療法において、その人間の生の尊厳を回復するという意味においてなされる限り、意味づけは、慎重にそして最大限の思慮をはらってなされるべき営みであろう。
ハーヴェイは様々な喪失体験を挙げているが、ここで考えたいのがホロコーストと戦争における喪失体験である。この喪失体験は、いかにこうした惨禍が起きないようにするのか、すなわち個人の回復の次元を超えて、私たち人間全体の課題としてここでは挙げられている。
戦争においては個人の体験と、歴史的意味がときに激しく緊張関係を持って切り結ぶことになる。心的外傷が明るみに出されたのも、戦争に狩り出された兵士たちの戦争体験からである。ハーヴェイは戦争体験者たちの証言を取り上げながら、喪にことばを与える彼らの言動に大きな尊厳を与えている。たとえばつぎのような具合に。
恐ろしかったのは確かです。でも、崇高な大義のために戦っていることがわかっていたので、恐怖に打ち克つことができたのです。
自分自身よりもほかの人間のことを思いやる。誰かのために自分の命を捨てることができるーこれが勇気というものでしょう。
これはノルマンディー上陸作戦に参加した兵士の証言であり、50周年の記念式典に際して、ハーヴェイ自身が立ち会って聞いた声である。この声にたいしてハーヴェイは「こうした記念行事は、(...)新しい人生、意味、希望を含み込むことになるのである」と述べている。(以上、引用も含め、『悲しみに言葉を』p.190-191.)
記念するとは、喪の行為に対する50年たってからの「新しい意味が付け加えられた」ということだ。ハーヴェイは続けて、この新たな慰霊碑は、人々の「集合的な記憶のイメージそのものだ」と付け加えている。
だがここでさらに付け加えて言わなくてはならなかっただろう。「集合的な記憶は、歴史とは異なる」と。「集合的な記憶は、体験の正当化には役立ち、それがひいては個人に希望をもたらすかもしれないが、それは、あらゆる正当化は歴史の営みとは本質的に異なり、無反省な混同をときにはもたらしてしまう」のだと。
私たちは歴史と記憶とを混同してはならないと思う。歴史とは出来事を人間の共同性の次元でとらえたものだと、おおまかに言ってしまうならば、歴史とは、記憶に依拠することが、個人がその体験の記憶を想起することが、そのまま他者の記憶と接触し、交渉することが必然となる場所である。この他者とどのような形であれ関係性を成立させてしまうのが、歴史という共同性の必然ではないか。そうでなければそれは歴史という名では語れないだろう。
戦争体験においては、個人の自らの体験の意味づけが、歴史という共同性の確立において否定されるということがおきる。それは、戦争が、死者の死を蹂躙し、生者の生をも否定する、その意味で人間性を破壊する出来事であることを訴えている。だからこそ戦争の記憶は時に隠蔽され、だからこそ、個人の証言が大きな意味をもつ。この個と共同性の記憶と意味づけをめぐる矛盾こそが、戦争の歴史の難しさだ。死の問題を避けない以上は、この矛盾は必ず私たちの前に立ち表れてくるのではないか。
この論議を、アイマンの記憶についての考察を助けにして考えてみたい。
第6章では、それまでのロックやワーズワースを引用しながら想起とアイデンティティの連関を探究したあと、この同じ連関を社会学、歴史学において検討している。ニーチェ、アルヴァックス、そしてノラの名前を挙げたうえで、かれらの記憶理論に、「想起の構成主義的で、アイデンティティを確保する性格」が強調されているとする。
想起・構成・アイデンティティと個人と共同性の歴史意識をめぐる問題がこの三語によってかなり明らかになると思われる。
想起とは、フロイトの事後性によって説明されている。事後性とは、「知覚された対象は、想起の行為において初めて、つまり、場合によっては数年後あるいは数十年後になって初めて解釈される」という意味である。「フロイトは、記憶の痕跡(注:これは全体を持たない破片、意味づけを欠いたイメージとして理解できるだろう)を活性化することを書き換え」と呼んだが、体験の50年を経ての意味づけはまさにこの書き換えであり、戦争の知覚は、50周年の記念行事によって、解釈され直されるのだ。
構成とは、下記にみる機能的説明で整理されているように、「ある部分を想い起こし、ある部分を忘れる」という「選択的」な振る舞いによって、想起が成立することを意味する。
