sound_like_this.jpg タワーレコードで初めてレコードを買ったのは、受験のために東京に上京したときだった。試験が終わった翌日、念願の渋谷のタワーレコードに行った。買ったレコードは2枚、The Smithsの新譜、The meat is murderと、友人から借りて録音したカセットしか持っていなかった、Elvis CostelloのArmed Forcesだった。友人のレコードはカッティングが悪く、A面の最初に針を落とすとすでに曲が始まっているような代物だった。自分でLPを買って、はじめてコンプリートなイントロを聴き、強い感動にうたれたのを今でも覚えている。

 東横線が事故で止まったため、久しぶりにタワーレコードに行き、いろいろ試聴した。金曜日の夜、ゆっくりアルバムを見ている人は、実はそんなにいない。試聴の順番をおとなしくうろうろしながらまっているのは、おっさんばかり。店内には「大人買い」や、「おやじのための紙ジャケ、ボックスコーナー」という文句がならぶ。

 今日はまだ買わなかったAimee Mannの新譜、She & himという男女デュオのデビューアルバム、Steve Winwoodの新譜などを存分に聞きまくった。その中でタワーレコードがプッシュしていたのが、このEric Hutchinsonである。タワーの説明によると、メジャー契約を結んでいない中で、ヒットしているミュージシャンらしい。これがファーストであることに確かに驚く。タワーの推薦ということで購入した。

 かなり老成したミュージシャンである。まずソウルフルでありながら、どこかフォークっぽい情けなさのただよう、ヴォーカルが印象的だ。そのわりにはバックのアレンジはかなり人工的でしゃれている。曲の雰囲気からは様々なミュージシャンが浮かぶ。フリージャズ的な即興性が潜まり、曲としてのまとまりを強く感じるようになったInto the musicの頃のVan Morrison。6曲目Oh!のサビは、Todd RundgrenのSomething, anythingのピアノワークを感じさせる。控えめなグルーブ感はThe fifth avenue bandなんかも浮かんでくる。そしてもちろん、Stevie Wonder。8曲目のパテティックなちょっとださい感じもする音はElton Johnあたりだろうか。

 ただ、そのようなミュージシャンの名前を連ねると、この新人は、その模倣なのかということになるが、全くそんなことはない。とにかく凝ったアレンジには新鮮なオリジナリティを感じる。曲によって目玉がストリートミュージシャンぽい弾き語りの音だったり、ピアノだったり、ブラスバンドだったりと様々で飽きさせない。声もまた実に奇妙なのである。ただ最大な魅力は、「明るい遊び心」だろうか。アルバムトータル37分の一気にきいてしまえる軽快な、遊び心がこのアルバムにはつまっている。

 もっぱらインターネットで情報を仕入れることが圧倒的に多くなってしまった今だが、タワーレコードのバイヤーたちのセンス、ポスターなどで宣伝して、プロモで1500円で売ってくれるところなど、タワレコ文化、まだまだ健在です!

 シャルル・カンプルーは、1908年南仏生まれで、南仏オック語、オック語文学などを幅広く研究した大学教授である。『オクシタン文学史』などの著作もある。訳者は島岡茂、鳥居正文。
 Que sais-je ? 基本的な著作であるが、その基本的な知識を全て網羅するには、当然ながら、圧倒的に幅広い知識と、その知識を裏打ちする信念に近い文化への奥深い理解を必要とする。碩学という言葉にまさにふさわしい研究者である。序論はロマン語の定義。フランス語において、Romanzは、romanの起源となる、「ラテン語のテキストを翻訳、もしくは手直しした、フランス語やオック語による卑俗なテキスト」を当初は意味した。
 第1章は「ロマン語研究の歴史的発展」である。トゥルバドゥールの言語、ダンテの『俗語論』(俗語を文法的に考察することの意義)、コイネーとしてのオック語、語源研究としての出発、ジアン・ド・ノートルダムによる修辞学的関心から、19世紀のロマン言語学への歴史的変遷が扱われる。19世紀ロマン言語学とは、文献学、言語学的研究である。レヌアール、パリス、シュライヒャーなどの言語論、おして19世紀末の新文法学派への反動として、クルティウス、ブレアルの研究、明日凝りなどの方言学の研究が紹介される。20世紀のロマン言語学としては、フォスラーの観念論学派、グラモン、ギョームの心理学的関心、言語地理学、ロマン言語学における構造主義が紹介される。
 第2章は「ロマン語の起源」である。まず最初に、古典ラテン語から俗ラテン語への移行ではなく、文字ラテン語と話されるラテン語があったことが指摘される。後者は当然ながら<非>均質なものである。次に言語層の問題が扱われる。5世紀においては、「もはや俗ラテン語を持ち出すことができない」(p.60.)と指摘する。また「ロマニアの言語的分化は、おそらく最後にはこのような司教の権限に従う人間集団の境界へと到達した」(p.61.)との指摘もある。そしてロマン語の存在が意識されたのが、8世紀末から9世紀始めに位置づけられる。
 第3章は「ロマン諸語」である。ここではロマン諸語の分類が扱われている。イタリア文学言語についてはベンボ(Bembo)の『俗用語文論』の言及もある(p.83.)。それに続いて類型論として、音、形態・統辞、語彙についての紹介がある。
 第4章は「拡張」である。現在のロマニアについての紹介がなされている。