The Rolling Stones, Some Girls (1978)

some_girls.jpg ディスコ、パンクミュージックに対するストーンズからの返答と言われた『女たち』。しかし今から振り返ればディスコやパンクは一過性のブームや衝動に過ぎず、その中で生き残ったミュージシャンはごくわずか。それに対して今でも『女たち』は聞かれ続けている。

 そもそもこのアルバムにディスコやパンクの影響を見つけることにどんな意味があるのだろうか。確かにMiss Youはディスコを意識した当時の「音」である。しかしそれ以外の曲はストーンズの刻印がしっかりと押されている。2曲目When the Whip comes downの性急な感じは「パンク」とあい通じるところはあるかも知れない。しかしそれよりもタイトル歌詞のリフレイン部分の騒々しさはいかにもストーンズである。ライブで観衆を一気に煽る「定番」だ。

 3曲目はテンプテーションズのカバーということだが、ギターの「ジャラーン」という音だけですでにストーンズ自身の曲だと言ってしまえる。「定番」のバラードにもいい曲がおさめられている。9曲目のBeast Of Burden。

 このアルバム、もちろん名盤なのだが、それでも何かしっくりこないものがある。それは、ストーンズが「再生産」されてしまっているということだ。ディスコやパンクではなく、まさしく「ストーンズ」がどの曲にも認められるならば、それはすでに「ストーンズ定番の音」が決まってしまっているということだ。すでにレシピはわかっていて、これで調理すればどういう味かも決まってしまっているかのような...もはや驚きや失望もない、このアルバムを聞いていだくのは「安心感」なのだ。この時代であっても「ストーンズ健在」のような。健在していてもしょうがない。むしろ存在をたえず否定し、更新してゆくところにストーンズの見かけとは反対の音楽に対する禁欲なまでの探究心があったのではないだろうか。

 そう考えると「音」のざらつき感もないし、なんだか衛生殺菌されたような音作りになっている。むしろこのアルバムに時代の影響を求めるのならば、この生気を消し去るような音のパッケージなのではないだろうか。