山下達郎

山下達郎, Ray Of Hope (2011)

ray_of_hope.jpg 山下達郎のSuger Babeのなかに「雨は手のひらにいっぱい」という曲がある。アレンジは大滝詠一らしいフィル・スペクターサウンド。ライナーで山下達郎は「このアルバムのベストテイクだ」と書いている。プロとしてやっていくかどうかの苦悩の時期に、この曲が先輩ミュージシャンにほめられて、それでずいぶんなぐさめられたとの記述もある。内省的でありながらも決して個人的な鬱屈を表に出すような曲ではない。雨を比喩として用いながら、憂いと軽みをそなえたポップミュージックとしての普遍性をもった曲だ。この曲を出発点として現在に至るまで、ほとんどそのスタイルは変わっていない。

 個人的な心象を歌いながらもそれがしっかり他者へと伝わってゆく、しかも時代を経てもそうした「伝わる力」は変わらない。その一曲前に収められている「今日はなんだか」も素敵な曲だ。

今日はなんだか
君の心が少し
開いた気がする

 という歌詞がいい。35年も前のアルバムなのに色あせることがない。そして今この歌を山下達郎が歌うとき、「心が開く」という歌詞が、恋人同士の関係でありながら、それに重なるようにして人と人の心のつながりが歌われているように強く感じる。

 歌詞が当初作られたときとは、異なる意味内容をもつようになる。ひとつ、ひとつの独立した曲が、アルバムにおさめられたとき、それぞれの曲が影響しあって、新たな意味をもつようになる。そんなトータルな作品性をたずさえ、おそらく2011年という時点をこえて普遍性を得て聞かれ続けるであろうアルバムが今回の新作Ray Of Hopeだと思う。

 「ぼくの中の少年」のパーソナルな内省とは違う形の内省がある。それは時代を個人の中に引き受けた上で、「何が歌えるのか」と真剣に問いかける、社会に開かれた内省である。本人も、自分の作った曲が、聞く人々に文字通り「生きる希望」として受け取られたことによって、作品のもつ「生命感」を実感したのではないだろうか。いや「ぼくの中の少年」のパーソナルな部分をふくみこみながら、「生きる希望」が人々へと伝わってゆくと言ったほうがいいだろうか。

「希望という名の光」はスローテンポで、派手な曲ではまったくない。それでも生への、生き続けることへと強い確信がある。

 そして山下達郎本人が好きな曲「僕らの夏の夢」。この曲にも人と人がつながる希望がある。

心と心を重ねて
光のしずくで満たして
手と手を難く結んだら
小さな奇跡が生まれる

 希望といっても、大々的なものではない。しずくのように落ちてはすぐに消えてしまうようなもの。奇跡のようにめったに訪れはしないものかもしれない。しかし心と心を重ねれば、たとえ小さくとも希望が生まれてくるのだろう。

 この曲も決して明るい色調ではないが、一歩一歩踏み出すような確信に満ちている。その印象はアルバム全体に言える。未来は混迷し、薄暗く、どちらに足を踏み出してよいかわからない。そうした時代の状況にもかかわらず、もし「ひとときでも耳をすませば」、「かすかな希望の音」が聞こえてくる。「手と手がつながる/心が伝わる」瞬間を私たちに与えてくれるアルバムがこのRay of Hopeだ。

山下達郎, SPACY (1977)

spacy.jpg 夏の午後にまどろんで、ふと目をさますとあたりはすでに薄暗くなっている。寝起きのぼんやりした頭のなかで、「もう朝になってしまった。翌朝まで眠りこんでしまった」と思っていたら、実はそれは夕暮れの薄暗さだった。薄墨色の空は、まわりの風景も同じ色で染めて時間の感覚を失わせる。「朝の様な夕暮れ」を聴くとそんな情景を思い出す。山下達郎自身自曲解説で「徹夜明けで夕方に起きて、今が朝なのか夕暮れなのか、一瞬時間感覚を喪失した時に作ったモチーフ」だと語っている。インターミッションに過ぎないような2分少々の小曲だけれども、このアルバムの憂うつな雰囲気を、ビーチボーイズの倦怠感をも取り混ぜながら、象徴的に表しているように思う。その雰囲気はつぎの「きぬずれ」へも引き継がれる。この曲も「夕闇」や「雨粒」といった、静謐感ただよう一曲だ。そして「Solid Slider」のセッションでアルバムが終わる。

 いきなりアルバムの後半の曲の話になってしまったが、この3曲はアルバム「Spacy」の内省的でありながらも、その世界が多くの人々に共感をもって受け入れられるような予兆をもった曲だと言える。「万人受け」とはまったく違うスタイルなのに、それでも、曲を耳にした人がふと「この人は誰だろう」とその世界に引き込まれるような雰囲気を持っている。

 もちろん1曲目の「Love Space」からリズム・セクションの音がまぶしく、グループではなくても、それぞれのミュージシャンが独自の音世界を作りながらも、それが結果的に1曲に仕上がる構成の素晴らしさに心をうたれる。山下達郎はこの時22歳。

 3曲目も「たそがれ ほんのわずかに」の歌詞があるように、華やかでありながらも、街路に電灯がつくような暮れなずむ空気をただよわせた曲だ。

 やはり山下達郎の解説に「音楽的好奇心」ということばがある。たとえ楽器のテクニックに詳しくなくても、またどんなミュージシャンが弾いているのか知らなくても、このアルバムには人を惹き付けてやまない魅力がある。それがこの「音楽的好奇心」ではないだろうか。クリエイトしてゆくことの颯爽とした若者の意志。東京城北地区生まれの若者が、粋を大切にしながら、ポピュラーミュージックを代表することになる他の若者たちと創りあげたこのアルバムは、山下達郎のアルバムのなかでもっとも好きなアルバムだ。