石内都『写真関係』(2016)

 1947年生まれの写真家、石内都のエッセイ集である。石内都は、40年にわたって、街(横須賀)、傷跡(身体に刻まれた傷の痕跡)、遺品(ひろしま、母、フリーダ・カーロ)、花(薔薇)などを撮ってきた。それらのいずれにも被写体という呼び方はなじまない。なぜなら、それらは「写されるもの」ではなく、まず自立してそこに存在しているものであり、写真家は撮影という行為を通してそれらの存在と関係をつくっていくからだ。

 そして写真に写っているものは、眠っていた自らの存在の本質を白日の元に明らかにする。そのように事物が自らを語り出すのは、まさに関係が生まれることによって、写真家、事物それぞれの生命が躍動するからである。

 石内都はこの関係が生まれる瞬間を大切にしている。たとえば広島平和記念資料館に寄贈される遺品を前にして、石内は次のように事物を感受する。
 

(...)衣服や日用品の数々が、気が遠くなるほどに長い時間をかけて私の目の前に現れる。「こんにちは」とあいさつをして、自然光の中でいずまいを整え、静謐な空気をひと息吸うと、かすかに語り始める一瞬を私は感知する。
 あの日の時間を刻んだ品物は硬くくすんでいるけれど、つかの間の自由を私と共に過ごすうちに、やわらかで色彩豊かな本来の姿にもどっていく。(p.51.)

こうして写真家と品物との交感が始まる。そして品物は持ち主の存在について語り始める。写真の持つ機能の一つは、そこに写っているものが、自らの存在を通して、不在のものを存在せしめることではないだろうか。特に石内都の写真を見ていると強くそんな気持ちにさせられる。
  
小さくたたまれていたブラウスの折りじわをていねいに伸ばし、ガラス窓から差し込む太陽の光の中におく。一瞬、水玉模様や花柄が反射して、着ていた彼女が浮かびあがる。いずまいを整えてシャッターを切る。(p.50.)

 その写真を見る私たちもそこには写っていない持ち主である女性を想像する。自然光で撮られた品物は、その品物が使われていた日常を強く喚起する。その遺品は資料として保存されているにも関わらず、写真に撮られることによって、生活の一部として提示され、その品物を使っていた生活者を喚起するのだ。

 それによって「ひろしま」の人々は、被爆者というレッテルから少しずつ自由になってゆく。被爆者である限り、それは私たちとの間に体験/非体験を大きな断絶を作る。しかし被爆者も、その生全体においてまずは私たちと同じ生活者だったのである。

 この時に、原爆の圧倒的な力によって原型をほとんどとどめない形に歪められた弁当箱も、激しく汚れてしまったドレスも、美しさを回復する。なぜならば、私たちは、「悲惨さ」というあらかじめ決められた意味機能から、それらの品物が解放される瞬間に立ち会うからだ。

 だがそれはひろしまの歴史的現実を忘れ、芸術の優美さに酔いしれているような態度ではまったくない。そうではなく、私たちはひろしまについて知っている。しかし、知っているとみなすことが、それ以上に理解したり、それ以上に主体的にひろしまに関わってゆく機会を実は奪っているのであり、写真は美しさを見せながらも、私たちにいかに私たちが「知っていないか」、深く反省させる契機になっているということである。

 それを石内都は歴史と私の関係において次のように述べる。

 広島での一九四五年八月六日午前八時十五分以後の惨状は、確かに写真を見れば記録されているが、見たような気になってもすぐに忘れてしまう。それは広島に対する現実感がまったくないからだ。想像力をかき立てるイメージがそれらの写真からは立ち上がってこなかった。自分の身に降るかかったことではないので痛みが感じられない。(pp.55-56.)