そしてアイデンティティとはまさに、この想起の構成主義は、アイデンティティを保証する重要な作用だということだ。戦争体験者は、みずからの体験をまさに構成主義的に想起することによって、みずからの生を意味づけ、人生を肯定する姿勢が生まれてくる。
さらに、この想起の構成主義は、個人の想起のメカニスムだけではなく、この著書の中心的課題である文化的記憶についてもおなじ作用が働くことが指摘される。
今ここで、アスマンがモデルとして提出している記憶の二つの作用、機能的記憶と蓄積的記憶を整理しておこう。ただし、アスマンの力点はこの二つの記憶の間でたえず流通が行なわれているとするパースペクティブに置かれていることに注意すべきである。
機能的記憶とは、住まわれた記憶とも言われているもので、i)集団、機関、個人であれ、何らかの担い手と結びつき、ii)過去、現在、未来を橋渡しし、iii)選択的な作用をもち、iv)アイデンティティの輪郭を描き、行為に価値を与えるとされる。個人の記憶として考えれば、「思い出や経験を一つの構造につなぎ合わせ」、「形成的な自己像として生を規定し、行為に方向性を与える」。したがってある主体(個人であれ、共同体であれ)は、機能的な記憶によって、過去を取捨選択し、ひとつの時間性を描けるよう出来事を再構成し、それを人生の価値基準としてゆくのだ。
一方蓄積的記憶とは、i)特定の担い手とは切り離され、ii) 過去、現在、未来は切り離され、iii)価値付けの序列はなく、iv)真実を志向するがゆえに、価値や規範が保留されている。つまり、この記憶にとって過去とは、「無定形な集塊」であり、「使用されず融合されていない思い出の暈」とされる。ただし、重要ななのはこの記憶は機能的な記憶と対立するのではなく、一部は無意識のままとどまるように、いわば背景として沈潜しているということだ。いまだ意味づけられることなく、使用価値が与えられることなく、しかし消え去ってはいないアーカイブなのだ。これは<人類の記憶>と呼ばれているが、むしろ記録と呼んだほうがよいかもしれない。
では機能的な記憶の役割とは何か。ここで取り上げたいのが、「正当化」である。「正当化は、公的あるいは政治的な記憶の最優先の関心事」だとされる。体験者の想起による、過去の意味づけは必ずこの正当化をはらんでしまうのだ。ハーヴェイの上にみた指摘は、まさに意味づけによる喪からの回復の物語に、個人の生の肯定を見るゆえに、この記憶が果たしている、過去の体験者の自己への、そしてその体験者が参与した戦争行為の、正当化をまったく看過してしまっているのだ。
そしてもう一点、なぜ機能的な記憶の役割が歴史を形成しないのか。これについてはアスマンが引いているアルヴァックスの考察が役立つだろう。それは、集合的な記憶が、出来事のシンボル化に過ぎないからだ。シンボル化に過ぎない以上、まさにアルヴァックスが言うように、「集合的記憶は、それが結びついている集団と同様に常に複数形で存在する」のである。これは、歴史の記憶、すなわち「単数形で存在」することと対立する。歴史が純粋に単数形で存在することは、もちろん前提とはできない。ただ、ここで確認したいのは、集合的記憶とは、もしそれが歴史とされるとならば、その歴史は、集団の利害、行為の正当化、相対主義的な歴史観を必ず孕んでしまうということだ。もっと単純に言ってしまうならば、集合的記憶はシンボル化=この戦争は何だったのかという問いへの、事後的に構成された答えなのだ。
それに対して、蓄積的記憶は歴史に何らかの寄与をしうるのだろうか。アスマンは蓄積的記憶は、「文化の知識を更新するための基本的資源」であるとする。この二つの記憶が間の境界が「高度に透過的」でなくてはならないという。しかしそれがいかに可能で、どのようにその透過性が保証されるのか。そこには「検証」が必要となるだろう。この検証こそが歴史的事実と呼ばれるものではないだろうか。それがシンボルや選択といういわば言語化において避けることのできない作用を認識しながらも、それを絶えず修正していく歴史的な理性の謂いとなるのではないだろうか。
だが、これだけでも十分ではない。こうした考察を深めた後にもう一度証言者のディスクールに戻ってこないといけない。利害をもたない証言者の記憶の物語について、それが検証に耐えうるかどうかということも含めて、さらに考えなくてはならない。そこには倫理が最終的に要請されるのだろうか。