野口裕二

 野口裕二「ナラティヴ・アプローチの展開」は、同著者編『ナラティヴ・アプローチ』の序章として書かれた。

1. 概念と前提
 (1) ナラティヴ・プロット・ストーリー
 ここではナラティヴの「概念の定義と用法」について述べられている。焦点になるのは「ナラティヴ」と「物語」の違いである。ナラティヴも物語も「複数の出来事が時間軸上に並べられている」「出来事の連鎖を次々に語っていく」点では同様である。では、何が違うのか。ここで参考にされるのが、「ナラティヴ」と「ストーリー」を整理したチャニオウスカの説明である。それによれば、「ストーリー」は「ナラティヴ」に「プロット」(筋立て)が加わったものとされる。「プロット」とは出来事と出来事の関係を示すものである。

 ナラティヴはただ出来事を並べただけで、「面白み」がない。それに対して、本論で例示されているように接続詞「しかし」によって出来事と出来事がむすびつけられれば、そこから新たに何らかの意味が伝えられる。その時ナラティヴはストーリーに近づく。

 ナラティヴとストーリーはしたがって2つの異なる性質をもつ形式なのではない。「語り手と聞き手の関係や、両者が置かれた場面、文脈によって」変化するものである。ナラティヴはストーリーの「上位概念」なのである。

[(覚書)ストーリーは、出来事と出来事の意味連関がはっきりしている言語形式を指すものとなる。この連関が幾重にも結びつきながら、物語が形成されるのだろう。本論ではナラティヴはそのもっとも単純な出来事と出来事の並置を指すことになる。では発話がそのような出来事と出来事の並置としてなされるのはどのような場合だろうか。そう問うてみると、たとえば発話者がある出来事の意味をはっきりと把握していない場合が考えられるだろう。またナラティヴの発話性という点に着目するならば、その発話自体が完結をしない、たとえばいいよどむ、言い直す、言葉につまるといった、言語行為が遂行できない場合は、その発話のナラティヴ性そのものが前面に出てくるのではないだろうか。このようなナラティヴ解釈も考えたい。]
 
 (2) ナラティヴ・エヴィデンス・セオリー
 ナラティヴの特徴を説明するために、次に比較検討の対象として引用されるのがブルーナーの「ナラティヴ・モード」と「論理科学モード」(パラダイム・モード)である。時間的に連鎖する出来事間の「必然的関係、因果関係を明確に述べようとする」のが論理科学モードが目指す点である。そして論理科学モードを日常会話の中に適用するため、「科学的に厳密に検証されたものではないが、それを語る本人にとってはきわめて妥当性の高い」ものにするために、「セオリー・モード」という概念が導入される。

 もうひとつ導入される形式が「エビデンス」である。「科学という営みは、(...)エビデンスを発見し、それをセオリーに高めること、あるいは逆に、あるセオリーから出発してそれを裏付けるエビデンスを示すことで成り立っている。」

 (3)ナラティヴが伝えるもの
 ナラティヴが伝えるものは、よって次のようにまとめられるだろう(エリオットの整理を参考)。
第一は「時間性」。ナラティブはプロットを得てストーリーに近づいていく。
第二は「意味性」。この意味は行為者の意図の表現であり、それゆえに聞き手によっても理解される意味は異なりうる。
第三は「社会性」。「ナラティブは語り手と聞き手の共同作業によって成立する社会的行為」とされる。

 [(覚書)私たちは日常生活の中で単独の一文だけを発することはある。ただそれは事実を伝えているだけで、その場で聞き手に了解されて終わる。しかし出来事と出来事の連関を作るとき、私たちは、事実だけではなく、私たちの意図や感想を伝えることになる。それは物語という形式をもってしか伝わりにくいものであろう。ここで優れた語り手とそうでない語り手が生まれる。とはいえ、そこには当然聞き手の積極的な助け、聞こうとする前向きな姿勢や理解しようとする努力が大きく作用するのではないか。その意味でナラティヴをより孤独な(呼びかけ的な)言語行為、物語を相互了解を志向する行為と捉え直すことも可能だろう。]