 ここで大切なのは「見たような気になって」いるという私たちの態度だ。私たちは知らないのではない。むしろ知っている。しかしそれは単に「〜のような気になっている」次元なのだ。私たちは分かった気になって、結局は素通りしているだけだ。だから実は現実を本当には見ていない。

 もちろん過去の現実を、今現在の私たちが見ることなどできはしない。では何が必要なのか。想像力である。想像力によって、災厄を少しでも私たちに降りかかることとして意識し、痛みを少しでも分有するのである。

 そのために石内都は、品物のディテールにこだわる。たとえば、衣服にできた鉤先を縫い合わせた布と糸のステッチ。そのディテールから、この衣服が大切に着られていたこと、大切に着ていた人がいたこと、それが私たちと同じ生活者であったこと、そうした想像へと私たちを誘って行くのである。だから石内都は、「死者の遺物」とは決して言わず、「いまだに行方不明の少女」(p.57.)が喜んできていた衣服だと言うのだ。

 これが可能になるのは、まずは何よりも石内都という写真家が、品物を前にして対話をていねいに行なっているからである。「誰でも簡単に写真を写せる」が「誰でもちゃんと写るわけではない」(p.15.)。石内都の写真にはまさに「空気や匂いや記憶がジワリと写し込まれている」(p.19.)。

 このように写された品物はもはや、その所有者のものだけではない。「私物が公的なものに変化する」(p.49.)瞬間に私たちは居合わせる。母親の遺品も同様に「いつの間にか私の母のものから誰のものでもない、誰かのものへと変化し自立していくのを実感する」のだ。優れた芸術作品はみなパーソナルな事象から出発して、私たちが今現在いる社会性や歴史性を、そしてその社会性や歴史性において、過去とどのように関係を構築すべきかを意識させる力を持つ。

 写真はもちろんこの世の中に存在しているものを写し出す。その意味では現実を写している。しかし私たちは本当に現実が見えているだろうか。私たちは現実が見えている気になっているだけではないか。写真はまさに見ている気になっている現実は現実ではなく、認識の新たな相貌のもとに現実を発見することを促す装置である。

 「写真は実生活の中でフッと一瞬立ち止まり、足を止めて外側を見つめ考える行為」(p.6.)。しかし私たちは普段の擬制の生活のなかで、どれだけ足を止めて、ひとつのものをじっくりと見つめているだろうか。ものを見ることで、そのものの本質を見えなくしている思い込みをどれだけ払いのけ、意識し考えることで、この世界の更新をはかっているだろうか。このような激しい反省をせまってくるのが石内都の作品である。

Feelies(The), Here before (2011)

homepage_large.811e6dcd.jpg 85年大学に入ってから聞いていたアメリカの同時代の若者ロックといえば、R.E.Mやスミザリーンズ、そしてこのフィーリーズだった。彼らのデビューが80年だから、5年遅れでその存在を知ったことになる。

 パンクという現象が短期間に終わったとはいえ、その余韻はまだまだくすぶっていた。その余韻が鬱屈してできた音楽が好きだった。もはや声高に叫ぶこともない、派手なファッションで周囲を煙たがらせるのでもない。でも音には鋭さがあって、それでいて内省的な憂いもあった。たとえばdB'sのような音。

 パンクの前にはアンダーグラウンドという現象があった。こちらは退廃と攻撃性が入り交じった夜の火花のような音楽。それを文字通りヴェルヴェット・アンダーグラウンドが体現してたとするならば、その喧噪とスキャンダルから離れて生まれた音楽が、メンバーの一人でもあったジョン・ケールだ。ルー・リードがトランスフォーマーやベルリンによって、退廃を極めていく音楽をつくっていたときに、ジョン・ケールは午後のまどろみのような音楽を作っていた。

 アンダーグラウンドとパンクが過ぎ去った日常で、それでもアヴァンギャルドな精神と音楽でしか表すことのできない衝動をどう継続してゆくか。そんな場所から生まれたのがR,E.Mやフィーリーズだったのではないだろうか。そして日常とはどうしても折り合いをつけることのできない切迫はニルヴァーナのようなグランジ・ロックを生んでいったのではないだろうか。前者が息が長く、後者が短命だった理由も、生きづらさとの折り合いのつけ方にあったように思う。

 フィーリーズのファーストを今聞いてみると、リズムは単調でまだパンクの余韻が残っている。だが、ギターの音は細く、神経質な印象をかきたてる。事実、1曲目はナーヴァスな若者の話。また2曲目や3曲目のギターのメロディはオルタナ感あふれる奇妙な旋律を弾いている。

