Booker T. & Priscilla

chronicles.jpg あやうくポップスに陥りそうなほど、円熟味をみせているサードアルバムである。デュエットが、互いに切り結ぶような緊張感を感じさせず、むしろ愛の姿としてよりそうような歌唱を聞かせている。しかしその甘さがとても心地よい。それは音楽の懐の深さによるのだろうか。

 Flyは聞きようによってはとても大仰だし、When two people are in loveは、ムード歌謡として片付けられなくもない。でもたとえばRings around the worldは、アメリカのルーツミュージックを思わせる、しみじみした曲だし、サビのプリシラの歌いっぷりがすがすがしい。二人の音楽を探す旅がここでも健在だと実感させてくれる名曲だ。おなじく5曲目のMendocinoはやっぱり甘いんだけれど、でもふたりのかけ合いが、至上の親密さを感じさせ、こちらをふくよかな空気でつつんでくれる。実にいい曲だ。特に後半のパートを受け継ぐBooker T.のヴォーカルがいい。Is you, only you/It's been a long waitのあくまで控えめな歌い方が実にいい。

 このアルバムには、それでも様々な音楽の咀嚼がある。Cherokee Riverは素直なルーツ・ミュージックであるし、Timeは、リタによる良質なアメリカン・ポップミュージックである。そして最後のWounded Kneeの重みのあるソウルミュージック。きわめて多彩な曲がおさめられたアルバムは、二人のプライベートなアルバムでありながら、時代そのものがもっていた音楽の追求を、しっかりとみせてくれる。

booker_t_priscilla.jpg 二人の親密な愛をアルバムにしてしまう。二人の永遠の愛の刻印としてこのアルバムが生まれた。1曲目からしてThe wedding songである。ジャケットを見れば一目瞭然、誰も間に入ることもできない。For Priscillaはきわめて甘いラブソングだ。もはや詩などというものではない。「死ぬまで一緒だよ。流れる川のようにずっと一緒に愛して、笑って、涙しよう」と、普通ならば、「もう二人の勝手」となるところだ。

 だが、このアルバムはよく言われることだが、ソウルやゴスペルとスワンプロックの調和をはかったきわめて野心的なアルバムでもある。ジョーンズのやや甘くせつない色恋にそまったヴォーカルに比べて、プリシラのヴォーカルは野太く、黒人の文化であったゴスペル、ソウルに激しくせまろうとする。ここにはひとつの音楽的な冒険があると思う。ルーツへと回帰しながらも、そこに魂と体を投げ込むことによって、決して過去をなぞるのではなく、今を確認しようとする、音楽的な創造性があるのだ。

 71年。ヴァン・モリソンも西海岸で音楽活動を続け、『テュペロ・ハニー』を出す。このアルバムもひとつの「ラブ・アルバム」で、当時の恋人を「きみは太陽だ」と歌い続ける。アイルランドの荒涼とした風景から、西海岸の明るさのなかで、きわめてプライベートなアルバムを制作していたのだが、でもこのアルバムも私日記ではない。モリソンはここでも新しい音、新しい表現を求めていたのだ。ずいぶん聴きやすいアルバムとはいえ、決して音楽的に妥協しているわけではない。

 モリソンとのもう一つの共通点は、宗教である。魂の奥底から歌を歌うとは、日常をはるかにこえて、自分の存在を弱小のものとし、弱小ゆえに、祈りを歌にし、神に聴かせる。それはひとつのナルシスティックな高揚感に過ぎない。だが歌そのものは人間のものだ。決して神から与えられたものではない。その歌をうたっている肉体をもった歌手がいる。私たちはその肉体から絞り出される声そのものに感動を覚える。そうでなければ、歌は宗教の道具となってしまうだろう。そこに歌い手と聞き手の深いつながりが生まれる根拠があるのだ。

 愛から祈りへ。深みをたたえながら、私的でありながら、美しい歌がしっかりと聞き手に届けられる。深い音楽への理解に下支えされた表現者の愛を感じる名盤だ。