2. ナラティヴの多様性
 ここでは、ナラティヴの具体的な形式をまとめている。
 (1) 「大きな物語」と「小さな物語」
 リオタールによる「大きな物語」は、「様々な物語を背後から正当化する物語」、例えば、「解放の物語」「進歩の物語」などがあたる。「小さな物語」は、「正当化とは無関係に新しいアイデアを出すこと自体を目的にするような知のあり方がその代表例」である。

 (2) 「ドミナント・ストーリー」と「オルタナティヴ・ストーリー」
 「ドミナント・ストーリー」はもちろん、「ある状況を支配している物語」だが、それは「疑われない」ことにおいて、支配の正統性を持っている。そのため、疑いがはさまれれば、その正統性は弱められ、「代案」が登場する。それが「オルタナティヴ・ストーリー」である。

 (3) 「ファースト・オーダー」と「セコンド・オーダー」
 エリオットによる分類で、「ファースト・オーダー」は「個人が自分や自分の経験について」、「セコンド・オーダー」は、「研究者などが社会的世界を理解するために」「ある社会的カテゴリー属する人々」について語ったものである。そしてその社会的カテゴリーの物語を聞いて、それが自分の物語でもあると感じれば、それは「コレクティブ・ストーリー」となる。
 ここからいくつかの問題が提起されている。例えば専門家が当事者の声を代弁することは可能だろうか、どうしたら可能かといった問題である。

 [(覚書)代弁の問題は重要であると考える。確かに専門家は経験や事象を名指す正確な言語を有する人たちであろう。だが根本的に体験自体は共有されえない。どれだけ専門知を集積し、さまざま対象に当たることで普遍性を追求したとしても、体験の絶対的零度には決して達し得ない。とはいえ、そこに理解不能性があるわけではない。少なくとも二者の同化や、代弁という場所の占有はないとしても、その他者との間に関係性は築かれる。その関係の空間の中で、他者とわかちもたれる共有の空間自体は成立する。他者に対してことばを投げかけ、他者はそのことばによって、体験という自己の絶対内部とは位相を異にするあらたな空間で、自らの体験を再解釈する。そのような場である。]

 (4) 語り手・主題・聞き手によるナラティヴの分類
 語り手・主題・聞き手という要素で分類をすると次の4種類が可能であると述べられている。
A. 自分が自分について語る 「自己物語」。B. 自分が相手にむかって、相手について、あるいは他人について語る物語。C. 他人が自分について語る場面。D. 他人が他人について語るもの。

3. ナラティヴ・アプローチの多様性
 (1) 分析と実践
 ナラティヴ・アプローチは「これまで実践のための方法論」とみなされることが多かったが、「実践研究」「介入研究」「参与観察」のように、研究目的にも使いうる。

 (2) 構造分析と機能分析
 構造分析は「ナラティヴの内部構造」を分析するものであり、ここでは「ラボフ・ワレツキー・モデル」と「スタンザ分析」が挙げられている。ただし、ナラティヴ・アプローチは、「ナラティヴという形式がなんらかの現象に対してどのような機能を果たしているかという問いを基本にすえるナラティヴの機能分析」である。

 (3) 本質主義と構成主義
 本質主義の例として、グランデッド・セオリー・アプローチが挙げられている。これはナラティヴから何らかの本質を取り出すための方法論として理解できる。構成主義の例としては、アクティヴ・インタビューが挙げられている。確かにこれは相手の真実を取り出すというよりも、お互いの間の交渉によって構成されるものに考察の焦点があたる。

4. 対象の水準と検討すべき課題
 最後にナラティヴ・アプローチが可能とする問いが、三つの対象レベルに整理されている。
最初がミクロ・レベル。「個人をめぐるナラティヴがその対象となる。」自己物語が対象となる。
次にメゾ・レベル。「集団・組織のナラティヴ」である。個人と組織の関係、組織や家族といった領域である。
最後がマクロ・レベル。「社会全体を追うようなナラティヴ」である。