 そんなフィーリーズも91年に4枚目のアルバムを出して、その後は音楽シーンには出てこなくなってしまったようである。自分自身も88年のOnly Lifeを聞いて以降はほぼその存在を忘れてしまっていた。

 先日、ユニオンの特価品コーナーをゴソゴソやっていたらこのアルバムに出会った。まったく見たこともないジャケットで、編集盤かとも思ったが、200円という値段もあり購入。そして調べてみると2011年に出された20年ぶりの復帰作とわかった。しかもちゃんとセカンド以降のフル・メンバーである。内ジャケには中年になった5人が仲良くベンチに座っている写真があって微笑ましい。

 全13曲、45分。3分から4分前後のシンプルな曲が並んでいる。シンプルだが、メンバーの演奏のハーモニーの見事さに聞き惚れる。リードのカッティングギター、そのリードに並走するサイドギターは曲に奥行きを与える。昔は「手が痙攣しちゃったの?」って感じのつたない感じのカッティングもあったが(それが魅力だったといえば魅力なのだが)、今回は熟練の技という感じだ。
 
 このバンドは「リフが命」なのだが、これがどの曲もキマっている。1曲目はこのアルバムを象徴するような素朴で明るいリフ。曲の途中で演奏が一瞬止まり、カウントをとる小さな声が聴こえ、アコースティックギター、ベース、パーカッションそしてエレキギターと重なってくる。例えばこんなところにバンドのコンビネーションの良さがあり、惚れ惚れする。

 2曲目はドラムから入って、すぐにカッティングギター、きらびやかでは決してないが、浮遊感のあるメロディだ。こうした目に見えない空気を描くのがこのバンドのオリジナルなところだ。そして素朴なバックコーラス。後半1分は、ギターとコーラスがゆっくりとキーを上げていき、それにずっとパーカッションがサポートしている。こんな構成にバンドの愛らしさを感じられる一曲。

 3曲目はトム・ペティやマーク・ノップラーなどのオールド・ロックの叙情をたたえた曲。この曲の聞き所は間奏部分の少しハウリング気味のギターの音。

4曲目はノイズ多めのギターが心地よい。Yo La Tengoを思い起こすようなギターの音だ。後半に入ってさらにノイズや信号音のような音が入り混じり、ひしゃげるようなドラムの音量を上げながら一気に突き進んでゆく。アルバム全体に歌詞がシンプルなのだが、この曲でもWhen You Knowとシンプルなフレーズをひたすら繰り返している。

 5曲目は4曲目とは対照的な白昼夢という形容がふさわしいポップな雰囲気の曲。

 6曲目は左右から聞こえる2本のギターのシンコペが見事な1曲。Way downというタイトル通り、なかなかアーシーなサイケデリックソングだ。展開がAとBだけで、最後にリードギターが前面に出てくるといういたって単純な曲なのだが、バンドの一体感だけできかせてしまうところが熟練のワザ。

 8曲目は、このアルバムの中では、わりと展開のある曲。懐かしさを醸し出すリフから始まり、You can change your mindとタイトルを歌うところでコード進行が変わる。ここでの高音を担当するギターリフの変化にしっかりと作り込まれた曲の完成度の高さを感じる。曲の途中、ワンテンポおいて、ギター、ドラム、そしてリードギターがメロディを奏でる。基本的にはいつも同じ構造なのだが、それでも飽きないのは曲の構成がやはり緻密だからだ。最後はタイトなドラムのリズムにみなあわせながら, Running along, Coming onと歌ってゆくところが本当にかっこいい。

 12曲目On And Onはまさにヴェルヴェットを彷彿とさせるリフで、そこにCommon, Hey Nowのような短い言葉がつぶやかれる。同じリフで押しながら、パーカッションがアクセントをつけ、このアルバムのなかでは攻撃性が高いサイケデリックな世界を見せてくれる。単純でありながら密度の濃い1曲だ。

