パンクの一過性のブームが終わった後に、アルバムをどのように出し続けて行くか。例えば、1980年に出されたクラッシュの「サンディニスタ」は、もともとニュー・ウェーブがアプローチしていたワールド・ミュージックを全面的に音楽に反映したアルバムだった。しかも、とにかくやるだけやってみようと、何でもありでLP3枚組になってしまった。
80年代に入って、音楽性の高いアルバムを作らなければ、バンドの将来もない。そのせっぱつまったところに出したダムドの答えは、圧倒的にポップであることだった。それだけにダムドの代表作にはなりえないし、彼らのデビューが衝撃的だっただけに、80年代のアルバムはほとんどかすんでしまうだろう。しかし、時代の中でどう生き延びるか、そのしたたかさがこのアルバムにはある。
1曲目こそ、ドラムの早打ちに、ギターの早弾きが重なるやかましい音楽だが、2曲目からがらっと雰囲気がかわる。とにかくサビがポップ。サイケデリック・ファーズと区別がつかないくらいに。3曲目はそのサビの部分にブラスまで入って、雰囲気が実に明るい。4曲目はテクノポップ的キーボードまで入ってしまい、時代の音をとにかくつめこんでしまった感がありあり。
そして8曲目のような英国的憂いをもった曲。これなどはダムドというパンク・バンドというよりも、80年代のイギリスの音楽そのままで、ダムドらしさはほとんど感じられない。
パンク、ニュー・ウェーブそしてイギリス的な伝統の音。こうしたアルバムは確かに今ではもう聞けない古い音なのかもしれない。しかし時代の証言としてははずすことのできないアルバムだ。この時代の挑戦も失敗も、音の古さも、パンクを越えて、どんな音を作っていくか、その答えがまだ見つからない中で制作されたということも含めて、「あのダムドがつくったアルバム」なのだ。
そしてイギリス的な迷いは、少なくとも政治的にはサッチャーによって払拭されることになるのだろう。自らの階層を意識して。その政治性に加担して音楽を作るのか、それとも箱庭的に音楽の楽しみに興じるのか。今度は違う次元の問いが始まる。その見事な返答がボブ・ゲルドフだったのは、イギリス的音楽の敗北だったのではないだろうか。そしてもうひとつはU2。適度に政治性をからめながらも、音楽がショーであることをしっかりと証明してくれた。その代わりBoyの激しい視線はすっかり曇ってしまったが。