Paul Ricœur, La mémoire, l'histoire, l'oubli (2000)

 第一部記憶と想起について、第二章訓練される記憶力ー慣用と濫用、第二節自然的記憶力の濫用、3.倫理的・政治的レベルー強いられる記憶力をまとめる。
 ここでリクールは、この場所ではまだ時期尚早であると断りながらも、記憶の義務の批判を行なっている。その批判の中心は、思い出すことへの命令が、歴史の作業を短絡化してしまうことにある。
 まずリクールはアリストテレスの「記憶と想起について」で述べられている想起の自発性(évocation spontanée)と、記憶の義務とを対比する。果たすべき務めとして過去へと向かってゆくと同時にその動きは未来を志向する記憶(過去にあったことを未来においても忘れるな)と、記憶の作業、喪の作業の関係を問う。
 たとえば、精神治療においては、記憶の義務は務めのように定式化されている。被分析者の精神分析に寄与する意図は、命令の形をとっている。一方、喪の作業においては、失われたものと自分とをつなぐ絆をひとつずつ切り離していく作業を続け、和解への作業は果てしないものである。
 このように考えてくると記憶の義務と対比したとき、記憶の作業と喪の作業という「作業」(travail)に欠けているのは、「命令的要素」(élément impératif)だと言える。さらに明確に言えば、義務(devoir)には以下の二つの面がある。一つは、外部から欲望に強制が課されるいうこと、二つめは主観的に感じられる制約が、実は課されるべきものとして働くということである。そしてこの二つの面が結びつくのは、justiceの理念においてである。
 こうしてリクールは次にjusticeの理念と記憶の義務の関係について問う。その答えは次の三つである。1.justiceの美徳は他者へと向かう美徳であること、記憶の義務は他者の正しさを認める義務である。2.負債の概念。我々は現在のある部分を過去の人々に負っている。3.我々が負債を負う他者の中で、道徳的な優先権は犠牲者に与えられる。この犠牲者とは我々以外の犠牲者である。
 ではこうした三点において、記憶の義務が正義の義務として正当化されるのならば、どのように濫用という事態が、良き利用の上に現れてくるのか、とリクールは問い、それは、歴史のより広汎で批判的な目的に対立して、記憶の義務に脅迫的な色合いをつける、感情的な記憶、傷ついた記憶によってあると言明している。
 そして、やはり留保はつけつつも、慣用が濫用へと至ることについて二つの解釈を述べている。ひとつはアンリ・ルッソの『ヴィシー・シンドローム』の説明。ここでの記憶の義務は、direction de conscienceが、犠牲者のjusticeの要求を代弁する形でなされており、記憶の濫用はまさにこのような形で犠牲者の無言のことばが絡めとられてしまうことにある。二つ目はピエール・ノラの『記憶の場』の説明である。それは記念顕彰のモデルが歴史のモデルに勝利してしまったという事態である。
 最終的にはリクールは、justiceの命令としての記憶の義務は道徳の問題に属するとする。

 二宮宏之のテキストは、例えばアンシャン・レジーム期の社会を具体的なフィールドとし、検証を重ねた緻密な歴史研究を実践する一方で、自らの思索に裏打ちされた歴史学そのものへの批判的視野をも兼ね備えた、第一級の研究者である。

 ここに紹介する「歴史の作法」は、叢書『歴史を問う 4 歴史はいかに書かれるか』の序に代わるテキストであるが、今現在歴史学がかかえる問題を包括的に示すだけでなく、筆者の考えも綿密に盛り込まれた、文章である。多くの史料、文献を読み込み、かつ、日々自ら思考をたゆまぬ筆者ならではの卓見に富んだ文章である。

 1.で問題になるのは歴史家の出発点である「問い」である。その「問い」をまず「今」と「自分」から始めている。「自分」については、色川大吉への上野千鶴子のインタビューを取り上げ、主体的な歴史という考えを紹介するととともに、自己の記憶が本当に自分固有のものであるとは簡単に断言はできない、この問題の複雑さをまとめている。「今」については、発生史的、遡行的発想と、「いま」を異文化として再発見する発想の二つにわけて整理されている。前者は過去と現在を反復する運動であり、後者は、現在の視点から過去を理解することを戒める態度である。たとえば今の意味概念で無神論者というレッテルでラブレーを眺めるような姿勢を批判する態度である。

 2.で問題にされるのは、過去という痕跡とどう向かい合うかという問題である。普通に考えれば、過去の痕跡とは史料ということになるが、史料を再検討することが歴史の課題となってきた。そのため、考古資料、民族史料、絵図・古地図、絵画史料、文学作品までもが歴史の対象となってきたのである。そしてもう一つの問題は痕跡の欠如である。たとえば、文字の世界に現れてこない、女あるいは子供の世界、男の世界であっても被支配者層や被差別民の歴史などである。さらにはアーレントの「忘却の穴」の問題が挙げられる。

 3.では、歴史記述の問題があげられる。ここで挙げられるのは19世紀ヨーロッパで支配的となった実証主義的歴史認識論に対する、「言語論的転回」の潮流である。これは「物語り論的転回」として歴史学の分野では現れてくる。ここではダントー『歴史の分析哲学』、ホワイト『メタヒストリー』、リクール『時間と物語』が紹介される。

 この歴史叙述の問題を3つの部類にわけて考えることで、今まで混乱して語られてきた歴史の物語性の問題を明快に整理している。第一の部類は、「歴史を大局的に捉える歴史記述」である。特定の時代の全体像を描いたり、評伝などがこれにあたる。代表例として挙げられるのがギボンの『ローマ帝国衰亡史』、ミシュレの『フランス革命史』である。第二の部類は、研究論文である。ここでは史料に基づいて綿密な検証を行ない自説を提示することがその目的となる。ここに、歴史家の問い、史料の読み(分析)そしてなによりも論文の構成という点で、ナラティブ性を認めることができる。第三の部類は、年表や歴史地図である。そこに載せる出来事、表示、表現も決して価値中立的ではない。ここにもひとつのテクストとして固有のナラティブ性を認めることができる。

 4.では、歴史記述の固有のナラティブについて言及する。ここではたとえば、歴史と文学に関して二宮の所見が示される。ここで二宮が依拠するのは歴史家の仕事が具体的にどう進められるかという点である。ここで二宮は歴史家には2つのオペレーションー史料を発見し読解することと、そのように読み解いた諸々の事柄を相互に関連づけ構成していくことーがあり、この2つの側面が重なり合って進んで行くことが歴史家の作業であるとする。確かに歴史家の本文として、読む=読者でなければ出発できないということ、文学者にとっては、この条件は必要条件とは必ずしもならないところに歴史と文学の叙述の差があるように思える。この両者の違いは虚構性と事実性の違いではないのだ。その意味で歴史家の作業、「読む込むことと、読み込んだものの意味連関の構築」に求めていることが二宮の卓見であると言える。文学者はむしろ、言語そのもの、表現の彫琢を相手にしているのではないだろうか。

 最後に二宮は、こうした以上の主張は歴史を限りなく歴史家の方に引き寄せたものだと述べている。その上で、こうした論考が相対主義に陥らないのは、歴史家がみずからの責任と矜持をもってみずから構成した歴史を述べているからであり、また歴史家は絶対的神ではありえず、常に他者と論じあう開かれた場所に身をおくからである、と述べている。「相互の討議の場」これがなければ、歴史は真実と混同されてしまうだろう。