 そして最後のSo Farは、再び優しく素朴で少し切ない曲。

音楽のスタイルは35年前と何も変わらない。ギターのリフ中心で曲が作られていること、単調なリズムワークだが、それがギターサウンドを支えていること。しかしそれでも以前は前のめりがちだった雰囲気が、今では端正なテンポを保っている。衝動がないわけではない。ただ、かつてはその衝動がそのままストレートな音に結びついていた。だが今は、その衝動と向かい合う余裕がある。それを大人ぽいとは言わない。彼らのギターのきらびやかさは永遠の若々しさをたたえている。かつての擦り傷をつくるような刺々しさしさは影を潜め、曲全体にわたしたちを包み込むふくよかさがある。アンダーグラウンドやパンクといった時代の寵児として一世を風靡しながらも消えていった音楽ではなく、まさに日常そのもののを歌にしようとする粘り強い表現意欲にこのバンドが貫かれていることの証明だ。

Philippe Dagen, Le Silence des peintres(2012)

第1章 États de guerre 戦争状態
 第一次世界大戦の勃発によって画家たちのコミュニティはどう変わっただろうか。大戦が始まる前までは、画家たちの世界はひとつのコスモポリタンな世界であった。国境を越えて、画家たちが交流し、同じ芸術運動が国を問わず浸透していった。例えば、キュビスムは、ミュンヘンでは青騎士、ミラノでは未来派、パリではオルフィスム、そしてロンドンでは、ヴォーティシズムと名前を変えたが、いずれも「美的革命の一般的な動き」(p.26.)の中で呼応しあっているのであり、作品はヨーロッパは巡回した。芸術家たちは、書簡で交流をし、土地を移動し、展覧会を各所で企画した。

 戦争の最初の影響は、このコスモポリタリズムに終止符を打ったことである(p.29.)。そして芸術は、一気に国粋主義の色に染まる。この戦争はフランス側では「文明と野蛮の闘い」というイメージが作られるのだが、そこからドイツにおける芸術の存在自体が否定され、教会への爆撃が、その野蛮さの象徴して喧伝されることになる。

 このようなドイツ批判は、アポリネールによってもなされる。戦前にはドイツの現代芸術に賛美を惜しまなかったアポリネールは、戦争勃発後、手のひらを返したように、ドイツ芸術を「アカデミスムという、偽古典主義」(p.32.)と形容するとともに、キュビスムで名前を挙げられるドイツ人画家はおらず、これはすぐれてフランスの芸術運動であって、フランス芸術には文明的ミッションがある(p.33.)と主張する。

 このように第一次世界大戦は、芸術世界で、すぐに、画家たちの交流を分断し、芸術をナショナルなものと性格づける事態を到来させたのである。

 戦争時において、芸術家が「沈黙」したのは、他にも物理的理由がある。戦争勃発後、戦火を避けて疎開した者、レジェのように出兵した者、キルヒナーのように出兵後、身体的にも精神的にも強い傷を負った者たち...。こうして戦争は、画家の生自体も分断していったのである。

第2章 La guerre photogénique 写真写りのよい戦争
 第一次世界大戦が明らかにしたのは表現メディアの移り変わりである。すなわち、記録媒体としての絵画(挿絵、イラスト)は、この時期を通して、写真そして映画に取って代わられる。戦争は、週間グラビア誌を発展させ、これらの紙上では、写真が大々的に掲載されるとともに、大衆がそうした写真を求めるようになった。L'Illustration, そして開戦後創刊されたSur le vif, J'ai vuといった雑誌である。

 そして写真が雑誌を占めるようになると、そこに写し出されるのは、数多くの死体である。しかも、戦争によって傷つけられた無惨な遺体がいくつも掲載され、それと呼応して残虐な写真こそ求められるようになる。さらにはそうした「特別な写真」には高い値段がつけられ、商業的なプロセスにすぐさま組み込まれていく。「イメージの消費者」(p.59.)が生まれたのである。

