Roland Barthes『零度のエクリチュール』(1953, 1964)

『零度のエクリチュール』はフランスにおいて、langue、あるいはstyleの歴史ではなく、文字(文学・文章)言語の歴史を追うことを目的とした作品である。(p.6)
バルトは、ブルジョワジーのイデオロギー的単一性が続いている間は、作家とは普遍性の証人であった。この意識は1850年ごろ終焉をむかえる。それはフローベールにとって「オブジェ」という対象物になり、形式の制作が始まり、そしてマラルメによる言語の破壊(いわゆる指示対象の不在ということか?)となる。p.6.

 Langueとstyleは人間の歴史的事実の外側にあるということか。バルトはこれら二つは「時間と生物学的人間の自然な所産」と述べ、それを「文法の規範や文体の常数」と言い換えている。それにたいして文字言語は「歴史的な連帯行為」であるとする。文字言語には選択とその選択の制限が働く。作家はある文学言語を選択し、また過去の全体を含みこんで活動をしていく。p.15.

 歴史的な行為である以上、そこにはイデオロギーが発生する。それは政治的ディスクールにおいて顕著となる。知識人的エクリチュールも同様である。これらは制度であり、「わたし」はそれによって拘束され、「形式」は自律的なオブジェになる。p.25.

 古典主義的言語は、個人や意味の創造、偶発性を欠いた言語であり、伝統への厳格な依拠によって中性化され、語彙は慣用としての語彙であり、その語を集め、関係づける表現術なのである。したがって修辞や決まり文句は語と語の関係によって成り立っているもので、驚きを生むことはない。このような古典主義的言語は、ある集団に閉じられた社会的な言語であり、その集団の人々の間を流通するという意味において、厳しい法則をもっていながらも本質的にはひとつのパロールである。p.44.

 この文字言語が現れるのは、まず言語が国民的に構成され、それが否定性を帯びるようになる、すなわち、起源や正当性を問題にすることなく、禁じられているものと許可されているものをと隔てる地平線となるときである。そしてこのとき言語は、時間的推移というものを離れ、普遍的なものとなる。そしてこのときとはフランス社会においてブルジョワが勝利をおさめたときである。したがって、それは、民衆の自然発生的な主観性による文法的手続きを純化することによって、作られた階級的な言語である。p.52.

 ここで問題になるのは修辞、すなわち言述の秩序だけであり、道具的、装飾的な単一の文字言語だけが存在する。このイデオロギーは革命をくぐりぬけて1848年までつづくことになる。ロマン主義も道具性という古典主義言語の本質を保持しているのである。p.53.

 1850年以降、ヨーロッパ人口の増大、近代資本主義の台頭、社会における階級分裂と自由主義の幻想の崩壊という3つの歴史的事実が、ブルジョワ・イデオロギーの単一性、普遍性を終焉させ、文字言語は以後多様化し、作家たちは、みずからのおかれた条件そのものの不安定さという悲劇をかかえることになるのである。p.56.

 言語は、古典主義自体には共有財産であり、使用価値を持っていたわけだが、これ以降、作家たちは職人のように自らの形式を彫琢することなり、この価値は労働価値へと転化する。この職人芸的文字言語もブルジョワ的遺産の内部にあり、決して秩序を乱すことはなかった。これらの作家は文字言語を解放するのではなく、自らを正統化できる言語を創造する。そして解体をめざす作家は、基本的には書くことの不可能性、言語の崩壊、そして沈黙へと陥る。もうひとつの解決策は中性の文字言語の創造である。それは直説法的な言語、否定的な法であり、社会的、神話的性格は廃棄される。

 バルトがこの作品を書いていた時期の眼下に広がる世界は、市民世界が自然を形作り、その自然が語りはじめている世界である。作家は歴史に準拠するかぎり、つまり歴史性をもった文字言語しか使えないならば、作家はこの世界から除外されてしまう。こうした伝統としての記号をどう断ち切って文学を創造するか、はたして零度の文字言語が構想できるのか、ここに新しい文学のユートピアがかかっている。

 篠田浩一郎は『形象と文明』で、ブルジョワジーに関する一章をとりあげ次のようにまとめている。ルネッサンス期は個人単位で自由奔放なフランス語であり、17世紀前半はマレルブが、古語、外来語、新語、地方語、技術語を追放し、代名詞の省略を禁止する。つまりフランス語の「純化」が行なわれる。そしてアカデミの設立によって文法と語彙を国家がコントロールするとともに、近隣の諸言語に対してフランス語の支配権を要求する時代となった。これらはヴォージュラによって完成する(ヴォージュラは古典的文章言語を権利の状態ではなくて事実として勧告する)。この17世紀の文法家たちはフランス語という言語体系の非時間的な根拠を創りだすことによって体系を普遍的なものにした。このシステムは、政治的、文化的な力によって固定され、この国語の書き方が制度化され、「唯一のもの」となったときに、姿を現す。