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some_girls.jpg ディスコ、パンクミュージックに対するストーンズからの返答と言われた『女たち』。しかし今から振り返ればディスコやパンクは一過性のブームや衝動に過ぎず、その中で生き残ったミュージシャンはごくわずか。それに対して今でも『女たち』は聞かれ続けている。

 そもそもこのアルバムにディスコやパンクの影響を見つけることにどんな意味があるのだろうか。確かにMiss Youはディスコを意識した当時の「音」である。しかしそれ以外の曲はストーンズの刻印がしっかりと押されている。2曲目When the Whip comes downの性急な感じは「パンク」とあい通じるところはあるかも知れない。しかしそれよりもタイトル歌詞のリフレイン部分の騒々しさはいかにもストーンズである。ライブで観衆を一気に煽る「定番」だ。

 3曲目はテンプテーションズのカバーということだが、ギターの「ジャラーン」という音だけですでにストーンズ自身の曲だと言ってしまえる。「定番」のバラードにもいい曲がおさめられている。9曲目のBeast Of Burden。

 このアルバム、もちろん名盤なのだが、それでも何かしっくりこないものがある。それは、ストーンズが「再生産」されてしまっているということだ。ディスコやパンクではなく、まさしく「ストーンズ」がどの曲にも認められるならば、それはすでに「ストーンズ定番の音」が決まってしまっているということだ。すでにレシピはわかっていて、これで調理すればどういう味かも決まってしまっているかのような...もはや驚きや失望もない、このアルバムを聞いていだくのは「安心感」なのだ。この時代であっても「ストーンズ健在」のような。健在していてもしょうがない。むしろ存在をたえず否定し、更新してゆくところにストーンズの見かけとは反対の音楽に対する禁欲なまでの探究心があったのではないだろうか。

 そう考えると「音」のざらつき感もないし、なんだか衛生殺菌されたような音作りになっている。むしろこのアルバムに時代の影響を求めるのならば、この生気を消し去るような音のパッケージなのではないだろうか。

parkerilla.jpg Graham Parkerはアルバムを買いあさった時期があった。コステロとは違って後追いで、おそらく90年に入ってから聴き出したのかもしれない。またこれも90年ごろだったか、もう記憶さだかではないが、渋谷のクアトロのライブを見に行った覚えがある。サングラスをかけたその顔はほとんど横山やすしだが、そのしゃがれ声からしぼりだされるヴォーカルは本当に魅力的だった。そのときは弾き語りのソロかギターリストが一人いたかも知れない。

 ライブが理由ではないが、スタジオ録音もよいけれど、The Rumourとのライブ盤は本当に熱くなれる一枚だ。78年の発売。コステロやイアン・デューリーもそうだが、当時はパンクもパブ・ロックもニュー・ウェーブもはっきりしたジャンルの意識はなく聴いていた。Parkerも時代としてはパンクの土壌だったのかもしれないが、このライブを聴くと、70年初頭以来のイギリスのパブ・ロックの流れを汲んでいることは明らかだ。だがそれほど朴訥としてはいないのは、パンクのエネルギーがあるかも知れないし、Parkerというロック・ミュージシャンのもつ鋭利な資質のせいだろう。とにかく切れ込み方が鮮やかなのだ。それは「今日を生きられない」のような性急さを感じさせもするが、だがたくみな演奏に下支えされた曲は、暴発では決してなく、イギリスのロックを代表するといってもよいクオリティの高さを持っている。

 今、本当に20年ぶりくらいに聞き返したのだが、Fools GoldやHey Lord, Don't Ask me Questionsなどの曲のよさに心を締めつけられる。Gypsy Bloodの泣きのはいったサビもよい。切迫感のある場面もあるが、ブラスがはいって、まさにビール飲みながらくつろげるご機嫌な曲も入っている。たとえばHeat Treatmentなどその代表だろう。そしてWatch The Moon Come Downは、スタジオテイクより若干ゆったり目だけれど、しみじみとした盛り上がりで、いよいよライブも佳境に入る。New York ShuffleからSoul Shoesにかけて一気にたたみかけてくるエネルギーはやはりParkerならではのものだ。これほど緊迫した音楽は、やはりパンク〜ニュー・ウェーブまではなかったのではないだろうか。ロックは単なる約束事のアートではないこと、単に演奏のうまさを披露するものでもない。とはいえ、ロックが単なる感情の爆発であれば、それは自己満足の遊戯としてやっていればすむことになる。Parkerのすごさは、ロックの命が技術の水準ではなくて、表現の切迫さによって保たれうるものであることをみせてくれたことにある。しかしその音楽が時代に巻き込まれて消えてしまわなかったのは、Rumourという名うてのミュージシャンの確かな演奏力に支えられたからだろう。どんな革新も伝統に支えられて、その力を発揮する。イギリスの懐の深さを感じさせるミュージシャンである。