 もちろん写真でも、アングルやポーズといった作為と無縁になることはない。だがそれは、手によって描かれるイラストに比べれば、限りなく軽微であり、イラストには「不正確さ」がつきまとうが、写真は「必ずそこにあった」という現場性を本質的に持っている。イラストには、兵士という証人による「本当の戦争はこんなものではない」という否定から逃れることができないのだ。

 イラストによる美化、戦意の高揚は、写真による死者が埋まる壕の写真だけで、一気に否定されてしまう。さらに写真は、たとえ不完全であっても、かえってその不完全さが迫真をもって事実を捉えていること、手が加えられていないことの証左となる。

 この大戦時に普及したもうひとつのメディアが映画である。映画によって、観る者は、たとえわずかであってもあたかも兵士たちの生活に自らも参加しているような錯覚を受ける。それも映画館という大衆が集まる場所で、共同でわかちもたれる錯覚である。しかも死者の姿がひとつのスペクタクルとして享受されてゆくのである。

第3章 La guerre invisible 見えない戦争
 前章がイラストを扱ったのに対して、この章では絵画が扱われる。フランスの絵画史を振り返れば、戦争画は、第一帝政以降、ポピュラーなテーマとなり、また20世紀初頭の画家たちは、自然主義、現実主義の教育を受けてきた。しかしながら、第一次世界大戦では、戦場をリアルに描く絵は登場しなかった(p.83.)。

 ジャック・エミール・ブランシュは「この戦争は色彩をつけて描くことはできない」と言い、絵画を制作することはなかった。アメリカの派遣画家Sargentが描いたのは、疲れて横たわる兵士など、「戦いの後」であり、戦闘そのものを描くことはなかった。

 では、自ら出兵し、レアリズムに属する画家はどうか?Jean-Louis Forainは4年間従軍した画家である。彼の描いたものは、雑誌のためのデッサンと個人的なスケッチブックの描かれたものにわけられる。前者は、敵としてのドイツ、英雄的な自国兵といった寓意の表現であり、そこにレアリズムを見出すことは難しい。後者は、このデッサンのための下書きだけである。しかもそこに描かれた馬や人物が戦場の馬や人だとは必ずしも特徴づけられないのである。結局Forainが描いたのは、廃墟のような戦いの部分的な像、あるいは上述したように寓意的なものしかないのである。

 逆に従軍画家が描いた絵はどうか。Vuillardは例えばドイツ兵の尋問の風景を描くのだが、今度は現実に近づけば、近づくほど、写真との差異がなくなってしまう。あるいは、Maurice Denisの場合なら、実際の風景とはいえ、戦闘の場面ではなく、人々が落ち着いてたたずんでいる「風景画」を描くに終わっている。Vallottonの場合は、人は画面には現れず、廃墟のみを描いている。やはり動きのない世界である。Vallottonは次のように言う。「描かれるのは、戦争ではなく、装飾、断片、観賞用の絵画だ」。

 批評家に視点を移せば、たとえばLe Rousseurは、戦争絵画の不在の理由を、画家たちの前線での本当の体験の不在と、戦争の絶対的な新しさに求めている。第一次世界大戦の新しさとは、戦争の全貌を捉えることの不可能さである。

 La Sizeranneも同じ立場だ。彼も「この戦争は、これまでのものとまったく似ていない。だからこそ、戦争のイマージュを更新しなくてはならないのだ」と言う。そして「戦場、行為、人物」の三点からこの主張を展開する。まず戦場とは、すべてのものが根こそぎ破壊される場所であり、そこには何もない。かつての意味での「戦場」の姿ではないのだ。また戦争行為もすべて隠れた場所で行なわれる。塹壕に隠れ、砲弾は目に見えない遠い場所から放たれる。兵器はカモフラージュされる。また兵士の顔も対毒ガス用マスクの下に隠れてしまっている。

 同じく、Camille Mauclairも、この戦争が「不可視の戦争」であると言う。さらにMauclairは、写真以上に私たちの感情を揺さぶるものはなく、結局新しい戦争には、新しい方法が必要であると説く。

 このように結局、第一次世界大戦という戦争がもつ、不可視という性質によって、視覚芸術にとっては主題にはならなくなってしまったのである。