Augustinus, Aurelius

 キリスト教について考え始めるとき、常に頭をよぎるのは、ユダヤの民から発生し、現在の中近東のあたりの一地域における教えであり、さらに2000年前の歴史的事象でありながら、民族、地域、時を問わず信仰を持ち続ける人々が依然存在しているという不思議である。なぜ民族、地域、時を超えて、ひとつの普遍宗教であり続けるのか。あまりにも大きな問いに、答えるすべを見つけることは自分には到底手に余る。
 ユダヤ教は、その発生においては民俗宗教的な色彩が濃かったはずである。というよりもむしろ、ユダヤの社会の中に人々の行動指標として根付いていたものではなかっただろうか。その意味で、ユダヤ教という宗教は、きわめて選別的ではなかったか。そして、その社会の中に生まれたイエス・キリストの教えは、その社会的規範に背くような、大きな社会的運動であったのではないか。すなわち、漫然と社会生活を送るその態度そのものに、きわめて鋭く切り込む思想がイエスの教えだったのではないか。
 宗教について考えると、それが社会とどういう関わりをもつのか考えざるをえない。社会生活を普通に送りながら、宗教的に生きることは欺瞞でなくして果たして可能なのか。宗教の教えを実践していけばそれは社会的規範とぶつかってしまう、あるいは社会に生きることは漫然と生きることに見えてしまう、そのような思いにとらわれないだろうか。ならばむしろ社会における生き方自体を宗教の教えで染めてゆく方が、宗教的に生きるための最良の方策となるのではないか。あるいは、自分を社会的には消してしまい、いわゆる隠遁のように生きるべきか。おおよそ、社会のなかで正気をたもって生きてゆくことは難しい。宗教を考えなくとも、ふと自分の生活を意識し直すとき、そのような思いにかられることは決して不思議ではない。

 宗教の教義をもし文字通りにとらえ、さらに押し進めていくならば、通常の社会に生きる人間にとって、宗教的な実践は困難をもたらすものであり、ときに、その教義は、およそ尋常な人間の生業を超えたものを要求することもある。罪という考えひとつとっても、まったく罪なく人生を終えることなど、できはしない。日常を生きる身にとって、教えのままに生きることはきわめて困難な道である。
 そうした思いから次の山田晶の解説の一節を読んでみる。

しかしそれは(人間が生の悲惨さから逃れ、救済されるということ)、普通の人間にはできない。えらばれた聖者が、清浄無垢の生活により、即身に救済を成就する。信者は、聖者の説教を聞き、聖者の行なう秘儀にあずかり、これに生活の資を供養することにより、聖者を通して救われる。(p.25)

 マニ教が、キリストを自分の教理のうちにうまく取り入れた例証としての解説文であるが、このように「普通」の人間と「聖者」を区別することは、まさに普通の生活をしていても救済はされないという事実を如実に物語っている。
 山田晶の解説によると、『告白』は懺悔録であり、賛美録でもあるが、実はどちらも『告白』の意味としては不十分であるとする。なぜならば懺悔の告白をし、今自分が許されているという感謝の気持ちが表明されてはいるが、その罪の告白は自らの力ではなく、告白せしめる者、すなわち神によるのであり、それゆえの感謝の気持ちだからである。この一連のアウグスティヌスの道程を考えるならば、『告白』以外の題はありえないだろう。

 この救済という考え。そして社会において普通に生きるという人間の状態。こうした宗教と社会の距離がもっとも広がるのは死の考えではないだろうか。社会という現実世界の中で死ぬとは肉体的な死である。それに対して、救済とは、精神に関わる生死を問題にする。アウグスティヌスが引用する、死の性とは「原罪によって神の恵みを失った状態」であり、その状態にとどまる限り人間の生は死の性を帯びているとされる(p.59.の注より)。
 また「地上の人生」とは試練に他ならない(p.366.)。注に言われるように、ここにはアウグスティヌスの「悲痛の感情」がある。この現世を生きるかぎり、私たちは悲しみにうたれ続けるのだ。そしてアウグスティヌスにとって最も深い悲しみとは母の死ではないだろうか。
 石川美子『自伝の時間』が、『告白』におけるアウグスティヌスの喪の苦悩について語っている通り、母の臨終は、大きな悲しみと癒されることのない喪の体験である。しかし母は、故郷の夫のそばに葬ってくれなくともよい、ここに葬ってくれればよいという。この地上のどこでもよい。ただ「主の祭壇のもとで私を想い出して」くれるならば。現世に執着する必要なない。なぜならば、人は完全に死ぬのではないから。「テサロニケ人への手紙 第一」からの引用による注にあるとおり、「ほんとうの死とは、神にそむいて罪のうちにとどまること、つまり霊魂の死である。義人は、たとえその霊魂が肉体からはなれても、復活の希望のうちに眠っているのであるから、完全に死んでしまったわけではない。そえゆえ信者の死をかなしむべきではない」。これが宗教的な死の考えである。だが、これは私たちの普通の生とはかけはなれてはいないだろうか。
 アウグスティヌスは、はっきりと言う。「母はみじめに死んだのでもなく、完全に死んでしまったのでもありません」(p.318.)。ではなぜ心にひどい苦痛が生まれるのか。それは「私の生と母の生とからできていた一つの生は、いわばずたずたにひきさかれてしまった」からである。この一節には、信仰者でなくても、あるいは死に逝く者が母でなくとも、喪の状態にある人間の、ひとつの普遍的な心情が語られているように思う。私たちにとっての死とはなによりもまず死に逝く者の死であり、その死によって、他者との関係で成り立っていた私の中の何かの死である。この喪失の意識こそが、私たちの癒すことのできない悲しみの意識ではないのか。
 アウグスティヌスは、彼の喪の感情を告白する。「けれども私は終日、心の奥底においては、重い悲しみに沈んでいました」。悲しみを癒すために「入浴はしてみたけれども、する以前と少しも変わりませんでした」。心の奥底の、決して弱まることのない悲しみーこれが喪の素直な状態ではないか。アウグスティヌスは続ける。眠ってすこしは和らいでいた心の悲しみが、「あなたのアンブロシウスのあの真実にあふれる詩句を想い出し」、母を奪われたという思いによって、ふたたび強まり、「涙をもって心の床」としたと。しかし最後の段落は私をとまどわせる。アウグスティヌスは続ける。母のために泣いたことを罪であると認める者があるならば、その人こそ、神に向かってわたしの罪のために泣いてほしいと。信者の死を悲しむべきではないーその意味で他者の死に涙することは罪なのだろう。しかし、その罪を指摘する者に泣いてほしいというときのその涙は、はたして人間の罪深さに対する涙なのだろうか。それは、他者の死において涙を流すことしかできない、人間の性について泣いているということでにはなりえないのだろうか。私たちは他者の死を、愛する者の死を嘆くようにしか生きざるをえない。その生き方自体への涙ではないのか。もしそのように解釈することが許されるのならば、アウグスティヌスの言葉は宗教の地平から私たちの生の具体的在りかの地平へと降りてくるのではないか。