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Tété, Homebrew52 (2014)

homebrew_52.jpg わずか4曲のミニ・アルバムだが、どの曲もテテにとってはとても大切な曲なのだろう。テテの音楽の魅力のひとつは「フランスらしくない」こと。もっと言えば「どこでもない」場所から生まれてくるのがテテの音楽。街路でも、カフェでも、場所など関係なく歌っていたからこそ、テテの曲にはどこにも属さない自由さがある。そしてさまざまな音楽を屈託なく取り込んでいくどん欲さがある。

 このどん欲さは、たとえば彼のカバー曲のレパートリーの広さにも伺える。ビートルズやボブ・マーリーのカバーといった、彼の音楽の源をまっすぐに感じさせる選曲から、今回のジョーン・ジェットという意表をつくレパートリーまで実に幅広い。このどん欲さは、音楽を純粋に楽しむ彼の心の素直さと言い換えることができるだろう。

 テテがどこでもない場所にいるという意味は、彼が常に旅をしているということでもある。だからフランスに根を降ろした音楽でも、アフリカにルーツを持つ音楽でもない。今回は英語で歌っているが、たとえフランス語で歌ったとしても、言葉によってテテの音楽は左右されないだろう。

 今回のアルバムはあくまでもデモ録音のものだ。でも、それだからいっそうテテのギターの強いタッチが楽しめる。おそらくずっとテテは、こんなふうに、アンプがなくても、街中に、魅力的なギターを響かせてきたのだろう。

Ben Watt, Hendra (2014)

hendra.jpg 気負うところのみじんもない作品だ。アコースティックギターを手に取ると、自然にメロディが流れてくる。その旋律にあわせて、仲間たちが、他の音をあわせてくれる。意気投合した彼らと一緒に演奏しているうちに、曲が完成し、そしてひとつの作品にまとめられた。音と音の調和と距離に、ミュージシャンたちの絶妙なバランスと関係を感じる。アルバムテイクとボーナスで収められたデモの差は歴然としている。

 10曲のうち、ベン・ワット一人で演奏している、5曲目のMatthew Arnold's Fieldsを除いては、他のミュージシャンが参加している。彼らの音作りが曲の発想に、十分な具体的な形を与えている。少し歪んだエレクトリック・ギター、アコースティックな印象を支えるアップライト・ベース、そして軽くリズムを刻み、軽快さを与えてくれるコンガ。

 たとえば4曲目のGolden Ratio。最初のアコースティックギターの音色は一瞬『ノース・マリン・ドライブ』かと思わせるが、その後にエレクトリックなギターの歪み音とベース音の生な音、そしてコンガのリズムが、メロディとテンポを練り上げ、ずっと熟成し、深みのある曲に仕上げている。

 確かに全体の印象はメランコリックであるが、その雰囲気と折り重なるように、感じるのは落ち着きや穏やかさである。そこには、50を過ぎて、感情の起伏にまかせて表現しなくとも、自分の納得できる音楽を作ることができるという、現在の境地があるのではないか。

Can you name a great fighter over forty-nine ? (Young Man's Game)

 人生も半ばを過ぎて、さすがに若いとは言えなくなっている。とはいえ老いるにはまだ早すぎる。時を経て、何かを過剰に意識することなく、自分に自然に向き合う準備=距離を持って向き合う準備が始まったのではないか。そんな態度で音楽を奏でようとすると、少し憂いを帯びた、少し枯れた音になるだろう。

 でもこのアルバムにはさまざまな若さがある。

 たとえば「シングル・カット」という表現がすぐに浮かぶようなSpring。ベン・ワットのシンプルなピアノの音が美しい。ベン・ワットの落ち着いた声が優しい。

My love, it's real
My love, it's not over (Spring)

 と歌われる、始まりの歌。And you can be one who shinesの歌詞のベン・ワットの高い声でshinesをのばす歌い方、ロバート・ワイアットをも思い起こさせて本当に切なくなるほど素敵な歌だ。

 そしてラストのThe Heart Is A Mirrorは、心の逡巡を描いている歌だと思うが、それは傷つきやすさではなく、悩みを抱えながらも、今を受け止めようとする決意へ至る逡巡だ。

So, come on my heart, where do we start ? (The Heart Is A Mirror)

 こんな心への向き合い方に、ベン・ワットらしさを感じる。

「ノスタルジック」は、耳に届いてくる、全体の曲調の穏やかさや澄明さにもあるが、こうした心の躊躇いを描くことのできるベン・ワットという人の音楽表現そのものの精神性にあると言えるかもしれない。

Beck, Morning Phase (2014)

morning_phase.jpg 音がゆっくりと光の粉末のように舞っている。その光は確かに朝の光なのだが、その粒子にはまだ夜の余韻や、嵐の跡が残っている。あるいは深い海に落ち損ねた光がまだ波のまにまに漂いながらも、ときおりきらきらと姿を見せる。

 朝霧が聞いている者をゆっくりと包んでゆく。だが朝のイメージが波のイメージと重なって、空気に包まれているようでいて、いつしか漂いながらも、海の底へと落ちてゆく。

And If I surrender
And I don't fight this wave
I won't go under
I'll only get carried away

Wave


Wave





Isolation



Isolation


Isolation

Isolation


 
<Wave>

 ただ波に運ばれているようでいて、それでもいつしか波にのまれて、孤独の淵に落ちてゆく。

 アコースティックの弦の響きと、深いエコー処理。円弧を描くかのように全体をゆったりと包むストリングス。ひとつひとつの音が粒となって、ときに跳ねて、漂い、やがて消えてゆく。音を聞いているようでいて、実は音の消失の時間に立ち会っているかのようだ。最後の曲はまさに喪失の曲だ。長い夜が終わり朝が来る。でも光と同時に消えてゆくものがある。夢も記憶も、新しい朝が来て、過去へと置き去りにされる。

When the memory leaves you
Somewhere you can't make it home
When the morning comes to meet you
Lay me down in waking light

<Waking Light>

 朝の光の中で記憶を失ってもはや漂うしかない。光は目覚める。しかし私は身を横たえ、記憶を失ってゆく。

 このアルバムは、もう戻っては来れないほど遠いところまで行ってしまった人間が、何とかこの世に戻ってきて、常人のふりをして作ったアルバムという印象を受ける。質の高い創造性は、音を作り込むという常軌を逸した執着と、音を空間にきちんと構成するという冷静さの両者が共にあって発揮される。

 インストゥルメンタルの短い曲から始まり、Waveでストリングスが強く奏でられA面が終わる。次のDon't Let It Goの控えめなアコースティックギターがB面の開始を告げる。そして最後のWaking Lightでは、このアルバムで初めてノイズの音が渦巻き、アルバムが終わる。これほど見事が構成をもったアルバムはなかなかない。

 もう若くはないが、それでも今を生きる音楽人として、いや、これまでの創作活動があったからこそ、その歩みによってここまでの完成度に達したのではないかという気がする。人生の深みと音楽の深みが呼応する傑作だ。