Watt, Ben

Ben Watt, Hendra (2014)

hendra.jpg 気負うところのみじんもない作品だ。アコースティックギターを手に取ると、自然にメロディが流れてくる。その旋律にあわせて、仲間たちが、他の音をあわせてくれる。意気投合した彼らと一緒に演奏しているうちに、曲が完成し、そしてひとつの作品にまとめられた。音と音の調和と距離に、ミュージシャンたちの絶妙なバランスと関係を感じる。アルバムテイクとボーナスで収められたデモの差は歴然としている。

 10曲のうち、ベン・ワット一人で演奏している、5曲目のMatthew Arnold's Fieldsを除いては、他のミュージシャンが参加している。彼らの音作りが曲の発想に、十分な具体的な形を与えている。少し歪んだエレクトリック・ギター、アコースティックな印象を支えるアップライト・ベース、そして軽くリズムを刻み、軽快さを与えてくれるコンガ。

 たとえば4曲目のGolden Ratio。最初のアコースティックギターの音色は一瞬『ノース・マリン・ドライブ』かと思わせるが、その後にエレクトリックなギターの歪み音とベース音の生な音、そしてコンガのリズムが、メロディとテンポを練り上げ、ずっと熟成し、深みのある曲に仕上げている。

 確かに全体の印象はメランコリックであるが、その雰囲気と折り重なるように、感じるのは落ち着きや穏やかさである。そこには、50を過ぎて、感情の起伏にまかせて表現しなくとも、自分の納得できる音楽を作ることができるという、現在の境地があるのではないか。

Can you name a great fighter over forty-nine ? (Young Man's Game)

 人生も半ばを過ぎて、さすがに若いとは言えなくなっている。とはいえ老いるにはまだ早すぎる。時を経て、何かを過剰に意識することなく、自分に自然に向き合う準備=距離を持って向き合う準備が始まったのではないか。そんな態度で音楽を奏でようとすると、少し憂いを帯びた、少し枯れた音になるだろう。

 でもこのアルバムにはさまざまな若さがある。

 たとえば「シングル・カット」という表現がすぐに浮かぶようなSpring。ベン・ワットのシンプルなピアノの音が美しい。ベン・ワットの落ち着いた声が優しい。

My love, it's real
My love, it's not over (Spring)

 と歌われる、始まりの歌。And you can be one who shinesの歌詞のベン・ワットの高い声でshinesをのばす歌い方、ロバート・ワイアットをも思い起こさせて本当に切なくなるほど素敵な歌だ。

 そしてラストのThe Heart Is A Mirrorは、心の逡巡を描いている歌だと思うが、それは傷つきやすさではなく、悩みを抱えながらも、今を受け止めようとする決意へ至る逡巡だ。

So, come on my heart, where do we start ? (The Heart Is A Mirror)

 こんな心への向き合い方に、ベン・ワットらしさを感じる。

「ノスタルジック」は、耳に届いてくる、全体の曲調の穏やかさや澄明さにもあるが、こうした心の躊躇いを描くことのできるベン・ワットという人の音楽表現そのものの精神性にあると言えるかもしれない。