アルバムが一斉に再発されて、「局所的」に盛り上がりを見せているIsley Brothers。ピーター・バラカンの一押しはこの「3+3」とのこと。前作までのフォーク・ロックのアプローチも一段落し、いよいよメロウなグルーヴ感覚を活かしながら、そこにファンクの骨太なリズム・セクションが加わった記念碑的なアルバムである。
しかしこのメロウ感は、たとえば彼女を部屋によんでこのアルバムをかけてしまったら、絶対に失敗するメロウ感である。それは良い意味での過剰だということ。どう考えてもこのアルバムはBGMには使えない。クリスマス・イヴにかけるには完全にミスマッチなアルバムだ。たとえば2曲目のDon't let me be lonely tonightとか、James Taylerの曲だけど、甘すぎて聞いているこちらが狂ってしまいそう。解釈が良すぎて音楽に聞き惚れてしまうし、だいたいこのタイトルを日常的にはささやけないでしょう。そうした日常から乖離したところに音楽の固有の世界を作ってしまうIsleyのクオリティに感服...
バラカンが勧めるだけあってどの曲も完成度が高い。3曲目、If you were thereなど「キラキラ」していて、心も体もうきうきになれる名曲(というかこれ、シュガーベイブがコピーしていた)。6曲目もリズム・セクションのはつらつとした進行に引き込まれる。そしてこのアルバムには、Summer Breezeが入っているし。この暑苦しいバンド(by 「国境」のマスター)が「夏の清涼」を歌ってしまうのだから、これは脱帽もの。
一番好きなのは4曲目You walk your wayか。最初のハモンド・オルガンのせつなさがたまらなくいい。そしてヴォーカルの語尾の跳ね上がりがとてもセクシー。精神的に腰砕け状態になる至上の名曲。
フランスの詩人アラゴンについて調べていて、次のような彼のことばがあった。「プロレタリア文学は、形式において民族的であり、内容において社会主義的であろう、というスターリンの言葉をもう一度思い出そう」。
文学同様、音楽も民族の精神、階級の精神に結びつけて語られやすい。たとえば音楽に託された虐げられた人々の魂の声というような言い方である。たとえ抑圧ということばを持ち出さなくても、なぜマイケル・ジャクソンが兄弟ともども幼くして芸能生活を始めているのか、そこには黒人と芸能という切っても切り話せない社会生活の一端がはっきりと示されている。
アラゴンからずいぶん飛躍だが、それでも音楽という文化はメッセージをもち、ある階級や人種の抵抗のシンボルになりうる。しかし音楽が本当に生き始めるのは、その音楽が、当初の対象であった、階級や人種の閉じられた壁を越えるときではないだろうか。Isley Brothersは、当初から曲が白人ロックグループに取り上げられ、ひとえにポピュラー・ミュージックとしての俗化に寄与してきた。
そして70年代前後。ソウルにインスパイアされた白人ミュージシャンの曲をカバーすることになる。それも洗練されたアレンジのメロディラインと、練り上げられたファンクのリズムで、音楽が何らかのジャンルに属す必要などまったくないことを実感させてくれたのである。時代の重々しさを引きずった前作も重要だが、Isleyらしい吹っ切れ感があって、こちらのアルバムのほうを何度も聞いてしまう。
たとえばSweet Seasonの解釈が好きだ。60年代のポップスの定型を抜け出して、軽やかなコーラスを聞かせて、後半はファンク調のギターをからめて、Keep On Walkin'にうつり、コーラスもドゥワップにかわるとこころがスリリング。
Work To Doも最初のピアノの音が印象的だが、ヴォーカルはその甘さを軽く拭うかのようにパンチが効いている。このシャウトしながら、高音をのばしてゆくサビの部分が最高です。
スイートであるが決してBGMではない。この静かな主張が、70年という時代を越えて現在まで届いてくる。そこには洗練という音へのこだわりが必要だったのだ。だから、このアルバムを聞きながら、歌詞ではなくサウンドへと注意が行ってしまう。そうした聞き方はアルバムが出された当時ならばできなかったかも知れないが...