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another_side.jpg このアルバムにはフォークのアルバムとして考えれば極端に長い曲が2曲収められている。1曲は「自由の鐘」。もう1曲は「Dのバラッド」。それぞれ7分、8分以上の曲である。それ以外の曲が2分〜4分ということを考え合わせれば、この2曲の例外ぶりがわかる。だが「自由の鐘」はこのアルバムのベストテイクだと思う。

「自由の鐘」は歌詞をじっくり聴いたならば、この長さが必然性を持っていることがわかる。中村とうよう氏がライナーで言っているようにこの曲は自由を求める歌だからといってプロテスト・ソングではない。もっと普遍的に人間はどのような生存の状況に置かれるときに、自由を希求するか、それを歌った曲である。

For the countless confused, accused, misused, straung-out ones an'worse
An'for every hung-up person in the whole wide universe

「自由の鐘」のほとんど最後の歌詞だが、-edで終わる単語がつながる部分の歌い方は凄まじい。殺気をはらんでディランは歌い込む。これはプロテストだろうか。これは流派を越えた、おおよそあらゆる辛酸をなめ、運命を呪わんばかりの境遇に置かれたあらゆる人間のための、祝福の祈りを込めた歌である。それは歌に運命への叛乱を仮託する人間の絞り出す歌である。

 この曲を聴くだけでもこのアルバムを聴く価値があるが、もう1曲選ぶとするならばMy Back Pagesだろうか。もうすぐロックが生まれる予感のするなかで、音楽の若さを高らかに宣言してもよいのに、この曲での若さはすでに老成した人間から語られる若さになってしまっている。

Ah, but I was so much older then,
I'm younger than that now.

 あの若いときのほうが老けていた。そしておそらく歳を経たであろう今の方があの頃よりも若いとディランは歌う。すでにロックという若者の音楽は、最初から歳をとってしまっているかのように。

 ところでこのアルバムの1曲目All I Really Want To Doの最後、そして9曲目のI Don't Believe Youではディランが笑いながら歌っている箇所がある。それもきわめてシニカルな、社会を、私たちを冷徹に見下すような笑いである。同時に「歌はばか正直に歌うものではない」という、歌いながらもその歌う自分を冷徹に見透かすディランの姿が浮かんでくる。

 そしていよいよ最終曲でディランは私たちを決定的に突き放す。

No, no, no, it ain't me, babe It ain't me you're lookin' for, babe

 こうしてディランは自らの虚像を否定し、表現者へ、時代の真の批判者へと歩みを進めて行くことになるのだ。